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【純真ゆえの歪み】アニメ映画『数分間のエールを』感想・レビュー

私の名は、ツユモ。
恋愛アニメ映画マイスターである。

今日も今日とて、特に恋愛要素のないアニメ映画『数分間のエールを』の感想を綴っていきたい。
今作はMV制作に没頭する高校生・朝屋彼方と、ミュージシャンとしての夢を諦めた英語教師・織重夕が出会い、それぞれの分野での「モノづくり」の中で心を通わせていく物語である。
恋愛アニメ映画に日々飢えている私などは、鑑賞前から「もしかして恋愛要素あるか!?」と期待していた部分も多少あったのだが、観終わった今になって思うとこの作品において「恋愛」という概念は無くて大正解だと感じた。

主人公の彼方は、モノづくりに対してひたすら真っ直ぐで、「誰かの心を動かし、エールを送りたい」という行動原理のみで動く「ザ・主人公」ともいうべき超好青年である。
これは個人的な意見だが、これだけ純真で真っ直ぐな主人公だとどうしても「嘘っぽさ」が出てしまいかねないところを、演者である花江夏樹氏の「竈門炭治郎」としてのイメージがうまく補っていて、絶妙なキャスティングだと感じた。

そんな主人公・彼方が、織重夕の歌唱に心奪われるところから今作の物語は始まるが、二人の心の距離が縮まっても、互いを異性として意識するような甘酸っぱい場面などは一切なく、最後まで教師と生徒の健全な関係を貫き通す真摯な作品であった。
彼方が夕先生の歌唱をベタ褒めする場面でも、彼方が先生のことを「美しい」とか「綺麗」とかいう言葉で評したことは(多分)ないし、彼方はただ純粋にそのパフォーマンス=モノづくりの姿勢に「感動」し、その姿を応援したいという想いだけで我武者羅に努力を重ねていく。

我々のような邪な心を持ったオタクなどは、織重夕先生のアンニュイな感じのキャラデザについつい心奪われてしまうが、「将来二人は恋愛関係になるのかなー」などと思わせるような雰囲気すら無い、徹頭徹尾「ピュア」な作品だったと思う。

▲目の下の隈が良いですよね…

そういえば、主人公のクラスメート・中川萌美の過去のエピソードとして、演奏中にステージにあがってきた彼氏をベースで殴りつけた、という逸話が登場するが、ここからも「モノづくり>>>>>>>>>>恋愛」という本作のポリシーが感じられ、恋愛なんて大人の汚れた世界が入り込む隙間などない潔さを感じた。


…と、ここまで書いたところでパンフレットをパラパラめくっていたら、織重夕のキャラ紹介文に、
「モノづくりを始めた理由は、失恋から。」
とシレッと書いてあってぶったまげた。

アンタ、劇中でそんなそぶり一切無かったやん!!!!!


……詳細キボンヌなので、スピンオフ待ってます。


「モノづくり」で魅せる覚悟

そのほか良かった点として思いつくのは、劇中で登場する人物の制作したクリエイティブを視聴者にもフルで見せ切ったことである。
これはこの世の創作物すべての悩みかもしれないが、作中でキャラクターが全身全霊で作り上げたものは、それ相応の説得力あるクオリティで視聴者にも提示しなければならないジレンマがある。
超売れっ子のお笑い芸人を登場させるなら、そのセリフを考えるライターは万人に面白いと思わせるネタを書かないといけないし、絶世の美女を出すなら当然キャラデザ担当は他キャラより数段高いレベルのデザインを追求しなくてはならない。

今作の場合で言えば、夕先生が歌う歌には、彼方に「生きていて一番感動した」と思わせるだけの説得力がないといけないし、ラストで彼方が完成させたMVなどはさらに高いハードルを飛び越えないといけない。
なにせ、一度は心折れかけた主人公が、それでも「先生を応援したい」という一心でボロボロになりながら自転車で先生を追いかけ、先生の音楽人生の全てとも言える100曲を聴き、あらゆる時間を惜しんで命懸けで作り上げたMVである。

その映像を視聴者には見せない、もしくは一部分だけ見せてあとは想像で終わらせるという選択肢もあっただろうに、フルで視聴者に見せ切ったうえで、それを観ているキャラたちの「すごい…!」的なワイプ芸を挟んだりするような逃げもしなかった覚悟には脱帽するしかない。(正直、MV製作を初めて1〜2年の高校生が完成させるにはセンスも技術もオーバーすぎるとは多少思うが、そのツッコミは野暮だろう)

あとは、『映画大好きポンポさん』でも似たような場面があったが、「映像編集」という実写ではどうしても地味に見える作業を、今作では3Dアニメとしての利点を活かして魅せているのでそこも非常に良いシーンだった。


「モノづくり」は誰のためのものか

逆に気になった点を挙げると、「全身全霊を込めたモノづくりで、誰かの心を動かす大変さと尊さ」が本作のテーマだと思うが、そのテーマをあまりにも明確に劇中で言語化しすぎていて、ちょっと「進研ゼミの漫画っぽさがあるな…」と感じてしまった部分もある。

特に、予告でも使われている「これが、モノづくりの始まり」という言葉や、劇中ラストの「今度は、モノづくりの世界で会いましょう」(うろ覚え)という言葉は、画面の外の視聴者に刺すため「モノづくり」という広い語彙を急に使っているせいで、台詞としての不自然さを少し感じてしまった。

また個人的に一番気になったのは、作中でキャラクターがモノづくりをする目的が、「誰かの心を動かすため」という、他者の存在をベースにした考え方しか存在しない点である。

作品のテーマを全否定しかねないので言うのが少し憚られるが、そもそも個人的に「モノづくり=誰かへのエール」という図式にピンときていないところがある。
これは自分がひねくれているからかもしれないが、一度は心折れかけた主人公が再びMV制作を始める理由として、「先生を応援したいから」と言っているシーンで、それは独善的で傲慢な考え方ではないかな…と思ってしまった。

「なんで僕はモノを作るのか」

そんな問いに徹底的に向き合った答えとして、「先生が〜」「誰かの心を〜」という綺麗事のような名言を叫ぶのではなくて、結局は「自分が作りたいから、作らせて欲しい」というエゴがあることをこの主人公には自覚して欲しかったし、その醜さをもっと曝け出して欲しかったなあと思う。

そもそも、この作品では「モノづくり」と「誰かに届ける」が当然のように同一視されているが、「単純に作るのが好きだからモノづくりをするし、別にその成果物を誰からも観てもらえなくても良い」という自己完結的な考え方も普通はあって然るべきである。

しかし今作では、自分の音楽の才能では食っていけないことを悟った夕先生はギターをメルカリで売ろうとするし、ラストも「趣味」として音楽を続けるENDでも十分ハッピーエンドなのに、あえて教師という道を辞めて「職業」として再び音楽の道を歩むことを決意して完結する。

一見「モノづくりを頑張る全員にエールを送る」という前向きなテーマを掲げているように見えるが、「誰にも届かなくても、好きだから作るんだ」というアマチュア的な考えはこの作品世界では認められない。
むしろ、「誰にも届かないのであれば、モノづくりをする意味はない」とでも言わんばかりの、才能主義的で商業的な目線で「モノづくり」が語られている空気を私は感じてしまった。

このあたりは、そもそもこのアニメ映画自体が商業作品であり、そのクリエイター達が商業として日々「モノづくり」に向き合っているがゆえのシビアさな気もしているので、一概にそれが悪いとは言えないのだが…


せっかくなので、最後に主人公の親友ポジである外崎にも言及してこの感想記事を締めたい。(「外崎」で「トノサキ」って読むの難読すぎるだろ…!)

この作品において彼は「モノづくり」の道を諦めた人物として描かれており、終盤では芸術系の大学に行くのではなく、一般的な受験勉強を頑張る悲しげな姿が描かれる。
中盤では、自分の渾身のMVが刺さらず自暴自棄になった主人公の八つ当たりを一身に受けることになるわりに、特に劇中では救いある描写もないまま物語が終わる薄幸で不憫な人物でもある。
一応、彼の努力の結晶である大量のスケッチブックを見て心動かされた主人公が、最後のMVのテーマとして「絵を描き続ける少女」を選定していることから、彼の「モノづくり」の軌跡は無駄じゃなかったというメッセージが込められているのかもしれないが…

ちなみに入場者特典の後日談コミックを読むと、なんと外崎が本屋で受験の参考書に混じってイラストの本を買う様子が描かれているのだ…!

普通の参考書も買っているので、芸術系の大学に行かないことについては変わり無いのだろうが、「趣味としてのモノづくり」を続けることについての前向きなメッセージが込められているようにも見えるので、なんとか本編に入れ込んで欲しかったなーと思う。

とまあ、長々文句を書いたが、70分前後の映画とは思えないレベルの満足感があることは間違いないので、興味のある方は是非見に行って欲しい。
夕先生のキャラデザめちゃくちゃ最高なので…!!

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