見出し画像

他人の目を気にしちゃうままでいいのか、わたし。

…よくない。よくないぞ。私は私の人生を存分に味わいたい。(喜びも悲しみもちゃんと自分で責任を負うから。)そんなことを考え始めた、師走。…きっかけはほんのちっぽけなこと。

ジェルネイル、ハイトーンに染めた髪、キラキラしたネックレスをつけた首元」ちっぽけな事だけど、ずっとしてみたかったこと。

「教員だからやめたほうがいい」

そう自分で思い込んでやらなかった。他人からの視線を気にして出来なかった。街中を歩く人や雑誌を眺めてはうらやましく思うけれど、やってみる勇気がなかった。休職に入り、学校から離れたことでチャンスがやって来た。「やってみよう!」勇気を振り絞って、いざやってみたら、すごく満たされた自分がいた。初めてのブリーチ、見たことのない髪色になった自分の頭。ネイルをしてピカピカの手元が嬉しくて何度も陽の光にあてて眺めた。出かけた薬局の鏡に映る自分。鏡を見るたび、心がふわふわと嬉しくなった。…なんで今までしなかったんだろう。「すごく勿体ないことをしていた」と心から思った。

結局、何をするにも他人からどう見られるか、何か言われるのが怖い。(だから今のままで居るのが安全だ。)そう怖がっていることが分かった。そしてどうして不安になるのか、不安にならないためにはどうしたらいいのか何度も何度も考えた。

そんな時に窪美澄さんの『たおやかに輪をえがいて』に出会った。主人公が旅先で出会った女性とドライブをする場面がある。そこで女性が軽やかに宣言する。「死ぬ時に後悔したくないの。だから、したいことをするの。」と。文字に表すとありがちな言葉に見えるけれど、ふと今まで考えていたことの答えが心に降りて来たようだった。…自分の願いを最優先にしたい。

私が明日死んでしまっても、私の人生の続きを他人は請け負ってはくれない。私の身体も命という時間も、他人は責任を負ってくれない。

そう思ったら、人の目を気にしてやりたいことを制限していることがなんて報われないんだろうと思ったし、このままやり切れずに生きていくのは詰まらないなあと思った。歳を重ねる(定年を迎える時)まで待てば自由にできる。そんな風にその時が来るのをじっと待っていたくない、今飛び込みたい。明日生きていられる確証なんて、誰も持っていないじゃないか。

自分の心が赴くまま過ごすことで、悪意のない善意の言葉に傷つけられることや悩むことが何度もあるはず。だけど、傷ついても私は私が好きな暮らしと大切な人との時間を一番に大切にしたい。だから、自分がやりたいことをやろう。自分が食べたいものを食べよう。会いたい人に会いに行こう。自分を傷つけてくるものとは距離をとろう。私だけの人生を精一杯、堪能しよう。堪能したい。

そのためには、自分が「ちっぽけ」だと思うことほど丁寧に目を掛ける。小さなことに気づけない内は、それより大きなことへ目を向けられないと思うから。お金と時間を何にどれだけ使うかはその人の生き方そのものだとよく言う。今までは他人軸で選んできたものが多かった。自分のこれからにとって大切なことに気づけたから、少しずつ自分軸で選び取っていきたい。


そう言いつつもすぐに「人の目を気にしない強い心」にはなれそうにない。(今日もささいなことで心が折れそうになる。笑)

だから、noteや支えてくれる人たちへ弱音を吐きながら前向きに毎日を過ごしていきたいなあと思っています。弱々な30歳ですが今後もよろしくお願いします。そして、途中で紹介した本をよかったら、読んでみてください。自分自身のために開花していく女性が主人公です。最近は、窪美澄作品にどっぷり浸かる日々。今は『アニバーサリー』を読んでいます。