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思考や感情の原因が「普通」「常識」になりつつある

なぜ怒っているのか?という言葉に対し、最近明確に答えられなくなっている気がする。

今日も妻さんと喧嘩した。妻さんの物言いが気に食わなかった。でもなぜ気に食わなかったか?と考えると、僕が嫌だったというより「他人から見たらおかしいと指摘されそうな物言いだったから」という理由のほうが大きく感じる。

他人の声、つまり「普通」「常識」によって感情が動くようになっている。

たとえば妻さんがちょっと嫌なことを言っていたとする。そのときに「嫌な言い方やね」と心のなかで思うとき、それは僕の声じゃない。友達の声だったり、妻さんの親の声だったりする。

僕がどう思うかじゃない。「普通」「常識」から逸脱しているかどうかが、怒りの原点になっている。

僕が悪いとも言い切れない気がする。人間は組織の秩序を守るため、常識や普通といった「規範」を作る(引用文献1)。同一集団が一体感を保ち、快適に過ごせるよう規範を作る。

規範によって秩序が作られる。規範を破る者は秩序を乱す者だ。だからみんなの攻撃の対象となる。自分が不利益を被らないように

会社でサボってる他人を指摘するあのオバちゃんも、掃除をサボってる坊主を叱る上級生も、常識や普通といった規範を大切にしていたのかもしれない。そのような規範に反するのは良くない、と思うように人間が設計されているから。

「社会規範」はひとつじゃない。文脈によって変わる。あるタイミングで起こされたある人の行動は「普通」なのに、タイミングや場所、起こす人が変われば「常軌を逸している」と思われる。

なぜそんなに社会規範が大切なのか。その理由は自分の身を守りたいから、だと思う。

人間は集団で行動するからこそ生き残ってこれた。集団が崩壊すれば、待っているのはあんまりよろしくない結果である。そのため集団を維持するための機能、つまり社会規範を大切にする能力・遺伝子が受け継がれてきたのかもしれない。

文化的な側面も無視できない(引用文献2)。日本人のマナーは、日本人という集団の中で生活することで身につけられる。規範を守れない人がいるだけで、迷惑がかかる。不平等が生じる。自分が嫌な目にあってしまう

文化的な側面も進化的な側面も、ものすごく複雑だし、自力で止めることはできないものだと思う。とはいえ、自分の行動原理が「普通」「常識」なのはなんか違う。

癪だ。

眼の前の現実をきちんと見れているだろうか?決めつけで処理していないか?

そんなつまらないものになぜしがみつく?そうやって自分ではないものを大事に抱えるせいで、僕は妻さんと喧嘩をする。

明らかに機能的じゃない。僕が目指したいのはそんなコミュニケーションじゃない。

でもなかなか手放せない。自分がまだかわいいんだろう。自分のことを守りたくなるからなんだろうな。僕は悪くないよ〜と主張したくなる。家族である妻に対しても。

でもそれは、執着ともとれる。別に「普通」にこだわらなくても、僕の存在が脅かされるわけではない。集団が直ちに崩壊するわけではない。むしろそのような執着によって、摩擦が起こり、よろしくない方面に物事が進む

自分というものにそこまで執着してどうする。自分のものだと思っている身体だって自分のものじゃない。言うことなんて聞いてくれやしない。なりたくないのに病気になる。すぐ弱くなる。

自分も所詮、借り物だ。色即是空だ。刻一刻と僕は変化し続けている。僕だけじゃない。家の壁も道路に生えてる草も、少しずつ変化している。老化、学習、成長、さまざまな言い方ができるけど、共通しているのは「変わっている」ということ。

とはいえ、自分に対する執着を手放すのは、相当に大変。すぐ「普通」「常識」に逃げたくなる。でもそれでは、僕が目指す優しさを実現できない。

そうやって逃げ出したくなる自分に対し、まずは優しくならなければならない

まずは何かを恐れていることを認める。自分のメンツがなくなることかもしれない。自分の頑張りを認めてもらえないことが嫌なのかも。自分ばかり嫌な目にあう不平等さが嫌だと感じている可能性もある。

自分が怖がっているものに気づいたら、まずは自分が優しくしてあげなきゃいけない。怖いよね、嫌だよね、そう思うのは仕方がないよね。

他人に期待しても仕方がない。自分以上に、思い通りにいかないのが他人。そもそも他人は、自分を支えるために生きているわけではない。他人には他人の人生がある。

だから、優しくしてほしくても、応えてくれないかもしれない。ならまずは自分が味方になる。自分だけでも味方になる。それが「自分への優しさ」な気がする

他人を利用して満たす必要がなくなれば、執着もいずれ消えていく。何かを恐れていたとしても、その感情もやがて変わる。うまい飯食って、たくさん寝れば、心も幾分か元気になってくれる。

だからまずは自分に優しく。そのうえで手を放す。そして他人に優しくなれる。僕が目指す優しさはそんな感じだ。自分を見つめ、その後に現実を直視する。常識や普通にとらわれず、自分の視点でフラットに見つめる。

いつまでビビっているんだい。大丈夫。しょうもないことさ。まだ何かを怖がっているみたいだね。大変苦労しているみたいだ。つらいよね。

ここから始めようと思う。

引用文献1:Rakoczy, H., & Schmidt, M. F. H. (2013). The early ontogeny of social norms. Child Development Perspectives, 7(1), 17–21.

https://doi.org/10.1111/cdep.12010

引用文献2:Heyes, C. (2024). Rethinking norm psychology. Perspectives on Psychological Science, 19(1), 12–38.

https://doi.org/10.1177/17456916221112075

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