無職を1年続けたら価値観が変わった
無職になって1年が過ぎた。
何故無職なのかと聞かれても、ただ仕事をしていないだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
ひとつ言えることは、自分の意思で無職を続けているということ。
念のため当然のことを言っておくが、税金や家賃等の納めるべきものは毎月支払っている。
悲しいもので、10年間仕事しかしてこなかった人間にはそれなりの貯金があるのだ。
まぁそんなに贅沢は出来ないけれど。
無職ではあるものの、一応、資格取得のスクールに通っている。
なぜ「一応」なのかというと、資格自体は既に取得してしまったからだ。そこのスクールは社会人向けのフリースクールのため、皆働きながら通っている。大体2年位かけて6つの資格を取得するコースなのだが、勉強する時間がたっぷりあった私は、1年で全ての資格を取得してしまった。
今はその資格に関連した勉強会に月2回程度通っている。
元々趣味として始めた勉強の為、本職にしようとは考えていない。
あっあと1番大事なこと、身体も心も健康です。
何故ここまで説明する必要があるのかって?
それは、「無職なのは何か事情があるはず」と思われているから。
「仕事=社会貢献」「仕事=その人の価値」というような価値観が少なからずあるようで、好き好んで無職でいるということは世間では理解しがたいようだ。
という私自身も、会社員時代は心の底ではそう思っていたかもしれない。
1年前の退職時、今まで仕事中心で自分を大切にしてこなかった私は、いつの間にか心がボロボロになっていた。
周りの言うことや世間体ばかりを気にしていて、本当の自分が見えなくなっていた。
自分の意見もやりたいことも分からない。自分の好き嫌いさえよく分からない。そんな状態だった。
このまま次の仕事を探しても、また疲弊するだけだと思った。今まで自分を優先してこなかった分、自分が休みたいだけひたすら休もう、自分の心が見えてくる迄とことん自分と向き合おうと思った。
…なんて、もっともらしいことを言ってみたけど、本当にただゆっくりしたいだけだった。
環境が変わったことで、付き合う人達も自然と変わっていった。
そうやって1年間ひたすらのんびり過ごしてきたわけだが、最近、以前に比べ考え方や価値観が大きく変化していることに気付いた。
以前の私は、何でも「やらなくちゃ」に支配されていた。今は「やりたいからやる。やりたくないならやらない」が選択出来るようになった。
以前の私は、自分の短所を受け入れられなかった。でも今は短所も自分らしさを作ってる一部だと受け入れることが出来ている。
以前の私は、人と比べてばかりだった。でも今は「意見も価値観も人それぞれ。自分が感じたことを大切にしよう」と思えるようになった。
無職になることは一見恐いことに思えるかもしれない。
人生がリセットされた感覚になるからだ。
でも今の私は、それもいいじゃんって思える。
言い換えてみれば、何もないからこそ何をしたっていいし、自分だけの人生を作っていけばいいのだ。
自分を見失っていた過去の私へ。そして、未来の私がまた自分を見失いかけたとき、この言葉を送りたい。
世のため人のために生きるよりも、先ずは自分を大切にして欲しい。
自分の本当の声を聞いてあげて欲しい。
自分を愛することが出来てから、周りを愛せばいい。