私はジミーになりたかった。ー小説ジミーを読んでー
なんて書けばいいのかな。
ここは私の部屋なので、思ったとおりに書かせてもらおうと思う。
エイミーさんの「ジミー」を読んだ。
今年の初め、クラウドファウンディングに初めてチャレンジしてみた。それがこの本の出版だ。
エイミーさんの書く文章はとても繊細で、それでいて惹きつける何かがあって。迷わず購入した。
それからは私の仕事がとにかく忙しくなって、時々文章を拝見しながらも、忙殺される毎日。
届いても読める時間が取れるのかな?なんて思っていた。
一昨日、本が届いて、まさに昨日。待ちに待った時間ができた。
ラストスパートを無事に終え、突然現れた「時間」だった。
普段、料理を煮込む合間にスタエフを聴くのが日課になっていた私だけれど、本を読み始めると、止まらずに本を片手に料理する状態。
気づけばあっという間に半分。
嬉しいような、寂しいような、そんな気持ち。
続きを読みたくて、なかなか子供を寝かしつけてから起きるのは至難の技なのに、苦もなく起きてきて、読み終えた。
感想は一言ではもちろん伝えられないけれど、表紙の絵のような綺麗な青空が、わたしの頭の中にはずっと想像されていたような。そんな綺麗な本。
あらすじを簡単に説明すると、いわゆるスクールカーストで二番目くらいの比較的高い位置にいるマイと、一番下の位置にいる冴えないジミーの物語だ。
「スクールカースト」という言葉を初めて聞いたのは、私が高校を卒業してからのことだ。
初めてそんな学生ドラマを見た時、なんとなく「嫌だけど、わかる」感覚を覚えた。
そんな言葉は学生時代にはなかったけれど、たしかにそこにはあったのだと思う。
私は基本的にあまり嘘がつけないタイプで、相手が求めるような「答え」を出すのがとても苦手なタイプだった。
器用に、自然にその「答え」を出すことができる周りの子が羨ましかった。
けれど、この本を読んで、そんなことができても幸せじゃあないのかもしれない、と思った。
器用に立ち振る舞えたとして、それが自分の本心かどうかはわからない。本心と違うことでも自然に言えてしまうことで、自分がわからなくなってしまう。それって本当に幸せ?
学校内の位置がどうだというんだ。
そんなの、社会に出たらさらに自分を見失っていくだけ。
そうやって、色々考えていると、ふととんでもないことに気づいた。
私がなりたかったのはスクールカースト上位の子じゃなくて「ジミー」だったのだ。
器用にたち振る舞えて、やりたいこともできる人。そんな人を羨ましく思っていたけれど、実際そんな人はどれくらいの割合でいるんだろう?
器用に、当たり前のように周りの空気を読んで行動できるってことは、自分のやりたいことより、他人から求められていることを優先するってこと。自分と他人のニーズ、すべてが一致するはずがない。
それだったら、周りから笑われても、最初から自分のしたいことを見失わずに、維持できる人。そんな人の方がずっといいと思うのだ。
思えば、わたしが憧れる人はみんなジミーのような人だったのかもしれない。
人とは違う感性を持っていることで、悩んだりしながら、それでも自分を貫きたい。そうやって不器用に自分を表現している人が私は好きなのだ。
自分の人生、周りに振り回されて棒に振るの?それって楽しい?
私は楽しく生きたい。
ただそれだけ。
そんなことをこの本から改めて学んだ。
エイミーさんが修正したと言った余白が本当に綺麗であっと言う間に読んでしまう本。
エイミーさん、素敵な本をありがとうございました。