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【掌編】友人Aの現況に関する考察或いは私見

レモンから連想するもの。黄色、果汁にクエン酸、そしてA。

「なに、Aって」
「友達」
「ふぅん」

先ほどまで裸でまぐわい、今もまた一糸纏わぬ姿のままで、並んで寝そべる間柄。にも関わらずアヤノちゃんは「ふうん」で済ませ、「男? 女?」と訊ねてくる。

「男」
「なんで、レモン?」
「女々しいから」
「会話する気あります?」

膨れっ面が可愛らしく、吹き出す。アヤノちゃんの頭を撫でながら、説明。

Aについて。

「昔の彼女がレモン好きで、何にでもかける女だったんだと。だからお別れして、その子が違う男と結婚した今も、彼女のためにレモンを家に常備している」
「え、おかしい。接続詞『だから』なのおかしい。なんでA君レモン買ってんの?」
「たまに会うから」
「あぁ、フリン?」
「不倫じゃない。指一本触れない」
「おかしいおかしいおかしい」

おっしゃる通り。おかしい。
Aの不可思議な行動、その背景にある心情とは一体どのようなものか。

指一本触れないのであれば、劣情ではない。仮にも男と女。肌が触れ合う可能性があるところ、その禁忌を侵さぬよう、夜分に二人きりは避けるべきだ。それをせず、かつ触れないならば、Aが抱いているのは劣情ではない。

とは言え、友情でもない。いつ来るかもわからぬ相手のため、わざわざ生鮮食品を常備しておく。そんな友情があってたまるか。友と呼ぶならその関係値はイーブンであるべきで、然るにAがレモンを買い続ける道理はない。

ならば愛情か。採算度外視とも言える奉仕の精神。説明不能の原動力。Aの振る舞いから察するに、そこにある感情に名をつけるなら、まさしくそれしか当てはまらないような気もしてくる。

しかし、本当にそうか。

「七年なんだよ」
言うと、アヤノちゃんは「へ?」と目を見開いた。
「別れてから七年。あいつはレモンを買い続けている」
「オリンピックとパラリンピック、夏冬合わせて四回できんじゃん」
「頭の回転が速いな」
「え、怖。たまに気まぐれで泊まりにくる人のために、七年もずっとレモンを?」
「まぁ、本人に言わせりゃ、わざわざ、と言うより、ついつい買ってしまうとのことなんだが」
「プログラミングされてんじゃん。なおのこと怖いよ」

プログラミング、という単語に思わず笑った。その後で、唸る。確かにこれは、Aの意思に基づく行為というより、ただの染みついた習慣、かつて存在した愛情を原動力に、言わば惰性で続いている運動にも映る。

だが、七年。昔、二人の間に存在したエネルギーがどれほどのものであったか知らないが、人の想いというものは、それだけの年月、慣性の法則に従い続けるだろうか。それとも、たまに会うその度に、愛が再燃するとでも言うのだろうか。ならば指一本触れずにい続けられるのは何故か。

疑念を口にすると、アヤノちゃんは「うーむ」と人差し指を自分の顎に当てた。

「もうそれさぁ、一種のプレイじゃない?」
「プレイ?」
「そ」

Aにそういう、マゾヒスティックな癖がある、と言いたいのか。

「A君がMなのかSなのかはわかんないけれど、その状況をどこか楽しんでいる部分はあると思うな。あと、おそらくその彼女も」
「どういうことだ」
「だ、か、ら」

アヤノちゃんは寝そべったまま腕を天井に向け伸ばし、オーケストラを指揮するかのように指を振る。

「『別れてもなお放っておけない。彼女は僕にとって特別な存在なんだ。突き放すべきなのだけれど、どうにも離れがたくって。かと言って恋人には戻れない。時折会う度に胸が疼くけれど、その疼きを受け入れながら生きていく。そう、それはまるでレモンのように、甘く酸っぱく、僕の心を刺激するのだ』」
「なんだそれ」
「A君ポエム」

アヤノちゃんは腕を下ろす。下ろした先に俺の腹があり、ペチンという音が鳴る。

「"楽しんでいる"、っていうより、それが"楽"っていう状態かな」アヤノちゃんは言う。「人間関係なんて快不快で決まるじゃん。本当に切なくて苦しいなら、七年も続けられないって。A君にとって、二人にとって、今の関係はもしかしたら心地いい距離感なのかもよ」
「落ち着くところに落ち着いた、ってことか」
「そうかも」

先ほどの、アヤノちゃんが言うところの『A君ポエム』を頭の中で反芻する。レモンのような甘さ酸っぱさ。それを含めたワンセットとして、Aの愛情は続いている。

そういうところに、落ち着いた。
落ち着いてなお、運動を止めない。

何故か。
決まっている。

止めたくはないからだ。

「じゃあやっぱり、愛情か」

呟くと同時に、アヤノちゃんの身体が俺に覆い被さる。軽く唇を合わせ、そのままスライド。首筋、胸板の上でリップ音が鳴る。同時に指先が腿の間に入り込み、上下運動を繰り返す。

「おい」
「もっかい」

脳髄を走る刺激の狭間で、思い出す。そもそもどうしてレモンの話になったか。不意に部屋を訪ねてきたアヤノちゃんを招き入れ、今日に限って持ち合わせがないことに気づいた。構わないと迫るアヤノちゃんに、文字通り一糸纏わぬまま触れ合いを続け。事なきを得たと思われるところ、万が一があったら、と口にした俺に「レモンなら殺せるらしい」とアヤノちゃんが言った。

もちろん、ここにレモンなどない。

アヤノちゃんの運動は続く。互いに息遣いが荒くなる。荒くなった果てにあるものを本能が予感して、胸の内が昂る。
俺が単身赴任中の期間だけ。そう割り切っていたはずなのに。俺たちはそこに落ち着いた。そう思っていたはずなのに。

腕を動かし、アヤノちゃんの肩を掴む。そのまま約百八十度の弧を描き、その背をベッドに。すぐさま唇で固定する。

この選択が俺の家族に、アヤノちゃんの家族に、未来に、どのような影響を与えるのかはわからない。だがしかし、アヤノちゃんの言う通り、いずれは落ち着くところに落ち着くのだろう。そう思うことにして、理性に蓋をする。

願わくばAが抱くものと同様に。
そこに残るものを指し、『愛』と呼べることを祈って。

レモンのない夜は耽る。


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この作品は、あやしもさんの次の小説に影響を受け、執筆したものです。

加えて、次の企画に参加しています。

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