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【掌編】咳をしても金魚


咳をしても金魚。これだけは譲れない。

記者会見は午後六時からで、指定された入り時刻は午後四時。しかし、そのさらに一時間前に私は現地に到着し、控え室で待機していた。

「事実上の引退会見だもの。念入りにメイクしてもらわなくちゃ」

呆れ顔のマネージャーに向け、私は嘯く。しかし、半分は本心だ。おそらく最後の晴れ舞台。今までで一番可愛い私で挑みたかった。

若手俳優との逢引きを週刊誌で報じられたのが、先月。それだけならば、まだ立て直しが利いただろう。問題は、撮られた場所が六本木にある会員制のクラブであったことだ。未成年である私が出入りした上、「何もなかった」では逃れられないシチュエーションと言えた。

事実、酒は呑んだし、ホテルへも行った。明言はしていないし、今日の会見でも明言するなと言われているけれど、それが真実。表向きは「騒動の責任を取る」という曖昧な理由で、私はグループを脱退し、事務所との契約解除に応じる。

「金魚なんて品種は、元々この世には存在しない」

四年前。グループの一員としてデビューする際、顔合わせのミーティングでプロデューサーが言った。
曰く、金魚とは鯉科のフナを品種改良したものであり、そもそも自然界には存在しない。人間が飼育観賞用に生み出した、エゴイズムの結晶である。アイドルやスターもそれと同じで、人様の娯楽のため無理矢理作られた変異種だ、とのこと。

「お前らは今から”金魚”になる」プロデューサーは言った。「舞台上では、躓いてコケても、緊張してトチっても、過労でぶっ倒れても”金魚”だ。鑑賞に耐えろ」

その言に従えば、不祥事を起こしてクビになっても”金魚”だ。たとえ後ろ指をさされる中の会見であれ、見せ物としての価値を損ってはならない。

釈明したいことは山程ある。

『鑑賞に耐えろ』という教えに準じ、レッスンに励み、己を磨いてきたこと。大人数グループの中、デビューから一年、曲を出してもソロパートはなく、バラエティーでも見せ場はなく、ドラマもCMもオファーがなかったこと。

鑑賞に耐えるためには、まず鑑賞されなくてはならないと悟ったこと。同じ芸能人と浮名を流すことで、知名度を上げる手法を知ったこと。何人かと関係を持つ中、自分でもそれとわかるほど色香が増し、釣られるように仕事も増えていったこと。

デビュー時と打って変わり、忙しさに追われる生活となったこと。余暇を過ごせず心が渇く中、若手俳優の彼と出会ったこと。誰にも邪魔をされたくない恋であったこと。人知れず会える場所として、例の会員制クラブを知ったこと。

年齢を無視した飲酒や異性交遊など当たり前、それ以上の悪も蔓延る世界で、私がしたことはただ夢を追うことと人を愛すること。それの何が悪い、と叫びたいこと。ファンを裏切ったわけじゃない、ファンの抱いた偶像を裏切らないため、懸命に頑張った結果だということ。

私は本当は金魚じゃなく、人間であるということ。

「出番です」

着替えを済まし、メイクを終え。その後、いつの間に時間が過ぎていたのか。マネージャーに呼ばれ、共に会場へ向かう。

「滅多なことは言わないでくださいね」

舞台袖で待機する中、釘を刺される。

言わない。言うわけがない。

光る壇上で、司会者が私の名を呼ぶ。足を踏み出すと、眩いフラッシュの数々。着席。もうこれだけのレンズを向けられることはなくなる。そう思うと、涙腺がぶるりと震える。

「うっ」

嗚咽が漏れそうになるところを、空咳で誤魔化す。「失礼しました」憂いを帯びた目を作り、口元に笑みを浮かべる。

無様な理由で咳をしても、今日この日が終わるまで、私は”金魚”。

これだけは譲っちゃいけない。


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この作品は、こちらの企画に参加しています。


何のご縁か、金魚をモチーフに作品を書くのは二度目です。
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