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【映画】Words on Bathroom Walls/僕と頭の中の落書きたち(2020)

実験の授業中、幻覚が現れたことで事故を起こし、統合失調症と診断されたアダム。治療法が見つからず病を隠して高校生活を送るなか、「普通の人生を送ること」を諦めかけていた。そんなある日、彼は同じ学校に通うマヤと出会い、次第に惹かれあうようになる。

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統合失調症当事者を主人公に据え置いた物語。閉塞感や諦念に支配された主人公アダムの世界に、マヤとの出会いが持ち込まれることで、アダム自身の「外界」との関わり方が変化していく。与えることが難しいのと同じくらい、受けとることもまた難しい。それ故の葛藤が濃やかに描かれている。

誰かの統合失調症について、私自身が真に理解したと言える日は来ない。当事者性とはまた別に、より一般的な次元で、他者の感覚を私が直に経験する術を(もちろん今のところという限定付きではあるが)私は持たない。

オーラルな表現、身体的動作といったものを媒介して他者とのコミュニケーションを試みる。概ね、「成立しているような感じ」で、私の日常生活は構成されている。しかし、間に挟まれる表現・動作、その動機がある程度類型化されていないとき、社会の暗黙の了解に沿ったものでないとき、私は困惑する。意図を解読する術を持たない私は茫然と立ち竦む。漠然とした恐怖が私を包み込んでいく。通用しない知識の盾は、投げ捨ててしまうほかない。私は武装を解除して、身一つでその人と対峙することとなる。

本作は、映像を通じて、「ある」統合失調症当事者にとっての世界を可視化する。もちろんそれは映画という形式の限界を超えるものではないが、少なくとも、私の中に潜む、罪悪感を伴う恐怖を、少しばかり緩和してくれた。想像力の幅が、また一つ広がった。やや美しく描き過ぎている部分に関しては、その美しさや滑稽さ故に、はじめて見る世界の衝撃に耐えられたこともまた事実であろうから、少なくとも私にとっては、必要な演出だった。

差し伸べられた手を素直にとることは、救いの手を差し伸べることと同じくらい難しい。救いの手を差し伸べるというのは一方的なものではなく、つまり、一方が一方を引っ張り上げるというようなものでは決してなく、共に歩いていく覚悟の表明そのものである。

アダムとマヤ、母、義父、義弟、いずれの関係性も、アダムが一方的に寄りかかるようなものではなく、救う側がその裏で救われ、という循環を成している。

健全に他者の人生に食い込んでいくことは、依存でも寄生でもない。
共生そのものだ。

2023.8.7

監督/製作:トール・フロイデンタール
原題:Words on Bathroom Walls/2020年/アメリカ/G/110分

僕と頭の中の落書きたちオフィシャルサイト


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