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物語の感想を書くということ ―『花束みたいな恋をした』(脚本:坂元裕二)

脚本家・坂元裕二さん作品の愛好家である私にとって、1月29日(金)から公開されている映画『花束みたいな恋をした』はずっと楽しみに待っていた作品だった。
いわずもがな、心に残るものがとても多い映画になった。

坂元さんは、人と人の間に生まれる微細なやりとりや、矛盾することもある白黒つけられない感情などを映像媒体で表現してくれる唯一無二の人だ。
私は、わかりやすく説明できないものによって世の中の大部分が構成されていると思っている。そのような私にとっての世界をそのまま描きながら、その中でもたしかに存在する温かいものを見せてくれるところが大好きだ。
坂元さんの作品といえば、固有名詞が盛りだくさんで、しかも私の好きなものがたくさん出てくることも、たまらない。
『花束みたいな恋をした』では、穂村弘さんや小川洋子さんなど大好きな人たちが次々と出てくるけれど、極めつけは今村夏子さんである。
今村さんを通して、主人公の麦と絹の人となりや、二人の関係性を表していることで、もう何というか、わかりみが深いという感じなのだ。

このまま映画の感想をどんどん書きたい衝動に駆られるけれど、ここでいったん立ち止まる。…映画の感想ってとても難しくないですか??
私の場合、本については、話のピークが感情のピークとならないことも多い。話の起承転結というよりは、登場人物の思考などにぐっとくるような作品を読むことが多いため、いわゆる結末のようなものに触れずに、思ったことを自由に書きやすい。
映画の場合は、話の盛り上がりと感情の動きが連動することが多い。
そうなると、思ったことを書くためには、話が盛り上がるところを解説しつつ書くことになってしまう。そういうことは、実際に見たり読んだりして体感する方が絶対的に面白いので、ネタバレ有で書く場合には、そのことを明記したうえで、その作品を実際に体感した後に読んでもらいたいなと考えている。とはいえ、誰がいつ読むかはコントロールできないため、ネタバレ有の感想はなるべく書かないようにしているのが現状だ。

ここで相反することをいってしまうと、坂元さんの作品は、ネタバレの有無でその面白みが削られてしまうようなものではない。
例えば、ドラマが放送された翌日に、そのあらすじを結末込みで紹介するようなネット記事がある。
坂元さんのドラマもそのような記事になることがあったけれど、それを読むと「間違っていないけど、そうなんだけど、大事なのはそこじゃないんだよ!」というもどかしい気持ちになっていた。
その行動や結末に至るまでの過程を丁寧に表現しているのが、つまり人が生きるということを真摯に描いてくれているのが、坂元さんなのだ。
そういう意味で、私の中では、今村さんと坂元さんは同じ箱に入っている。

『花束みたいな恋をした』は、そういう「結末至上主義」になりがちな物語の楽しみ方に、一石を投じる目的もあったのではと考えている。
映画の予告、公式あらすじ、そして映画本編の冒頭シーンによって、この作品は結末そのものを予想しながら楽しむものではないですよということを示唆している。
この映画がヒットしているのは、その物語の結末を知りたいからではなく、それまでの過程を知りたいからで、その過程の描き方が今までの恋愛映画とは一線を画すからだと思う。

私自身、坂元さんのドラマ『それでも、生きてゆく』(2011年/フジテレビ)を見て、自分が求めている物語がどういうものかに気づいたという経緯がある。
Twitterで交流させて頂いている坂元さん愛好家の方も、『花束みたいな恋をした』を見た人に対して『それでも、生きてゆく』も見てほしいと言っていたけれど、完全に同意である。
映画を見て、いつもと違うものが無性にささったなと思った人は、ぜひあの世界観を体感してみてほしい。

私は『ユリイカ』の坂元さん特集号を購入したので、それを読むことが目下の楽しみである。皆さんも、沼においでくださいませ。

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