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【致死量レベルの青春濃度】『劇場版「からかい上手の高木さん」』の感想を今更語る

私の名は、ツユモ。
恋愛アニメ映画マイスターである。

今回の記事のテーマは、表題の通りだ。
本作は2022年6月に劇場公開された作品であるが、なんとなく見る機会を逃してしまっていたため、先日Amazon Primeで初めて鑑賞したのである。

だが、私は軽い気持ちで深夜に再生してしまった自分の浅はかな行動を酷く後悔した。まだ見ていない方がいれば一つ忠告しておくが、この作品、自分の人生というものに悲観している大人は見ない方がいいかもしれない。

私はこの映画を見終わったとき、気づくと涙が溢れそうになっていた。
作品の内容が感動的だったからではない。
あまりにも眩しく美しい希望を見せられた満足感と、そしてそれがもう二度と手に入れることができない輝きであることを知った絶望が同時に襲ってきて、感情がめちゃくちゃになってしまったのだ。

この作品には、僕らの求めていた理想の青春が全てある。
2ちゃんの「青春を感じる画像貼ってけ」系スレのレベルMAXである。

というか、見終わったあとの感情完全にこのAAだわ。
もう感想書くまでもねーわ! 解散! うーんち!! 滅びろ商店街!!


…と吐き捨てたいところだが、流石にこんな記事をインターネットの海に放流するのは多方面に失礼なので、一応ちゃんと書きます。

あとまず、誤解がないように補足しておくと、作品自体は非常に素晴らしいです。
仮に問題があるとすれば、それを鑑賞する人間の心の弱さにある。
自らがどれだけ幸福な存在であるかを、他者の人生との比較、すなわち相対的価値観に基づいて決定する愚かな思考様式を排除し、自らの中から内発的に湧き上がる絶対的価値観に依拠して幸福を感じ取れるたくましさを身につけよう。この作品はそんなメッセージを我々に伝えてくれているのかもしれない。

さて、そもそもの話だが、「からかい上手の高木さん」といえば、古くから無数に存在する二次元恋愛系作品群において昨今メインストリームのジャンルとなりつつある、「1対1の両片想い男女ラブコメ」のパイオニアとも言える偉大な作品である。

その内容はもはや説明するまでもないが、表情豊かでちょっと不器用だけど真っ直ぐな中3男子の主人公・西片と、何事においても常に彼の一枚上手を行くクールで才色兼備なヒロイン・高木さんが、いちゃいちゃするだけである。

そう、ずっといちゃいちゃするだけである!!!

というか、むしろこれ以外の要素がびっくりするほど何もない。
ライバル的なポジションのキャラクターが出てきて二人の関係性を掻き乱したり、どのヒロインとくっつくかわからないハーレム的な展開になったり、どっちかに余命わずか的な設定があったり、といった「作品をドラマチックに魅せる要素」を極限まで削ぎ落としている。

だが誤解しないでいただきたいのが、だからといって恋愛作品として他と比べて劣っているとかそういうことが言いたいのではない。むしろ顧客に提供するベネフィットを一点特化させている、という意味で非常に洗練されていて素晴らしい。
2013年から連載されている比較的長寿な漫画ではありつつも、(結局パターンがほぼ決まっているので)実質ストーリーなんて無いようなものというか、もはや一切台詞なしの無声作品でも成立するのでは、というレベルで研ぎ澄まされていて、たまに読んでいて怖くなる。言うなれば、オタク向けのトムとジェリー…いや、アンパンマンかもしれない。

というわけで、今回の映画に関しても「ストーリーがめちゃくちゃ凝ってる!」という感じではないため、そこに期待しすぎると肩透かしを喰らってしまうかもしれない。
劇場版あたしンちのように、映画になったからと言って急にファンタジー要素を入れてきたり物語のスケールを大きくすることもなく、良くも悪くもTVシリーズや漫画と変わらぬ二人の「日常」がありのまま描かれており、そこについてはスタッフの並々ならぬこだわりを感じた。(「そもそも高木さんの存在自体がファンタジーレベルMAXでは?」というツッコミはここでは無視する)

ただ、それを踏まえても個人的には「もう少しドラマチックに描写してほしかった」と思ってしまう箇所も多い。
特に気になった点で言うと、クラスメートの一人から、高木さんに告白しろよ的なことを言われて「俺は別にそんなんじゃ…」と否定するシーンや、虫送りに誘いつつも「高木さんが蛍見たいって言ってたから…」と言い訳するシーン、バス停で高木さんから手を伸ばしてきたのに手を繋ぎ損ねるシーンなどなど、割と中盤まで西片が自身のプライドを守るために高木さんへの恋心を否定する場面が各所に散りばめられていたにもかかわらず、終盤で西片がその弱さを自覚的に乗り越えるような描写がなかったのは残念。

この作品最大の見せ場とも言える、「俺が高木さんを幸せにする」のシーンも決め台詞としてはカッコいいが、悪い意味の普段のキャラ性との乖離というか、言葉に行動が追いついてない感じも少し受けてしまった。例えば、終盤で泣いている高木さんに声をかけるシーンで、高木さんに触れることに一瞬躊躇しつつもそれでも勇気を振り絞って手を握る、的な描写が多少あるだけでも全然印象違ったと思うんだけどな…
そもそも心情描写多めのキャラ設定な訳だし、高木さんとの距離感を普段からめちゃくちゃ気にしている男の子なんだから、この辺の心の動きを省略してさらっと描写しちゃうのは勿体なく感じてしまった。

まあただこれは、私が高木さんのようなキャラがクッソ好きすぎて、そのパートナーである西片にも理想の男であってほしい、と思ってハードルを上げてしまってるからなんだろうな…
あ、でも岩場を着物で歩く高木さんを自然とエスコートするラストのシーンはすごく良かったゾ、西片くん!!

あと別に全く本流では無いのだが、劇場版のテーマとして「中学生最後の夏」というのが強調されていただけに、メインキャラみんな中3にしては精神が幼なすぎないか!?というのが妙に気になってしまった。
設定年齢小6くらいでちょうどいいというか、中3って友達とグリコしながら帰るか!? 

…と、これ以上続けると粗探しみたいになってしまいそうなので、最後に「絵」の部分について少し触れて締めようと思う。
言うまでもなく原作の魅力の根本を支えているのが、作者である山本崇一朗氏のシンプルながらフェチズムを感じさせる素晴らしいイラストである。

▲世界で最もフォローすべきアカウントの一つ

TVアニメシリーズにおいては、そのキャラクターの表情をすごく丁寧にアニメーションに落とし込んでいたが、今回の劇場版ではそこに小豆島の美しい田舎風景の高カロリー作画が随所に挿入され、絵的にも非常に見応えのある作品になっていた。

つまるところ、高木さんという超絶魅力的なヒロインと、小豆島という美しくノスタルジックな田舎風景、という舞台設定そのものの非凡さを除けば、「西片という平凡な主人公が送る日常物語」でしかないのが、今作の魅力的でもあり恐ろしくもある部分である。
せめて「剣と魔法の世界でチート無双する」とか「タイムリープして運命を変える」とかの要素があれば、今見ているのは夢物語だと割り切れるのだが、なまじ我々の住む世界と地続きにあってもおかしくない物語が展開され続けるだけに、気を抜くと自分でもこの幸せに手が届くのではないかと錯覚してしまう。
あとこの手の作品のヒロイン像にありがちな、「クラスのマドンナ」「男子全員から人気の高嶺の花」的な要素が高木さんには特に無く、高木さんの容姿についてクラス内での客観的評価が特にされていないことも「なんか手が届きそう感」に寄与しているような気がする。

だが、現実は非情である。
大人である我々がこの幸せを手に入れることは未来永劫ありえない。
ぼんやり生きているうちに、つまんねー大人になってしまった我々にできることはもはやただ一つ。今を誠心誠意真っ直ぐに生きて、次の輪廻転生に期待することだけである。
というわけでみんなも今世で徳を積みまくって、来世で西片になろうぜ!!
それじゃ!!

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