なぜ、SHIROの工場に「年間30万人」訪れるのか?
選択肢は無限、というけれど
働き方にも多様性が生まれ、現代は「生き方を自由に選べる時代」なんて言われることがあります。
でも、現実はそうではない…というのが私の考えです。
確かに、以前に比べると、生き方には多様性が生まれていると思います。都会では転職は当たり前になり、結婚しない人生も珍しくなくなりました。だけど、日本全国すべての地域がそういうわけではありません。
SHIROの創業の地である北海道砂川市は、人口が1万6000人ほどの小さなまちです。小学校は5校、中学校は1校しかありません。2026年度には、小中6校がひとつに統合された9年生の小中一貫校である砂川学園だけになります。市外に出るなど大きな決断をしない限り、義務教育の9年間を、同じ仲間と同じ場所で過ごす。子どもの立場からすると、選択肢がありません。
東京に暮らしていたら、選択肢はたくさんあります。学校も自由に選べるし、遊ぶ場所だって挙げたらキリがありません。一方、砂川に限ったことではないと思いますが、ひと息つけるようなカフェもない。遊ぼうと思ったら、車で1時間かけて、札幌や旭川まで出ていく必要があります。
私も若い頃は、一人でくつろげる場所が「車の中だけ」でした。都心と地方では、常識がまったく違うのです。そうした事情もあって、砂川に新しくつくった「みんなの工場」は、人々の憩いの場にしたいと考えて建設計画を進めていました。
とはいえ、建設計画といっても、最初からあったのは「私たちの想い」だけでした。工場を建設するにあたってコンペを開かせてもらったのですが、「オープンの時期」と「みんなで工場をつくる」ということしか決まっていませんでした。
振り返ってみると、とても粒度の粗いオーダーですが、そもそも粒度が荒いかどうかすら分かっていないくらい、想い優先のプロジェクトだったのです。
建物ではなく、空気をつくる
コンペには、誰もが知る著名な建築家を含め、複数の建築事務所の方が参加してくださいました。
こんな言い方は失礼かもしれませんが、選ばせていただいたのは、当時はまだ実績がいちばん少なかったアリイイリエアーキテクツさんです。
アリイイリエさんは、有井さんと入江さんというご夫婦が経営されている建築事務所。あとあと話をお聞きすると、お二人とも「コンペで絶対に選ばれない」と思っていたそうです。
でも、だからこそ、「どうせ他の人が選ばれるんだから、せめて言いたいことを言おう」と考えられたそう。私たちは、その思い切った提案に、心を動かされました。
お二人の提案には、こう書かれていました。
つくるプロセスをつくる
工場を開くと学校になる
ここで働くことが誇りになる
土地を耕す
土地のリスクと向き合う
どんな施設にしたいかという限定的な視点ではなく、どんな砂川にしたいか、という広いビジョンが提示されていました。アリイイリエさんだけが、「みんなの工場ができることによって、砂川というまちがどう変わるか」までを描いていました。
アリイイリエの師匠である建築家の小嶋一浩さんは、「建築家は、壁や屋根をつくっているんじゃない。そこに生まれる“空気”をつくっているんだ」ということを、よくおっしゃっていたそうです。
お二人の提案からは、「工場ではなく、砂川の空気をつくるんだ」という意志が感じられました。初めてプレゼンを聞いたときは鳥肌が立ちましたし、経験や実績よりも、想いが通じ合っていることのほうがよっぽど大切なのだと再認識できました。
「オープンの時期」と「みんなで工場をつくる」ということしか決まっていなかったのに、こんなにも素敵な工場ができたのは、間違いなくアリイイリエさんのおかげです。
採算度外視の工場をつくった理由
みんなの工場はもともと、見学通路があって、そこから製造ラインが見えるような動線をイメージしていました。SHIROの製品をつくるプロセスの一部を、施設を訪れる人に見て欲しかったからです。
ところが、完成したみんなの工場には、見学通路はありません。来館者がくつろぐスペースと製造ラインはガラスで仕切られているだけで、まるで同じ空間にいるかのように感じられる設計になっています。これも、アリイイリエさんの提案から生まれた「工場をひらく」というアイデアです。
製品開発の裏側を公開することは、強い覚悟がいります。製品の製造工程を、すべて見られるわけですから。でも、SHIROは誠心誠意ものづくりをしてきましたし、その意思はこれからも変わることがありません。だったら、いっそのことすべて公開することで、社会をよくしていこうという決断をしました。
誰かが心を込めてつくった製品でも、売場で手に取るときは、つくり手の想いは見えません。だから悲しいことに、簡単に捨てられてしまったり、ときには雑に扱われてしまったりすることもあります。
製造工程を知ることができたら、どうでしょう。「もっと大切に使ってみよう」と思ってもらえるかもしれませんし、つくり手も自分の仕事にもっと誇りを持てるかもしれません。
また、工場での仕事って、危険が伴うとか、よごれてしまうとか、必ずしもいいイメージだけを持たれているわけではないと思います。そういうイメージを変えたいという考えもありました。
SHIROは「自分たちが毎日使いたいものをつくる」という想いでスタートしたブランドであり、それをつくっているスタッフたちはブランドの誇りです。工場で働く製造スタッフは、とてもかっこいい。その姿を子どもたちに見てもらうことで、ものづくりのあるべき姿を知ってほしかったのです。
工場をひらいたことで、会社の利益が増えたわけではありません。現時点では「社会がよくなった」といえる成果が出たわけでもありません。それでも、10年後にはきっと、変化を起こせていると信じています。
「みんなの工場がきっかけで、砂川で働くことにしました」「みんなの工場で働くスタッフの姿を見て、ものづくりをすることにしました」という人が出てきてくれるのではないかと、期待しています。
みんなの工場を建設するためには、もちろんコストもかかります。社会に対して誠実に向き合い、社会に対してお金を使っていけば、いずれ社会だけでなく会社もよくなっていくと信じています。
年間30万人が訪れる工場
社会がよくなっていけば嬉しいですが、いつも「社会を変えるために」と意気込んで行動しているわけではありません。1日1日、目の前の課題に向き合っている。その繰り返しが、社会の変化につながると信じて、コツコツと取り組んでいます。
こうした考えを持てるようになったのは、社長という肩書を脱いで、会長になってから。砂川に工場をつくったことも、工場をひらくというコンセプトも、会長にならなければ実現できなかったことです。
コンセプトの参考にさせていただいた富山県の鋳物メーカー「能作」さんには、ここで改めて感謝の言葉を伝えさせていただきたいです。能作さんの本社工場では、製造現場の見学だけでなく、職人さんと同じ技法で「ぐい呑(盃)」を製作できるんですね。職人さんたちと会話ができるなど、一般的にイメージされる工場見学とはわけが違います。
みんなの工場にはショップやカフェが併設されていますが、その参考にさせていただいたのも能作さんです。スタッフの方々がおすすめする近隣のお店が一目で分かるカードを配っているのも印象的で、まさに工場ではなく“空気”をつくられていました。
工場の設立に携わったスタッフだけでなく、全国各地からアイデアを募集した結果、みんなの工場は1年で30万人のお客様がいらっしゃる施設になりました。砂川の人口が1万6000人であることを考えると、ものすごい人数です。規模でいえばちょっとしたテーマパークです。
私はSHIROが一人勝ちできればいいなんて思っていません。SHIROを通じて、砂川を「たくさんの人が集まる場所」にしたいと思っています。
まだまだこれからですが、私の想いは形になり、少しずつ理想に近づいています。いつか砂川が、みなさんの旅の目的地になってくれたら…。そのときはぜひ、私たちのふるさとを訪れた感想を教えてください。
(編集サポート:泉秀一、小原光史、バナーデザイン:3KG 佐々木信)