「いま」を生きること。
1年半ぶりに、筆をとった。
ひとしきり書いてから、紙と筆に手を合わせ謝罪した。暗くて狭いクローゼットの奥深くに、じっとりと眠らせて、ごめんね。
わたしは誰かになれないもの。わたしはわたしの好きなものを、自由に書こう。他人の評価はしらん!(力強い鼻息)と前向きに振り切れたら、ふと筆をとりたくなった。きっかけは一冊の本。ライターであり、猟師であり、アロハで農業をはじめた農家である著者の言葉。
生きてみることだ。
…いまなら、書ける気がする。
「小さなことでいい。」
そのたった一言に心のハードルがバタンと倒れた。その音が消えぬうちに、道具たちを仕舞い込んだクローゼットに駆け寄って、慌てて墨を磨った。慌てていた心を落ち着かせながら、墨の匂いを嗅ぐ。懐かしい。なんだろう、この嬉しい気持ち。あ、高校の書道室で書いていた時と同じ気持ちだ。
書きたい。へたなりに、人の目を気にしながら。なんだかんだ言いながら。やっぱりわたしは書きたい。心を揺さぶるものに出会ったら自然と頭の中でどう書こうか。想像している自分に正直に生きたい。感動したものをただ、書きたいように書きたい。書けるように上手くなりたい。
誰かの評価を気にしたり。教授に線を酷評されたり。センスがいい仲間を羨んでは凹んだり。学校の中で「うまい」と「いい」表現で悩み苦しみ駆け抜けた十年間。書き始めたころの、上達する無邪気な喜びよりも、自分の未熟さを実感して辛くなることの方が多かった。それでも、書くことをとめたくない。誰かの目に触れて欲しい気持ちは消えない。
誰かに作品を見て欲しい。褒めて欲しい。批評も欲しい。誰かの意見を聞くことは最も怖いけど、その怖さを乗り越えた先にある喜びを手にしたい。心の天秤がぐらんぐらん揺れる。上手にバランスを保つのは、だいぶ先になりそうだ。けれど、わたしはこれからもこの先も表現者でありたい。
そう思った時に、全てだと気づく。noteも、書道も、星読みも、手紙も全て。わたしが考え生きていくための表現だ。
わたしは、今を、生きてみたい。
わたしは、おもしろきこともなき世をおもしろく。書で、言葉で表現する者でありたい。
( I am the Artist. )
気恥ずかしくて、大きな声では言えないから。まずはnoteで、この記事を読んでくれたあなたに、伝えることから始めようと思う。…恥ずかしいけれど、すこし嬉しいのは何故だろう。自分が何者か、じぶんで決められたからかもしれない。
望月さんが「作家になる日」をお決めになったのを見て、わたしもじぶんで「表現者」になろうと、どこかで決めたのだと思う。noteはそんな風に、言葉で背中を押してもらえることがある。だから、やめられない。ここはずっと在ってほしい場所。大切にしたい。
(いつか、望月さんの本に出会えることを夢見ながら。)
ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。
読んでくれたあなたがいるから、わたしは表現することを続けられます。ありがとう。
写真もわたしの生きることのひとつ。