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【掌編】晴れ、時々方程式。

世の中にある問題のほとんどは、人の思惑と思惑のすれ違いの結果だというのが俺の持論だ。
問題に巻き込まれたくないならば、思惑の違う人とは距離を置けば良い。しかし、そんな簡単なことができない人が多すぎるのだ。
クラスが同じだから、部活が同じだから、というだけでは理由にならない。距離の取り方は色々とあるだろう。それなのに、同じ集団に属しているからという理由だけで、なんとなく皆が等しく分かり合わなければならないという空気が世の中にはある。
人間は話せば分かり合えるものだと、なぜか大半の人はそう考えているらしいのだ。人間が言葉を持っていることの弊害だろうか。

「三科君は変わってるね」「三科君は面白いね」小さな頃から何度となく聞かされた言葉だ。実の親も「おかしな子ねぇ」とことあるごとに言うが、それらの言葉は、一体何に対して「変わっている」「おかしい」と表現しているのか。
一般的な人間?標準的な人間?そんなものがあるのか?
人は皆違って当たり前だ。それらの人間を集めて平均値をとったところで、それは誰でもない何かだろう。

なぜこんなことを考えているかというと、学校でちょっとしたトラブルがあったからだ。

通路を挟んだ隣の席で二人の女子が何やら話し合いをしていたが、それがだんだんと不穏な空気に変わってゆくのを、俺はいつものとおり聞かない振りをして本を読んでいた。

「ねえ、三科君はどう思う?」

これは不意打ちだった。

「なにが」
「聞こえてたでしょ」
「盗み聞きはしない」

女子二人は顔を見合わせ、ご丁寧に今の話を繰り返してくれた。
仕方なく俺は答えた。

「特にどちらにも賛同しない。俺に責任の持てることではないし。意見が食い違うなら、どちらかが合わせるか、どちらも合わせたくないなら、別々にそれをやるしかないんじゃないかな」

「……三科君、冷たいよね」

そう言われたのだ。
「冷たいよね」
これは由々しき事態だ。
この言葉に傷ついたという意味ではない。

「変わってるね」「面白いね」というのは、いわば当たり前のことを言っているだけだ。人と人は違うのだから、そう感じることもあるだろう。
しかし「冷たい」という言葉には明らかにマイナスの評価が含まれている。
その場はそれで終わったが、俺は今、そのことについて考え続けている。
俺は自分の価値観を大切にはしているが、特に世間に反してでも我を通そうと考えているわけではない。恙無く学生生活を送りたいだけなのである。
そのためにはこの「冷たい」という評価に対して今後何らかのアクションが必要になるかもしれない。



団地の自転車置き場に見知った顔があった。
小さな頃からの付き合いだが、今は別々の高校に通っているので下校時刻が被ることは珍しい。
お互い片手を挙げて無言で挨拶を交わし、それぞれの場所に自転車を格納する。

「いい傾向だな」
相手の黒い髪の毛を見て感想を述べた。
「なにが」
「髪の毛」

前回会ったひと月ほど前まで、奴の髪の毛は金髪だった。小学生の頃からずっとだ。それが、今では不自然なくらいに黒々としている。三つあったピアスの穴はそのままだが、そこにピアスは無い。不思議なことに、それでも奴の佇まいは全くと言っていい程変わらなかった。
やはりあれはこいつの本質ではなかったのだろう。

「もうすぐ受験生だからな……なんだよ、傾向って」
「お前の金髪とピアスは、その見た目に相反して清廉潔白だったお前の内面とバランスをとるためのものだったと俺は思っている。それを失くして堂々としてるってことは、つまり、少しは世の中の狡い部分を受け入れる気になったってことだろう」
「意味わかんねぇ。……これは受験用だ」
「お前が自分の受験というイベントに正面から向き合うようになったことが、いい傾向だと言ったんだ」
「知ったような口きくなよ。髪が黒くなったくらいで前向きになったかどうかなんてわからねぇだろ」
「前向きなのがいいと言っているわけじゃない。むしろ無駄な前傾姿勢は不要だ」
「はあ?」
「前向きな考え方がいいと言っている奴らが多いのは、その方が集団として行動する時に便利だからだ。人の能力を発揮するのに前向きさは必ずしも要るとは限らない。要はお前がお前自身としっかり向き合ってるかどうか、それだけだ」
「小難しい理屈だな」

シグ……村井時雨というのがこいつの名前だ……との距離感を俺は気に入っている。少々潔癖なところがあるが、そのおかげか変に近づきすぎもせず、かといって互いを疎ましく思っているわけでもない。顔を合わせればこうして比較的本音で話すことができる。

ああそうか。「冷たい」というのは、相手に期待をしている人間の発する言葉なのだ、と急に理解に至った。
相手に過度な期待をしている人間は、それを裏切られると攻撃的になる。至極簡単な理屈だ。
そうだとしたら俺はそれに対してどういう行動をとるべきか。

「ツクル」
「なんだ」
「元気か?」
「は?……それは俺のセリフだろう」
「なんでだよ」

なんでだろう……。
そう、それはお前の方が穏やかな生活を脅やかされる要素を沢山抱えているからだ……と言いかけてやめる。余計なお世話だ。

「おばあさん、どうだ?」
代わりにそう尋ねた。
「まだ入院中。でも、母親が在宅勤務に切り替えたから、もうこの間みたいなことは多分ない」
「そうか。ひとまず良かったな」
「ひとまず、な」

もしかして先ほどの発言は俺のことを気遣ってのことだったのだろうか?
だとしたらお門違いも甚だしい。
父親の不在、障害のある妹、入院中の祖母。それらに比べればクラスメイトの発言に対する俺の動揺なんて微々たる問題だ。
いや、比べることは無意味か。個人における問題の大きさは絶対値ではなく相対値だ。
不意に口元に堪えきれない笑みが浮かぶ。

「確かに……小難しい理屈だな」
「は?」
「元気だよ」
「誰が」
「俺が。さっき訊いただろう」
「あぁ……まあ、ならいい」

シグとは同じ団地に住んでいるが棟が違う。
会った時と同じように無言で手を挙げて自転車置き場でそのまま別れた。

世の中にある問題のほとんどは、人の思惑と思惑のすれ違いの結果だと思う。
だがしかし、だから思惑の違う人とは距離を置きたいと思うのはあくまでも俺の考えで、そうでない人も世の中には多いということだ。もっと自分に関わって欲しい、自分のことを気にしてほしい、できる限り人と分かり合いたいと思う人が多いということか。
だからこその「冷たい」発言だ。

「面倒だな」

心の中で呟く。
しかしそれほど気分は悪くなかった。
この件に関してはもうしばらく観察が必要だろう。結論は保留だ。
そして、シグの家の問題に首を突っ込んだ時には面倒とは感じなかったな、と思う。不思議なものだ。

正義の味方を気取りたかったわけでもない。奴に特別な友情を感じていたわけでもない……はずだ。どちらかといえば奴の潔癖な態度がもどかしかったというのが本音に近いが、そもそもそうやって他人の人生に積極的に関与しようとする行動が俺にとってはイレギュラーだ。

自分もまた不可思議。

しかし俺の日常はだいたい穏やかな晴れだ。
それでいいんじゃないかと思う。
完璧を求めてはいけない。何事もほどほどが大切だ。

辺りはすっかり薄暗くなっていて、古ぼけた団地の灯りがぼんやりと辺りを照らしていた。



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この作品は、こちらの作品の「その後」を別視点から書いたものです。



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こちらの作品は、ラジオ『すまいるスパイス』から生まれた企画で、橘鶫さんに執筆いただいたものです。


白鉛筆が書いた作品はこちら。

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