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誰かが我慢する環境はどこかでひずみを生む

先日、桜と親子の写真を撮らせてもらいました。


お母さんが高齢でもう99になるらしく、杖をついて歩くのも少しづつという感じでした。


僕の祖母もまだ健在で歳が近いくらいですが、そんなに普段から接することもなく
「どういう対応が喜んでもらえるのかな」
という思いが最初強かったように思います。


まず歩かなくてもいい場所を選んだり、階段がなるべくない場所を選んだり、でも桜がちゃんと見れる場所を選んだり。


そんなことを全無視して自分が
「ここってめちゃくちゃ桜綺麗なんですよー!!」
と言って、山の上の桜で撮影をしようと提案しても意味がないんですよね。

そうなると絶対に誰かが我慢しないといけない環境になる。

結果
「全然私たちのこと見てくれてないよね」
ってなってしまうんですよね。


これは小さいお子さんを撮る時も一緒だと思っていて
上記のように
「ここめちゃくちゃ絶景なのでここで撮りましょう!!」
と息巻いて自分で連れて行った場所が

手すりのない絶壁とかだったら親御さん気が気じゃないと思います。


子どもって走り回るし、こけるし、すぐ帰りたいってなるし、そんな子どもたちも親御さんも楽しめる場所を選ぶって非常に重要なんですね。


なので、ロケーション選びってとても大事です。




自分自身も我慢しない

ここで忘れてしまいがちになるのが自分自身の存在でもあります。

お客さんのために!とか自分が我慢すればいいやとかそういったことって長くは続かないし、お客さんにも気を使わせることになってしまいます。


なので
自分も目の前の人も喜べることってどういうことなのか』
これを考えていく必要があるんですね。


起業初期に僕は『インスタ映え』という言葉が流行って、とにかくそういうメニューばかり作って撮影をしていたんですが、だんだんと

「これって僕じゃなくていいよなぁ、僕が写真を撮る意味ってなんだろう。。」
って思うようになってました。


それは『本当に自分が撮りたかったもの』を我慢して『お金のためだけに撮ってたもの』になります。

そうやって自分自身が我慢してるだけの環境もぜひ気をつけていてあげてください。


『その場にいる人が全員気持ち良くいられる環境作り』がこれから求められるものかもしれません。


と、いうわけでゆー。でした〜✨





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