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死後も介護される人々

生前アルツハイマーだったり介護を受けていたりしていた人が、亡くなってからもまだ介護を受け続けているところを視ました。

死んだら解放される! と思うかもしれないけど、死んでもまだ生前のつらさが続いてしまうところを目撃して、ああこれは怖いことだなと思いました。

死後も介護を受け続けている人たちが暮らす、特殊なコミュニティが霊界にあることも分かりました。そこでは介護を担当する霊もいて、高齢者用の施設で働いているような人たちが、いっしょに歩いたりいろいろサポートしていました。

認知症だった人は死後の世界でもまだ認知症で介護を受けていました。一人で歩けなかった人は、担当者が付き添って、ゆっくり歩いていました。

死んだら自由に動き回れるようになんかなっていませんでした。杖だった人は杖のままです。アルツハイマーだった人はアルツハイマーのまま。悲しいことですが本当にそうでした。

「死んだら楽になる」はない。生きている間にどれだけ自分でどうにかできるか、限界を突破できるか、障害や壁に心折れずにやれるか、にかかっているようです。年だからねー、はだめなんですね。

私が高校生のとき亡くなった、大好きだったおばあは、杖をついた障害者で、しかも亡くなったときは完全にぼけていて娘も孫も見分けがつかない状態でした。おばあは死後の世界でもまだ杖がないと移動できないし、マインドもぼんやりしています。どうにかしてあげたい。でもすごく難しい。

おばあが私のことを大事に思っていてくれたこと、今も大事に思ってくれていることは変わらなくて、それは死後の世界で暮らすおばあを視ると感じられます。でもおばあのいる空間は薄暗くて居心地も良くない。まだ次の段階へ進んでいないことが一目瞭然です。おばあの見えている視界や動き回れる範囲が狭いことが分かるんです。

でも、そんな世界にいるおばあからの光や愛情は、私のいる世界(次元)まで届いています。死後の世界でぼけて介護を受けている人たちも、生きている人たちへ何らかのエネルギーを送っているようでした。

でもやっぱり、生きているあいだにどれだけ正しい努力ができたか、ということが、死んだあとの状況やランクに影響をするみたいなのです。死んでから挽回できる部分は、生きている間にできることと比べるとかなりギャップがあるので、やっぱり生きているあいだに頑張らなければならないんだなと思いました。

思うように動けない霊たちを視ていると、すごく悲しい気持ちになります。かわいそうだけど、1ミリずつでもレベルアップして次のステージを目指さなくてはなりません。残酷なくらい時間のかかることです。

生と死の境目はある意味シームレスだった! 肉体があるかないかだけで、自分の魂は変わらないまま、が基本。自分はどうやって生きていきたいかな? とけっこう考えさせられました。

死んでから心入れ替えて努力、は都合がよすぎる話。努力するなら今か~、やっぱりそうだよね。死んだ人たちも救いたいけど、まずは自分が心身ともにちゃんとしてないと、人助けもなにもないなあ(笑)

後日、死後の世界にいるおばあと連絡が取れたので記録しました↓


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