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【掌編】オモイオモワレ8bit

ヒマワリへ向け「月を拝め」と注文するようなものだ。
頑なに意見を変えない委員長に対し、僕は内心うんざりとした。

「宣誓をしましょう」

間近に控えた文化祭。合唱とストンプと寸劇を詰め込んだまとまりの無い出し物の最後に、もう一声、と足し算を試みる。そんな委員長の発案に、クラスの大半は眉を顰めた。

ただ出し物が増えるだけならまだいい。受験勉強と並行するイベント準備にキャパオーバーの連中は多いが、ものの数分に満たないパフォーマンスであれば、それほど苦も無く習得できる。問題はその内容だ。

宣誓。
我等三年四組は、青春を謳歌し、各々の進路に妥協せず、志を持って人生を突き進むことをここに誓います。

委員長の示した暫定案(原文ママ)である。
なんとも小っ恥ずかしく暑苦しい、恐らく生涯で二度と口にすることもない文句のオンパレード。加えて、最後は全員揃ってエイエイオーの掛け声をやりましょう、と来たものだから、僕を始めとする日陰属性の連中は辟易とした。否、している。現在進行形だ。

いつもなら波風立てず、唯々諾々と従うところであり、それこそが日陰者の所作でもあると心得ているが、今回ばかりは勝手が違う。同じクラスになって五ヶ月近く、住む世界が違うと倦厭し続けていた委員長に、放課後、僕は詰め寄る形となった。

「今日ホームルームで話していた宣誓、やめにして欲しい」

帰り支度の手を止めて、委員長はこちらを見る。丸い眼鏡におさげ髪、いかにもといった装いの彼女は、「どうしてかしら」と厳しい顔で僕を睨んだ。

「恥ずかしいから。青春がどうとか、大勢が観ている前で叫ぶだなんて、どうかしている」

核心の理由ではないが、それも大きな動機のひとつだ。加えて、クラスメイト一定数の総意でもある。どうせ矢面に立つのなら、ここは日陰者の思いを背負って戦う所存。現に何人かが、教室の隅からエールの視線を送ってきているのを感じる。

「恥ずかしい?」
「そう」
「でも、ウチのクラスの出し物にはまとまりがない。この前のホームルームでそういう話になったでしょう。であれば最後の締めぐらいビシリと決めましょう、という趣旨で、この発案をしたの。それも説明したはず」
「趣旨は理解している。内容が気乗りしない」
「なら、他に代案が?」
「それはないけれど」
「代案もないのに文句だけ言うのは、いかがなものかと思うわ。恥ずかしい、というあなたの個人的な感情で、クラスの出し物を台無しにするつもり?」

やや屁理屈にも聞こえるが、すぐには反論できない。大半が僕と同じ思いのはず、とも伝えたが、「大半とは誰? 署名でも募ったのかしら」と目を細める。「確かにあなたと同じ思いの人はいるかもしれない。でもきちんとホームルームで話し合い、そうと決まったことを簡単には覆せないわ。集団で何かを取り進める、ってそういうことだと思うのだけれど」。追い討ちをかけられ、ぐうの音も出ない。

頑なだ。これだから日向者は困る。
正論や綺麗事が罷り通るのは、それが許される環境や能力があるからだ。メインストリートにいる者にしか、それら太陽の恩恵は受けることは叶わない。
日陰どころか夜光動物。陽の眩しさに耐え切れず、月明かりを頼りにこそこそ生きる自分の思いなど、このヒマワリ女には理解はできまい。

「でも恥ずかしい、という気持ちはわかるわ」

委員長が言った。
口をへの字に、斜め下を向き黙りこくっていた僕は、意外な言葉に彼女を見る。

「今でこそ、こうして率先して委員長なんてやっているけれど、中学の頃は私、とても引っ込み思案な性格だったの。あなたと同じで、大勢の前で自己主張をしたりすることに、気後れするタイプ」

机に置いたスクールバッグの上に両手を添え、委員長は遠くを見つめた。

「でもね。卒業して、中学時代を思い返してみて驚いた。何ひとつ鮮明に覚えているものなんてありはしない。記憶ってね、感情と紐付いているそれの方が、より鮮やかなものとして保存されるそうよ。その点、中学の私ときたら、昔のテレビゲームみたく、解像度粗々の思い出がぽつぽつと脳に残っているだけ」

もうこんなのはたくさん。そう思ったの。
委員長の顔に、窓からの日差しが当たる。眼鏡のレンズが煌めき、奥にある瞳が見えなくなる。

「あなたの言う通り、私だって恥ずかしいことはしたくない。でも、恥ずかしいことひとつしないままに、この高校時代を終えるつもり? 私は嫌だし、できるなら他のみんなにも、後で後悔して欲しくはないの。多少煙たがれても強引でも、あのとき馬鹿なことをしたな、二度とあんなことはできないな、って記憶を共有したい。そのための汚れ役なら、喜んで買って出るつもりよ」

委員長は再び僕を見た。心なしか、目が潤んでいるようにも見えた。

その強引さが問題なんだ、とか、それはただのお節介であり傲慢だ、とか、そもそも『宣誓』というチョイスとその中身から窺えるあれこれのセンスが残念過ぎる、とか。様々な反駁が過ったが、一旦それらを押し留め、僕は委員長を見つめ返す。

汚れ役。
さらりと言ってのけた、その言葉。

今まで考えたこともなかったが、太陽に焦がれるこいつはこいつで、自分の信義を貫き、それが故に生じる孤独と戦っているのかもしれない。やっていることも考えていることも共感できないが、その思いの強さには感じ入るものがある。

でも、だからこそ、こちらも容易く折れるわけにはいかない。僕には僕の、譲れぬものがあってこうしている。

「悪いけど、それでも宣誓は勘弁して欲しい」

僕が言うと、委員長はふん、と鼻息を漏らした。

「どうして? やっぱり恥ずかしさが勝つのかしら」
「違う。それは表向きの理由」
「表向き?」
「うん」

昨日、家族会議をしたんだ。
そう告げると、案の定、委員長は首を傾げてみせた。

「家族会議?」
僕は頷く。
「また個人的な話かしら」
「その通り」睨む委員長に向け、会議内容を報告する。「ウチの経済的な事情でね。僕は第一志望の私学を諦めることになった」

委員長の瞳が僅かに拡がった。

宣誓。
我等三年四組は、青春を謳歌し、各々の進路に妥協せず、以下略。

「文化祭は親も観にくる。僕がそれを誓っているところを見せたくない」

これはほんの一例だ。きっと他にも各々の理由で、誓いたくもないもの、誓いたくても誓えないものを誓わされる連中は、きっといる。もっと言えば、恥ずかしい、という一見身勝手にも映る理由だって、人によっては馬鹿にはできない。君が一念発起して乗り越えたその壁を、どう足掻いても克服できずに、悩み苦しむ人種もいるんだ。

そのような趣旨のことを続けて伝えた。委員長は黙ったまま話を聞き、しばらく俯いて動かなくなった。

「わかったわ」

委員長が言った。

「宣誓の内容は今一度考えましょう。できるだけ万人に共通する内容を提示して、クラス全員から匿名で決を採る。ひとりでも反対する人間がいたら、採用はしない」

ありがとう。僕が頷くと、委員長はカバンを肩に歩き始める。悪かったわね。小さくそう言って、教室から去っていった。

取り残された僕は、下駄箱で委員長と鉢合わせることがないよう、しばし間を空け、校舎内をぶらついてから帰路に着く。
空には見事な夕焼けが広がり、街は昼から夜へと装いを変えていく。電車に乗ると、自分と同じく制服を着た学生、私服の若い男女、スーツ姿のサラリーマンが、車両の中、パッチワークのように混ざり合っている。

先ほどの会話を思う。

できるだけ望む場所で、望んだ生き方を。誰もがそう思い、選択し、これからもそうしていくのだろう。もちろん自分もそのつもりであるし、そこに疑いの余地はない。
そうやって進んでいく中、今日みたく、委員長のような相手と価値観をぶつけ合うことは、どれだけあるだろうか。

望む場所へ向かえば向かうほど、望まないものからは離れていく。

それが好ましいことであるのかは、わからない。ただ、おそらく今日僕がしたことは、今しかできないことだったのでは、という予感があった。

車窓から過ぎゆく景色を眺める。時速数十キロで去っていくビル、人、街。薄闇に包まれるそれらの輪郭を、はっきり捉えることは難しい。

いつか今日のことを思い返すときの解像度は、はたしてどれくらいだろうか。
そんなことを考えながら、僕は未来へ進む。


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この作品は、こちらの企画に参加しています。



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