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能登半島地震 郷土力士のふるさと慰問①(石川県)
能登半島地震 大相撲初場所・郷土力士の活躍 報道リンクその1~その8
2024年2月6日、石川県出身の遠藤(穴水町出身)、大の里(津幡町出身)、輝(七尾市出身)の3関取が、ふるさと能登を慰問に訪れた。
多くの報道がなされたので、できる限り取り上げていきたい。
以下に、ウェブで閲覧できる報道記事・動画のリンクを掲載する。
※ 報道記事のURLは、日付け・番付順に掲載し、震災に関連する記述を極力抜粋する。
(参考)津幡町出身の欧勝海は、初場所直後に帰省済みとの報道あり。
北國新聞(2024年2月1日付、会員限定記事)
欧勝海、津幡帰省に笑顔 新十両勝ち越し、実家の温浴施設
1.ニュース動画
※ ↓↓ 報道ステーションで放送された、能登訪問特集。穴水町の人々、穴水少年相撲教室の子どもたち、遠藤の祖父・勇さんの声が紹介される。
8分強の時間を使って、とても丁寧に作られた現地リポート。必見。
能登の方言がとても良い。しみる。
テレビ朝日 『報道ステーション』(2024年2月6日放送)/ 遠藤「土俵から元気を届けたい」
場所前に語った胸の内・・・被災地訪問 “能登の星”
ANNnewsCH
(※ 2024年5月2日追記:下記の Youtube 動画が非公開になったので埋め込みリンクを削除した)
能登半島出身の力士らが6日、初めて被災地を訪れました。
避難所を訪れたのは遠藤関、大の里関、輝関。3人の力士は大きな歓声に包まれます。避難する人たちは握手をしたりするなど、笑顔を見せていました。
避難所にいる人:「立派になられて良かった」
避難所にいる人:「幸せ。元気が出ます」
これまで地元に戻らないで戦い抜いたのは土俵から伝えられることがあると信じていたからです。1月場所が始まる前日、遠藤は、故郷に対する思いを私たちに話してくれました。
遠藤関:「町の道路や山が土砂崩れだったり、津波が来てたり、多くの方が犠牲になってて。ちょっとつらいといいますか、悲しい出来事。元気届けたい。そのひと言に尽きるんじゃないですか。勝って白星を届けられれば」
力士たちが訪問した避難所には、遠藤の功績を称えて設けられた展示室があります。穴水の町の人にとって、遠藤は、特別な存在です。
先の見えない毎日でも、相撲を見ることが、何よりの楽しみ。遠藤の取組前になると、テレビの前には大きな人だかりができます。
避難所にいる人:「相撲に関心のないような人でも、夕方、出会ったら『きょう遠藤どうやった?』あいさつ回りみたいなもの。瞬間は相撲に一生懸命になる。そっちに力が入って、ほかのことは忘れている。その瞬間だけは」
遠藤の白星が持つ意味は、人それぞれです
避難所にいる人:「勝ったね。良かったね。震災にあって力になる。復興に向けての力」
避難所にいる人:「一緒に頑張ってほしい。穴水の宝」
子どもたちはどう見たのか。少年時代の遠藤が通った相撲教室の後輩の2人。いつも稽古をしていた土俵は、地震によって使えなくなりました。今は、相撲をみることしかできません。
穴水少年相撲教室・片矢孝太朗くん(10):「遠藤が勝ったらホッとする。遠藤が勝ったら高齢者の人達が喜ぶ。それで安心する」
穴水少年相撲教室・小向純耀くん(10):「大人は元気がない」
家族は、複雑な想いで取組を見ていました。祖父の勇さん。1月場所を大きく負け越してしまった遠藤。千秋楽の一番です。
遠藤勇さん:「残念、終わりです」
場所前、遠藤は家族にこんな本音を打ち明けていました。
遠藤勇さん:「足が痛いので『踏ん張りがきかない』と言っていた。あの子たちは公の場で『足が痛い』とか言えない。『1勝でも勝って元気な姿を見せたい」という話をした」
遠藤の後輩たちは、相撲教室に参加しました。
穴水少年相撲教室・片矢孝太朗くん(10):「遠藤関みたいな来ただけで喜ばれたり、地元のスターみたいな力士になりたい」
遠藤関:「『必ず、元の日常に戻る』と信じていますので、それまで大変だと思いますが、僕も土俵で頑張りますので、一緒に頑張りましょう」
(【報道ステーション】ANNnewsCH、2024年2月6日)
【“能登の星”遠藤関『土俵から元気を届けたい』】#大相撲 の遠藤関(穴水町出身)大の里関(津藩町出身)輝関(七尾市出身)が被災地を訪問しました
— 報道ステーション+土日ステ (@hst_tvasahi) February 6, 2024
遠藤関
「『必ず元の日常に戻る』信じていますので、大変だと思いますが、僕も土俵で頑張りますので、一緒に頑張りましょう」… pic.twitter.com/kWvFswancH
北陸放送 / 「サプライズ訪問に被災地が笑顔」
石川出身の力士が慰問【石川・能登半島地震】
郷土力士たちのサプライズ訪問に被災地が笑顔で包まれました。
角界で活躍する県出身の関取3人が能登各地へ慰問に訪れました。
「おぉ~いい当たりだ!」
行く先々で住民たちの輪が広がります。
穴水町出身の遠藤。七尾市出身の輝。津幡町出身の大の里。
3人はきょう午後、七尾市や穴水町の避難所を訪れました。
地元人気力士たちの思わぬサプライズ慰問に、避難生活を続ける人たちからもこの時ばかりは笑顔があふれます。
「男前だねって言ってあげた。頑張ってねって。」
「毎日同じことを繰り返してずっといるとしんどくなってくるのでたまにこういうことがあるとうれしくなる」
避難所の人たちから笑顔がこぼれます。
「毎日、1日1日生活するのが必死なのはわかっているが凄くみんな元気で僕もすごく同じというか前向きな気持ちになれた」(遠藤関)
「1日でも早く復興してほしい、もとの生活に戻ってほしい。僕も負けずに皆さんに元気を与えられる相撲を取っていきたい」(輝関)
「僕らが元気を与えに来たが逆にたくさんパワーをもらっているので頑張りたい」(大の里関)
人気力士との束の間の交流が住民たちを元気づけていました。
(北陸放送、2024年2月6日)
テレビ金沢 / 県内出身3力士が避難所に
大きな体で被災者を元気づける 大の里関は祖父と久しぶりに再会
県内出身で大相撲で活躍している遠藤関、輝関、大の里関が6日、それぞれの故郷を訪れ、被災者を激励しました。
最初に訪れたのは大の里関の祖父も避難している、内灘町の避難所です。
被災した人たち
「敢闘賞おめでとう!」
祖父との再会は久しぶりです。
大の里関の祖父・坪内勇さん
「久しぶりで照れくさくなってきた」
「他人でなく、自分の孫だからうれしい。目の前に来て、ほっとした」
大の里関
「お相撲さんをみて喜んでもらえてうれしい。次もしっかり準備して、大阪場所で明るい話題を届けられるよう頑張りたい」
午後は七尾市の避難所へ。同市出身の輝関は到着早々、サイン攻めに…。
サインをもらった人たち
「かっこいいね」
「ありがとうございます」
生後5か月だという赤ちゃんも力士の姿をみて、この表情。
赤ちゃんを連れた母親
「お相撲さんになれるかな?こういうの大好きです」
午後3時すぎには、遠藤関の地元・穴水町の避難所へ。ここでも、大きな歓声で迎えられました。
被災した親子
「うれしいですね。元気もらえる」
赤ちゃんを連れた母親
「お相撲さんになれるかな?こういうの大好きです」
午後3時すぎには、遠藤関の地元・穴水町の避難所へ。ここでも、大きな歓声で迎えられました。
被災した親子
「うれしいですね。元気もらえる」
遠藤関
「前向きに生活している皆さんの姿を見て、僕もすごく前向きな気持ちになりました。元の日常に戻るのは時間がかかると思いますが、僕も土俵で頑張りますので、皆さんも一緒に頑張りましょう」
大の里関は祖父と久しぶりに再会(テレビ金沢、2024年2月6日)
石川テレビ / 誰よりも応援してくれた祖父とも再会
石川出身の大相撲力士が避難所へ「握手したし写真撮った」笑顔の花
(※ 2024年5月2日追記:下記の Youtube 動画が非公開になったので埋め込みリンクを削除した)
被災地に元気を届けました。
初場所を終えた石川県出身の力士3人がふるさとに戻り、被災地の避難所を慰問に訪れました。
この内、内灘町の避難所にはこの日を心待ちにしていた人がいました。
6日、内灘町の避難所を訪れたのは大相撲で活躍する津幡町出身の大の里(おおのさと)、七尾市出身の輝(かがやき)、穴水町出身の遠藤(えんどう)です。
それぞれの実家も地震の被害を受けながら被災者を勇気づけようと訪れました。
輝関
「きょうは皆さんと少しでも触れ合えたらと思います」
遠藤関
「一緒にがんばろう。大丈夫です」
大の里関
「津幡町出身で、僕の母親が内灘町出身です。そこにおじいちゃんもいるんですけど。久々に会って、こうやって来られて嬉しいです」
この日を心待ちにしていたのが、ここで避難所生活を送っている大の里の祖父・坪内勇(つぼうち・いさむ)さん。
大の里が幼い頃から出場した大会の新聞記事を切り抜きするなど誰よりも応援してきました。
実は大の里が祖父と会うのは1年2か月ぶり。
「見つめ合って!」
大の里関「ええって!」
坪内勇さん「恥ずかしい!次もがんばるんやぞ」
大の里関「頑張ります」
大の里関
Q(おじいさまには)どんな声をかけたんですか?
「元気してるか?みたいな。久々だったんで照れ臭かったですけど、みんな頑張ってるんでまた(3月の)大阪場所、明るい話題を届けたいと思います」
去年の角界入り後、初めての再会に坪内さんは。
坪内勇さん
「しばらく会っとらんしホッとしたね。頑張れよって激励したけども。でっかい手や」
Q活躍どう見てますか?
「やっぱ素晴らしいなと思うけどね」
その後、避難所の人々と触れ合った郷土力士たち。
避難所は大きな歓声に包まれました。
避難者
「立派やった。おかげさんで。わたし金沢場所いつも見に行っとったんや。遠藤さんて言ったらにこっと笑ってくれた」
「握手したし、写真撮った。冥途の土産です。一瞬でも地震のこと忘れて感謝の気持ちでいっぱいです」
この後、輝のふるさと七尾市や遠藤のふるさと穴水町の避難所も慰問した3人。たくさんの笑顔の花を咲かせていました。
「握手したし写真撮った」笑顔の花(石川テレビ、2024年2月6日)
北陸放送 / 「1日も早く復興してほしい」
被災地出身の力士が避難所を訪問 穴水出身の遠藤ら
避難所に笑顔が広がりました。能登半島地震の被災地を地元出身の力士たちが慰問しました。
行く先々で住民たちの輪が広がります。
石川県出身の遠藤(穴水町出身)、輝(七尾市出身)、大の里(津幡町出身)。3人がまず訪れたのは、輝の出身地・七尾市の避難所です。
輝(七尾市出身)
「皆さん、厳しい生活を毎日されているんだなと。やっぱり少しショックを受ける部分もある。自分の育ってきた町だし。1日も早く復興してほしい、元の生活に戻ってほしいというのはある」
地元人気力士たちの思わぬサプライズ慰問。避難生活を続ける人たちからも、この時ばかりは笑顔があふれました。
被災地の能登は古くから相撲が盛んで、これまでに多くの力士を生んできた土地柄でもあります。
住民
「感動しましたよ。まさか来てもらえるとは思わなかった。胸いっぱい」
次に訪れた先は、遠藤の実家がある穴水町。
遠藤
「店、大丈夫?」
女性
「だめ」
遠藤
「つぶれちゃたの?」
女性
「じいさん、やる気やもん、やる気満々。『店開ける』って頑張ってる」
遠藤
「元気そうでよかった」
先月の初場所で集まった募金や、日本相撲協会からの義援金も石川県に届けられました。
遠藤(穴水町出身)
「すごくみんな元気で、元気を届けるために来たけど、逆に皆さんの前向きな姿みたら、僕もすごく前向きな気持ちになれた。一緒に頑張ろうという気持ちで頑張る」
人気力士との束の間の交流が住民たちを元気づけました。
(北陸放送、2024年2月6日)
テレビ金沢 / 遠藤関と大の里関らが内灘町の避難所に
「感激」被災者勇気づける 石川県出身力士
石川県出身の遠藤関や大の里関らが6日、知事を表敬訪問しました。その後、内灘町の避難所も訪れ、被災者を激励しました。
馳知事
「実家どうやった?」
遠藤関(穴水町出身)
「水がない中でなんとか必死に生活していると聞いています」
馳知事
「こうやって顔を見せてもらえると被災者も勇気づけられるので、よろしくお願いします」
避難所には、大の里関(津幡町出身)の祖父も避難しており、記念撮影するなどして被災者を激励しました。
被災者
「感激。あんなに大きいと思わなかった。本当にでっかいね」
大の里関
「泣いている人もいた。お相撲さんをみて喜んでもらえてうれしい」
「次もしっかり準備して、大阪場所でまた皆さんに明るい話題を届けられるように頑張りたい」
(テレビ金沢、2024年2月6日)
NHK石川 NEWS WEB / 郷土力士が馳知事を表敬訪問
大相撲の遠藤や大の里らが能登半島地震で大きな被害を受けた地元・石川県に戻り馳知事を表敬訪問しました。
6日に馳知事を表敬訪問したのは穴水町出身で前頭13枚目の遠藤と、津幡町出身で前頭15枚目の大の里、そして七尾市出身で十両7枚目の輝の3人です。
3人は七尾市出身の竹縄親方とともに県庁を訪れ遠藤は「家族は無事でしたが、建物に被害が出ています。穴水の相撲場の観客席が盛り上がっているのを映像で見て、びっくりしました」と話しました。
地震の影響を受けてことし4月に七尾市で予定されていた春巡業は開催が見送られることになっていますが、馳知事は「みなさんが希望の星です。直接会いにきて顔を見せてくれると被災者も元気づけられます。今後も活躍に期待したい」と話していました。
1月に行われた初場所では遠藤が負け越したものの、大の里が新入幕ながら11勝4敗と好成績を収めたほか輝も9勝6敗と勝ち越していて3月の春場所でも3人の活躍が期待されます。
NHK石川 NEWS WEB / 石川出身力士 内灘町の避難所を訪問
1月の大相撲初場所で活躍した大の里ら、石川県出身の力士が内灘町の避難所を訪問し、避難している地元の人たちと交流しました。
大相撲の大の里は津幡町出身で、1月、新入幕で迎えた初場所では11勝4敗の成績を収めて敢闘賞を受賞しました。
6日は地震の後、初めて石川県に戻り祖父の坪内勇さんが避難している内灘町の避難所「ほのぼの湯」を訪れて、久々の再会をお互いに笑顔で喜びました。
坪内さんは「避難している人も本人も喜んでいたと思う。まだまだこれから頑張ってほしい」と話していました。
一方、大の里は「祖父には久々に会ったので照れくさかったが、喜んでくれていたようでよかった。元気を与えられたと思うので、また頑張ります」と話していました。
6日は穴水町出身で前頭13枚目の遠藤、七尾市出身で十両7枚目の輝と竹縄親方も避難所を訪れてちゃんこ風のおでんを贈呈した後、避難している人と一緒に写真を撮ったり握手をしたりして交流していました。
避難所の70代の女性は「来てくれて一瞬、地震のことを忘れられました」と話していました。
北陸朝日放送 / 能登地震 石川出身の遠藤関ら力士が訪問
被災者に笑顔「じーんときた」
能登半島地震の被災者を勇気付けようと、石川県出身の3人の力士が被災地を回っています。訪問先の避難所から報告です。
(山岸玲記者報告)
内灘町の避難所です。能登からは離れた町ですが液状化の被害が大きく、今も44人の町民が避難生活を送っています。
3人の力士は大きな歓声に包まれました。
避難所を訪れたのは石川県出身の遠藤関と大の里関、輝関です。
こちらの避難所には大の里関の祖父・坪内勇さん(75)も避難しています。
およそ1年ぶりに会ったということで満面の笑みで孫との会話を楽しんでいました。
大の里関の祖父 坪内勇さん
「じんときた。たくましくなった。ザンバラ頭が似合うね」
大の里関
「皆頑張っているので大阪場所で明るい話題を届けたい」
避難する人たちは握手をしたり記念撮影をしたりして、避難生活への励みにしていた様子でした。
力士3人は午後は能登の避難所などを回るということです。
避難者のなかには涙を流す人もいて、長引く避難生活をひととき忘れたような笑顔を見せていました。
(北陸朝日放送、2024年2月6日)
石川テレビ / 石川出身力士が避難所をサプライズ訪問
遠藤、大の里に歓声上がる
(※ 2024年5月2日追記:下記の Youtube 動画が非公開になったので埋め込みリンクを削除した)
遠藤や大の里など石川出身の力士たちが県内入りしました。内灘町の避難所を激励に訪れ、被災者が歓声をあげていました。
石川県庁を訪れたのは穴水町出身の遠藤関と、七尾市出身の輝関、そして津幡町出身の大の里関などです。
馳知事:
石川県は相撲どころでもありますので、頑張っている故郷の力士が子どもたちの激励に来ていただければありがたいですので。
力士それぞれの実家は被害にあっていて、さっそく内灘町の避難所を訪れて激励しました。
大の里の祖父:
皆喜んでいた。テレビを見て。勝って皆ほっとしていた。しばらく会っていないし。ほっとしたね。頑張れよと激励した。でっかい手や
郷土力士のサプライズ訪問に避難所は歓声に包まれていました。
(石川テレビ、2024年2月6日)
北陸朝日放送 / 石川県出身の3力士が被災地を激励 知事と懇談
能登半島地震の被災者を激励するため石川県出身の力士らが知事を表敬訪問しました。力士らはこのあと被災地へ向かいます。
2月6日、被災地の訪問に向けて馳浩知事を訪問したのは穴水町出身の遠藤関と七尾市出身の輝関、津幡町出身の大の里関の3人の地元出身力士です。
穴水町出身の遠藤関と七尾市出身の輝関は今回の地震で実家が被災したということで、被災地を激励したいと話していました。
3人の地元出身力士はこれから被災地の避難所や市役所などを訪問する予定です。
北陸放送 / 「震災後初めて七尾に帰ってこれました」
人気力士・遠藤、輝、大の里が石川県を訪問
(・・・)大相撲で活躍する郷土出身の人気力士・遠藤(穴水町出身)と輝(七尾市出身)、大の里(津幡町出身)の3人が石川県を訪れました。
馳知事
「実家はどうでした?」
遠藤(穴水町出身)
「家族は無事です。実家は、建物自体は少し被害がありました」
3人はこの後、七尾市内の避難所を訪れました。サプライズな慰問に、この時ばかりは避難生活を続ける人たちからも笑顔があふれていました。
七尾市出身の輝は…
輝(七尾市出身)
「震災後、初めて七尾に帰って来られた。みんなの頑張りに負けないくらい僕も頑張って、皆さんが少しでも元気の出るような相撲を取れるように頑張ります。皆さん頑張りましょう」
住民
「サインを全員にもらいました。あまり外にも行けないし、たまにこういうことがあると元気が出ます」
人気力士との束の間の交流が被災者を元気づけていました。
(北陸放送、2024年2月6日)
FNN / 石川出身力士3人 被災地に元気
能登地震いまも1万4000人避難
能登半島地震の避難所に、初場所を終えた石川県出身の力士3人が登場。
被災地に元気を届けた。
石川・内灘町の避難所を訪れたのは、石川県出身の大の里関、輝関、遠藤関の3人の力士。
それぞれの実家も地震の被害を受けながら、被災者を勇気づけようと訪れた。
七尾市出身・輝関「きょうは皆さんと少しでも触れ合えたらと思います」
穴水出身・遠藤関「一緒に、がんばろう。大丈夫です」
津幡町出身・大の里関「津幡町出身で、僕の母親が内灘町出身ということで、そこにおじいちゃんもいるんですけど、久々に会って、こうやって来られてうれしいです」
ここで避難所生活を送っている大の里関の祖父・坪内勇さんは...。
大の里関の祖父・坪内勇さん「しばらく会っとらんしホッとしたね」
避難者「握手したし、写真も一緒に撮りました。冥土の土産です。一瞬でも地震のこと忘れて、感謝の気持ちでいっぱい」
地震による避難者数は、6日現在で、およそ1万4,000人となっている。
(FNN、2024年2月7日)
2.報道記事
北國新聞 / 郷土3力士に避難所沸く
遠藤、大の里、輝 内灘で「一緒に頑張ろう」
〈支え合ってともに 1.1大震災〉
遠藤(穴水町出身)、大の里(津幡町出身)の幕内力士2人と十両の輝(七尾市出身)が6日、能登半島地震発生以来初めて石川県入りし、被災地を巡った。最初に訪れたのは大の里の祖父が暮らす内灘町の避難所で、郷土3力士のそろい踏みに被災者は「地震のことを一瞬忘れさせてくれた」などと笑顔を見せていた。
44人が今も避難生活を送る内灘町宮坂の町展望温泉「ほのぼの湯」では、握手や写真撮影を求める避難者で大盛り上がりとなった。自己紹介で大の里は「母親が内灘町出身で、おじいちゃんにも久しぶりに会えた。来られてうれしい」と話し、祖父坪内勇さん(75)=宮坂=との再会を喜んだ。輝は「皆さんと少しでも触れ合えたらと思う」と語り、遠藤は「一緒に頑張ろう。大丈夫です」と力強く呼び掛けた。
坪内さんは「孫に会えてじーんときた。頑張れと励ます側なのに、逆に励まされた」とにこり。中居俊邦さん(67)=内灘町宮坂=は「3人と握手できてうれしかった。何より元気が出た」と喜んだ。
支援物資の「ちゃんこおでん」が贈られ、3人はガッツポーズで避難者と記念撮影した。大の里は「春場所で明るい話題を届けられるように頑張る」と奮闘を誓った。
被災地訪問に先立ち、一行は県庁に馳浩知事を訪ね、同行した元関脇・栃乃洋の竹縄親方(七尾市出身)が日本相撲協会の義援金1千万円と、初場所中に募金した535万円を手渡した。
遠藤は「実家は今も断水が続く中、家族は必死に生きている」と心配そうな表情を浮かべた。輝は「家族は避難所から実家に戻ったが、水がないのが大変そうだ」と知事に伝えた。
●4月16日に「勧進相撲」
竹縄親方は、日本相撲協会で資金を集める目的の「勧進相撲」を両国国技館で検討しているとし「まだ企画段階だが4月16日に開催し、収益を義援金としたい」と話した。
七尾市では4月6日に春巡業が予定されていたが、地震を受け見送りが決まった。県庁では大相撲七尾場所実行委員長の和田内幸三県議が同席した。
〈支え合ってともに 1.1大震災〉(北國新聞、2024年2月6日)
北國新聞 / 遠藤関ら石川出身力士が県を激励
馳知事に「水ないのが大変そう」
能登半島地震からの復旧、復興へ応援の気持ちを伝えるため、石川県出身の大相撲の幕内遠藤関、幕内大の里関、十両輝関、竹縄親方(元関脇栃乃洋)らが6日、馳浩知事と県庁で面会し、日本相撲協会からの義援金や初場所中に集まった募金の目録を渡した。
馳知事から「実家はどうだった」と尋ねられると、遠藤関は「今も断水が続く中、家族は必死に生活している」と心配そうな表情に。輝関は「家族は避難所から実家に戻り、やっと片付けを始めた。水がないのが大変そうだ」と伝えた。
馳知事は「初場所ではみんなが応援していた。できるだけ多くの人を勇気づけてほしい」と語りかけた。
遠藤関は穴水町、大の里関は津幡町、輝関と竹縄親方は七尾市の出身。
七尾市では4月6日に春巡業が予定されていたが、地震を受け見送りが決まった。地元の実行委員会によると、会場の体育館が損傷し、開催は困難と判断した。
(北國新聞、2024年2月6日)
時事通信 / 地元出身力士が避難所訪問
遠藤関ら穴水町など ― 能登地震
大相撲の遠藤関ら石川県出身力士ら4人が6日、能登半島地震の被災地の避難所を訪れた。集まった住民は力士の名前が書かれたタオルを掲げるなどして歓迎し、短い交流を楽しんだ。
4人は穴水町出身の遠藤関、津幡町出身の大の里関、七尾市出身の輝関と竹縄親方。穴水町の避難所で食品の入った段ボール箱を住民に手渡すと、一人ひとりに声を掛け、赤ちゃんを抱き上げるなどした。
営んでいた靴店が被災した泉恵子さん(73)は、小学6年生だった遠藤関に靴を販売したことがあるという。「こんなに大きくなって」とつぶやき、「穴水のことを思ってくれてありがたい。元気をもらえた」と笑顔を見せた。
小学生の時に遠藤関と同じ相撲教室に通っていたという東大晃さん(36)は「久しぶりに話せてうれしかった。握手したら昔より手が大きくなっていて驚いた」と懐かしそうに語った。
4人はこれに先立ち、内灘町の避難所も訪問。大の里関の祖父坪内勇さん(75)は久しぶりの孫との再会に「じーんときた。たくましくなった」と喜んだ。小笠キヨエさん(78)は「地震のことが頭から飛んでいった。幸せなひとときだった」と話した。
(時事通信、2024年2月6日)
NHK NEWS WEB / 大相撲 石川出身の遠藤らが
被災した地元に 馳知事を表敬訪問
石川県出身の大相撲の遠藤や大の里などが能登半島地震で大きな被害を受けた地元に戻り、馳知事を表敬訪問しました。
6日、石川県の馳知事を表敬訪問したのは、穴水町出身で前頭13枚目の遠藤と、津幡町出身で前頭15枚目の大の里、そして、七尾市出身で十両7枚目の輝の3人です。
3人は七尾市出身の竹縄親方とともに県庁を訪れ、遠藤は「家族は無事でしたが、建物に被害が出ています。穴水の相撲場の観客席の部分が盛り上がってしまっているのを映像で見て、びっくりしました」と話しました。
地震の影響を受けて、ことし4月に七尾市で予定されていた春巡業は開催が見送られることになっていますが馳知事は「皆さんが希望の星です。直接会いにきて顔を見せてくれると被災者も元気づけられます。今後も活躍に期待したい」と話していました。
先月行われた初場所では遠藤が負け越したものの、大の里が新入幕ながら11勝4敗と好成績を収めたほか輝も9勝6敗と勝ち越していて来月の春場所でも3人の活躍が期待されます。
避難所を訪問 地元の人たちと交流
大の里は地震のあと、初めて石川県に戻り、祖父の坪内勇さんが避難している内灘町の避難所「ほのぼの湯」を訪れて、久々の再会をお互いに笑顔で喜びました。
坪内さんは「避難している人も、本人も喜んでいたと思う。まだまだこれから頑張ってほしい」と話していました。
一方、大の里は「祖父には久々に会ったので照れくさかったが、喜んでくれていたようでよかった。元気を与えられたと思うので、また頑張ります」と話していました。
遠藤と輝、竹縄親方も避難所を訪れて、ちゃんこ風のおでんを贈呈したあと、避難している人と一緒に写真を撮ったり握手をしたりして交流していました。
避難所の70代の女性は「来てくれて、一瞬、地震のことを忘れられました」と話していました。
(NHK NEWS WEB、2024年2月6日)
共同通信 / 遠藤関ら石川出身力士が県を激励
馳知事に「水ないのが大変そう」
能登半島地震からの復旧、復興へ応援の気持ちを伝えるため、石川県出身の大相撲の幕内遠藤関、幕内大の里関、十両輝関、竹縄親方(元関脇栃乃洋)らが6日、馳浩知事と県庁で面会し、日本相撲協会からの義援金や初場所中に集まった募金の目録を渡した。
馳知事から「実家はどうだった」と尋ねられると、遠藤関は「今も断水が続く中、家族は必死に生活している」と心配そうな表情に。輝関は「家族は避難所から実家に戻り、やっと片付けを始めた。水がないのが大変そうだ」と伝えた。
馳知事は「初場所ではみんなが応援していた。できるだけ多くの人を勇気づけてほしい」と語りかけた。
遠藤関は穴水町、大の里関は津幡町、輝関と竹縄親方は七尾市の出身。
七尾市では4月6日に春巡業が予定されていたが、地震を受け見送りが決まった。地元の実行委員会によると、会場の体育館が損傷し、開催は困難と判断した。
(共同通信、2024年2月6日)
スポーツ報知 / 幕内・遠藤が石川の被災地訪問
地元・穴水町では約20年ぶりに相撲教室の先輩に再会「僕が励まされた」
大相撲の幕内で穴水町出身の遠藤(追手風)が6日、能登半島地震の避難所などを訪問した。幕内・大の里(二所ノ関)、十両・輝(高田川)らと、内灘町、七尾市を訪問後、最後に地元へたどり着いた。避難民の姿を見ると「必死なのはわかっているんだけど、みんな元気だった。住民から僕が励まされた」と思いの丈を語った。
避難所では地元相撲クラブの先輩・東大晃さんに約20年ぶりに再会。遠藤は思わず「おおー!」と見開いた。ただ家の状況が芳しくないことを知ると表情を曇らせた。初対面で避難している4人の子どもたちと記念撮影し、ねぎらった。遠藤は「地元のために一緒に頑張ろうと思う」。春場所(3月10日初日・エディオンアリーナ大阪)で好成績をあげ、穴水町に元気を与える。
「僕が励まされた」(スポーツ報知、2024年2月6日)
スポーツ報知 / 幕内・大の里が石川の被災地訪問
祖父に約1年ぶりに再会し「照れくさかった」
大相撲の幕内で津幡町出身の大の里(二所ノ関)が6日、能登半島地震の避難所などを訪問した。幕内・遠藤(追手風)、十両・輝(高田川)らと内灘町の避難所へ向かうと祖父の坪内勇さんと約1年ぶりに再会。約30人の避難民が見守る中、最前列に座る祖父・坪内さんに食料が詰まった段ボールを足が不自由で立てない祖父に手渡し。笑顔で記念撮影に応じた。「こういう形で会うと照れくさいですね」と笑った。
避難所生活の坪内さんにとっても、成長した孫の姿に励みだった。新入幕初日での勝利はテレビ観戦。その後土俵に上がり、白星を重ねるたびに「みんな喜んでいた」。終盤まで優勝争いした孫の快進撃に避難所生活は少しだけ明るくなった。プロ入り後、初めて見る孫の姿に「久しぶりに会うとたくましくなっていた。ざんばら髪、似合っているね」と誇らしかったようだ。
来場所に新たなモチベーションが加わった。避難所から大きな拍手で歓迎され「お相撲さんを見て、喜んでもらえてうれしかった」。先場所は新入幕ながら横綱、大関戦を経験。優勝争いもしたため、幕内力士からは厳しいマークが予想される。それでも「皆さんに元気を与えるためにも、しっかり準備して、明るい話題を届けたい」と意気込んだ。その後は輝の出身の七尾市、遠藤の出身の穴水町を回って、被災者と交流した。
(スポーツ報知、2024年2月6日)
朝日新聞 / 大相撲の遠藤関ら、出身の石川県に義援金
避難所で被災者と交流も
石川県出身の大相撲の遠藤関や輝関らが6日、能登半島地震の復興を応援しようと県庁を訪れ、馳浩知事に日本相撲協会からの義援金や募金の目録を渡した。
訪問したのは、被害の大きい穴水町出身の遠藤関、七尾市出身の輝関と竹縄親方、津幡町出身の大の里関ら。実家の被害状況について、遠藤関は「水が止まる中、必死で生活している」、輝関は「やっと家の片付け始められる状態になった」などと語った。
馳知事は「初場所で活躍する姿をみんな楽しみにしていた。多くの人に激励の声をかけてくれれば」と話した。力士らはその後、県内の避難所を訪れ、被災者と握手をしたり、写真を撮ったりして交流した。
4月に七尾市で大相撲の春巡業が予定されていたが、実行委員会によると、地震の影響で延期が決まったという。(田中祐也)
(朝日新聞、2024年2月6日)
北陸放送 / 郷土の力士
「故郷の相撲場がびっくりする形になって…」
遠藤,大の里,輝が被災地へ義援金を届けるため馳浩知事と懇談
能登半島地震の被災地に元気を届けようと、角界で活躍する郷土力士3人が6日午前、石川県庁を訪れました。午後からは能登各地を訪ねる予定です。
県庁を訪れたのは、穴水町出身の遠藤関、先月の初場所で敢闘賞を獲得した津幡町出身の大の里関、七尾市出身の輝関の3人です。4月に予定していた七尾市での巡業開催ができなくなったことから、地元関係者の強い要望をうけ被災地を慰問します。
Q.穴水の町立相撲場は?
遠藤関「観客席の方が盛り上がっちゃって…びっくりするような形になっていて。実際は見ていないが映像を見ただけだが。」
3人はこのあと被災地の避難所などを回り、初場所で集まった募金や日本相撲協会からの義援金を届ける予定です。
義援金を届けるため馳浩知事と懇談(北陸放送、2024年2月6日)
読売新聞 / 石川出身の遠藤関が避難所訪問
被災者男性「疲れふっとび元気が出た」
石川県穴水町出身の大相撲の幕内・遠藤関が6日、能登半島地震で約120人が避難する同町の「さわやか交流館プルート」を訪れて、被災者を励ました。
遠藤関は、同じく県内出身の幕内・大の里関(津幡町出身)、十両・輝関(七尾市出身)、竹縄親方(同)と訪れ、「必ず日常に戻ると信じている。僕も土俵で頑張るので皆さんも頑張ろう」と激励した。記念写真を一緒に撮った穴水町の男性(75)は「今までの疲れがふっとび、元気が出た」と声を弾ませた。
4人はこの日、内灘町と七尾市の避難所も訪問した。
(読売新聞、2024年2月6日)
スポニチアネックス / 幕内・遠藤が故郷の穴水町を慰問
「逆に励まされた」 地元の相撲仲間とも再会「一緒に頑張りましょう」
大相撲の石川県出身力士らが6日、能登半島地震で被害を受けた被災地を慰問した。参加したのは、穴水町出身の幕内・遠藤(33=追手風部屋)、津幡町出身の大の里(23=二所ノ関部屋)、七尾市出身の十両・輝(29=高田川部屋)の3関取と同じく七尾市出身の竹縄親方(元関脇・栃乃洋)。全員で役場や避難所を回り、被災者に元気を与えた。
遠藤は、この日回った3カ所(内灘町、七尾市、穴水町)で最も被害が深刻な穴水町の出身。倒壊した家屋や隆起した道路を目の当たりにしながら故郷へと足を運び、避難所「さわやか交流館プルート」を訪れた。ここは、自身が獲得した三賞のトロフィーなどが飾られた「遠藤関相撲展示室」として地元ファンに親しまれている場所でもある。その一室は現在、避難所生活を余儀なくされた人々約150人が暮らす生活の場となっていた。
遠藤の実家を含む町内全域はいまだに水道が止まっている状況。「時間がかかるとは思いますが、必ず元の日常に戻る日が来ると思います。僕も土俵で頑張るので、皆さん一緒に頑張りましょう」と呼びかけ、地元の被災者たちに寄り添った。
避難所には、遠藤が小学生時代に通った穴水少年相撲教室の子供たちも訪れた。その相撲少年の父親として来ていたのは、かつて遠藤と一緒に稽古を積んだ3学年先輩の東大晃さん(36)。約20年ぶりの再会を果たし「聖大(遠藤の本名)、覚えてたか」と声を掛けて笑顔を交わした。
穴水少年相撲教室で指導者を務める小向健太さん(30)は金沢市立西南部中出身で、遠藤の3学年後輩、輝の1学年先輩にあたる。かつての稽古仲間の来訪に力をもらい、帰り際は力士たちを乗せた車が見えなくなるまで見送っていた。
慰問へ訪れる前に「伝えたいことは山ほどある。現実を受け止める心構えをしっかり持っていきたい」と語っていた遠藤。「笑顔が見られてうれしかった。元気を届けるために来たけど、逆に皆さんの姿を見て元気になりました。励まされました」。この日、被災者たちに何度も優しく語りかけていたのは「一緒に頑張りましょう」という言葉。励まし、励まされ、故郷への思いを胸に、これからもともに闘っていく。
「一緒に頑張りましょう」(スポニチアネックス、2024年2月7日)
スポニチアネックス / 大の里 内灘町の避難所で祖父に
物資と元気手渡し 被災地に笑顔届けた
大相撲の石川県出身力士らが6日、能登半島地震で被害を受けた被災地を慰問した。津幡町出身の幕内・大の里(23=二所ノ関部屋)は内灘町の避難所で祖父と対面。元気を届けた地元のヒーローはさらなる活躍を誓った。穴水町出身の幕内・遠藤(33=追手風部屋)、七尾市出身の十両・輝(29=高田川部屋)と竹縄親方(元関脇・栃乃洋)も一緒に役場や避難所を回り、被災者を激励した。
困難な生活を強いられる避難所が、笑顔と歓声に包まれた。最大震度7を観測した能登半島地震の発生から1カ月超。初場所を終えた地元出身の関取らが初めて慰問に訪れた。新入幕ながら優勝争いに絡む大活躍で敢闘賞を受賞した大の里は故郷の隣町・内灘町の避難所でひときわ温かい歓迎を受けた。
地震発生直前の昨年末に帰省して以来の“凱旋”。生活が一変してしまった地元住民と笑顔で交流し「お相撲さんを見て喜んでもらえてうれしい。また元気を与えられるように、春場所でまた明るい話題を届けられるようにしたい」と誓いを新たにした。
大の里の祖父・坪内勇さん(75)は、この内灘町で避難所生活を余儀なくされている。初場所中は、大の里の取組の時間になると他の利用者たちとともに避難所のテレビ越しに大声援を送ったという。この日は、孫が力士になって以来初めての再会を果たした。「“元気してるか?頑張れよ”と声をかけました。握手したけど手がデカかったね」と笑顔。「しばらく会っていなかったのでホッとした。たくましくなったなと、じーんと来た」。幕内の土俵を沸かせるようになった孫の成長に、目を細めた。
力士が踏む四股には「地中の邪気を払う」「地を鎮める」という意味が込められており、力士そのものが縁起の良い存在でもある。この日、被災者たちは「来てくれてありがとう」と声をそろえた。郷土力士の凱旋は、苦しむ人々へ希望の光を与えたに違いない。
(スポニチアネックス、2024年2月7日)
スポニチアネックス / 七尾市出身の輝 被災地を慰問
市役所職員に「ともに頑張りましょう」と呼びかけ
大相撲の石川県出身力士らが6日、能登半島地震で被害を受けた被災地を慰問した。穴水町出身の幕内・遠藤(33=追手風部屋)、七尾市出身の十両・輝(29=高田川部屋)と竹縄親方(元関脇・栃乃洋)も一緒に役場や避難所を回り、被災者を激励した。津幡町出身の幕内・大の里(23=二所ノ関部屋)は内灘町の避難所で祖父と対面。元気を届けた地元のヒーローはさらなる活躍を誓った。
輝は故郷の七尾市役所を訪問し「震災後初めて来て、道路状況なども不安だった。顔を出して少しでも元気になれば幸いです」と話した。輝の両親は避難所生活から現在は実家に戻っているが、いまだに水道は止まっているという。市役所では、職員らに「皆さんの頑張りは素晴らしいと思います。少しでも元気を届けられるように、ともに頑張りましょう」と呼びかけた。
(スポニチアネックス、2024年2月7日)
スポーツ報知 / 石川県出身・大の里、避難所の祖父と再会
春場所で「明るい話題届ける」能登半島地震慰問
大相撲で石川県出身の幕内・大の里(23)=二所ノ関=、同・遠藤(33)=追手風=、十両・輝(29)=高田川=が6日、能登半島地震の避難所などを慰問した。先月の初場所では新入幕で優勝争いに加わった大の里は、祖父・坪内勇さん(75)と内灘町の避難所で約1年ぶりに再会。春場所(3月10日初日・エディオンアリーナ大阪)で勇気づけることを誓った。
こわばった表情で避難所に足を踏み入れた大の里の顔が一気にやわらいだ。約30人の被災者に拍手で出迎えられ、最前列に座る祖父・坪内さんが目に入った。食料が詰まった段ボールを足が不自由で立てない祖父に手渡し、笑顔で記念撮影。「おじいちゃんに久々に会えてうれしい」。最後に会ったのは入門する前の約1年前。心配した分だけ、素直な気持ちが言葉となって漏れた。
入門後初の正月休み中、二所ノ関部屋で能登半島地震を知った。津幡町に住む両親の被害は小さかったが、内灘町に住む祖父宅は断水が続いたことなどから避難所生活を余儀なくされた。初場所中は、なかなか連絡が取れなかった。「こういう形で会うと照れくさいですね」とも口にした。
坪内さんにとっても、成長した孫の姿が励みだった。新入幕初日での勝利はテレビで見届けた。その後土俵に上がり、白星を重ねるたびに「みんな喜んでいた」。横綱・照ノ富士(伊勢ケ浜)戦などテレビが映らなかった取組は、結果を新聞で確認した。終盤まで優勝争いした孫の快進撃に避難所は少しだけ明るくなった。角界入り後、初めて見る孫の姿に祖父は「久しぶりに会うとたくましくなっていた。ざんばら髪、似合っているね」と誇らしげだった。
大の里に、新たなモチベーションが加わった。避難所から大きな拍手で歓迎され「お相撲さんを見て喜んでもらえてうれしかった」。先場所は新入幕ながら横綱、大関戦を経験。優勝争いにも加わり、来場所は幕内力士からもマークされる存在だ。「皆さんに元気を与えるためにも、しっかり準備して、明るい話題を届けたい」。存在意義が土俵に限らないことを知った大の里に、上を目指す理由が一つ加わった。(山田 豊)
(スポーツ報知、2024年2月7日)
デイリー / 大の里「明るい話題届けたい」
内灘町の避難所で祖父が歓迎「随分たくましくなった」
石川県出身の大相撲の幕内遠藤(追手風)、十両輝(高田川)らが6日、馳浩知事と県庁で面会し、日本相撲協会からの義援金や初場所中に集まった募金の目録を渡した。穴水町出身の遠藤は馳知事から「実家はどうだった」と尋ねられると、「今も断水が続く中、家族は必死に生活している」と心配そうに語った。馳知事は「初場所ではみんなが応援していた。できるだけ多くの人を勇気づけてほしい」と語りかけた。
津幡町出身の幕内大の里(二所ノ関)は、祖父坪内勇さん(75)が身を寄せる内灘町の避難所を訪れた。
新入幕の初場所では横綱・大関とも対戦し、11勝4敗の好成績を挙げて敢闘賞を受賞する活躍。約30人から大きな拍手で迎えられた。坪内さんは「テレビや新聞で活躍は見ていたが、随分たくましくなった」と誇らしげ。大の里は「皆さんが応援してくれているので、次の大阪場所も頑張って石川に明るい話題を届けたい」と意気込んだ。
(デイリー、2024年2月7日)
夕刊フジ / 大の里ら石川出身力士が帰郷
知事もビックリの避難所7カ所慰問
被災地支援のため「勧進相撲」復活を4月に計画
大相撲で石川出身の遠藤(33)=追手風、大の里(23)=二所ノ関、輝(29)=高田川=が6日、帰郷して能登半島地震の被災者を精力的に激励した。
午前10時に石川県庁を訪れた3力士は、日本相撲協会からの義援金1000万円と初場所で集まった募金約535万円の目録を馳浩知事に贈呈。大きな被害を受けた穴水町出身の遠藤は、知事から実家の状態を尋ねられ「家族は無事です。建物自体は少し被害がありました」と心配そうな表情を浮かべた。
初場所後の行事も一段落で里帰りが可能になった力士たちはここから知事もビックリの行動力を見せ、七尾など被災地7カ所を日帰りで慰問。まずは大の里の母方の実家がある内灘町へ向かい、祖父の坪内勇さん(75)が身を寄せる避難所へ。新入幕の初場所で敢闘賞を受賞した孫の活躍を「テレビや新聞で活躍は見ていた」という坪内さんは、本人と対面して「随分たくましくなった。しばらく会っていないしホッとした」と笑顔。大の里も「みなさんが応援してくれているので、次の大阪場所も頑張って石川に明るい話題を届けたい」と意気込んだ。
4月6日には七尾市総合体育館で春巡業が予定されチケットも発売されていたが、地元出身の元横綱輪島がプロレスラーとして国内デビュー戦を飾ったことでも知られる会場は避難所として使われているうえ、断水が続き損傷もあるため開催中止が決まった。
代わって相撲協会は被災地支援のため、神社仏閣への寄進などを目的に江戸時代に盛んに行われた「勧進相撲」を、令和の世に復活させる計画を進めている。4月16日の両国国技館開催を検討しており、収益を義援金としたい考えだ。
被災地支援のため「勧進相撲」復活を4月に計画」(夕刊フジ、2024年2月7日)
フジテレビ『めざまし8』(2024年2月7日放送)/「逆に励まされた」
石川出身 遠藤・大の里・輝が被災地を訪問
久々に再会した祖父…被災者との交流も
6日、石川県出身の力士ら3人が故郷を訪問。被災した人たちに元気を届けました。被災地に大きな歓声と、拍手が響き渡ります。
石川県津幡町出身の大の里関。2023年5月に初土俵を踏み、先月の初場所では新入幕ながら11勝をあげ敢闘賞を受賞。一躍、注目を浴びました。
地震発生後、初めて石川入り。その到着を内灘町の避難所で待っていたのは、大の里関の祖父・坪内勇さんです。
大の里:
津幡町出身で、僕の母親が内灘町出身です。そこにおじいちゃんもいるんですけど。久々に会って、こうやって来られてうれしいです。
避難所では、毎日、孫の活躍をテレビで見守っていたという坪内さん。
1年2カ月ぶりの孫との再会。坪内さんが「敢闘賞おめでとう」と声をかけると、大の里関は「久しぶりだな」と再会を喜びました。
大の里の祖父・坪内さん:
しばらく会うとらんし、ホッとしたね。頑張れよって激励したけど、でっかい手や。
――おじいさまにはどんな声をかけたんですか?
大の里:
元気してるか?みたいな。久々だったんで照れくさかったですけど、みんな頑張っているので、また(3月の)大阪場所、明るい話題を届けたいと思います。
人気力士に大興奮「元気になった」
遠藤関の出身地、穴水町にも足を運びました。
役場に垂れ幕を掲げるなど、町を挙げて遠藤関を応援してきた穴水町。
そんな故郷の避難所を訪れた遠藤関、待っていた人たちから「お帰りなさい」と声援が上がります。
遠藤:
ただいま。
遠藤:
毎日、避難生活、ごくろうさまです。まだ元の日常に戻るのには時間がかかると思いますが、必ず、元の日常に戻るということを信じていますので、それまで大変だと思いますが、僕も土俵で頑張りますので、皆さんも一緒に頑張りましょう。
力士らは避難している人たちに「ちゃんこおでん」を差し入れ。そして、地元の相撲クラブの子どもたちとも交流しました。
輝:
よいしょ~!良い当たりするな。
七尾市出身の輝関にぶつかっていった小学4年生の少年は…。
穴水少年相撲教室に通う小学4年生:
テレビで見てる力士が来てくれたんで、元気になったんでうれしいです。硬かったんで、筋肉いっぱいあるのかなと思いました。
人気力士との交流で自然と笑みがこぼれる被災者たち。
一緒に写真撮影ができたという女性は、興奮気味に撮った写真を見せてくれました。
一緒に写真撮影をした女性:
これ、ちょこっと横の方になってるけどね。目の前で見てね、すごいかっこいい。
遠藤:
大変だと思いますがお会いして、笑顔が見られて、うれしかったです。(避難所の皆さんから)「頑張って」と、逆に励まされました。一緒に頑張ろうという気持ちでがんばります。
久々に再会した祖父…被災者との交流も(めざまし8、2024年2月7日)
カニカマのスギヨ 相撲の力で!能登と共に
【相撲の力で!能登と共に!】
— カニカマのスギヨ🦀「おかげさまで」50周年 (@sugiyo_official) February 7, 2024
地元力士の
遠藤さん、輝さん、大の里さん
能登に元気を届けていただき
ありがとうございました😭✨ https://t.co/ajMxPVl6B1
中日スポーツ
穴水町出身・遠藤「地元への声援でもあった」
初場所で浴びた2度の歓声に感謝【がんばろう北陸】
人気者にとっても初めての経験だった。元日の本震で震度6強を観測した穴水町出身で、幕内遠藤(33)=追手風=が1月の初場所で2度歓声を浴びた。取組前の「遠藤」のアナウンスだけでなく、続く「石川県鳳珠郡穴水町出身」の紹介にもしこ名に負けない声援が飛んだ。
普段は感情を表に出さない分、しみじみと振り返る口調に実感がこもっていた。「いつもの場所以上に『穴水町』に特別な歓声と拍手があって、僕自身、すごく支えられた。地元への声援でもあったと思います」
6日には穴水町を訪問し、避難所では「元の日常に戻ると信じています。一緒に頑張りましょう」とあいさつ。春場所は十両転落もありえる厳しい番付。古傷を抱える膝は「治らないままだけど、やるしかない」。はい上がる姿で、能登に元気を届ける。
【がんばろう北陸】(中日スポーツ、2024年2月10日)
NHK金沢・石川WEBノート
石川県出身 大相撲力士 遠藤・大の里・輝が避難所を訪問
地元の人たちと交流
1月の大相撲初場所で活躍した、大の里や遠藤、輝ら、石川県出身の力士が内灘町の避難所を訪問しました。避難している地元の人たちと交流しました。
まず県庁を訪問
県内出身の力士3人がまず訪れたのは県庁です。七尾市出身の竹縄親方とともに、馳知事を表敬訪問しました。
力士たちは内灘町の避難所へ
避難している人たちにちゃんこ風のおでんを贈呈した後、握手するなどして交流していました。
避難所には大の里の祖父が
大相撲の大の里は津幡町出身。新入幕で迎えた1月の初場所では11勝4敗の成績を収めて敢闘賞を受賞しました。6日は地震のあと、初めて石川県に戻りました。内灘町の避難所「ほのぼの湯」には祖父の坪内勇さんが避難しています。久々の再会をお互いに笑顔で喜びました。
大の里は「祖父には久々に会ったので照れくさかったが、喜んでくれていたようでよかった。元気を与えられたと思うので、また頑張ります」と話していました。
6日は穴水町出身で前頭13枚目の遠藤、七尾市出身で十両7枚目の輝と竹縄親方も避難所を訪れて、避難している人と一緒に写真を撮ったり握手をしたりして交流していました。
避難所の70代の女性は「来てくれて一瞬、地震のことを忘れられました」と話していました。
(NHK金沢・石川WEBノート、2024年2月13日)
中日スポーツ
石川県穴水町出身の大翔、故郷への思いを力に変える
「まずは実家の再建を手助けできるように出世したい」【大相撲】
大相撲の西序二段82枚目の大翔(23)=石川県穴水町出身、追手風=が初場所で5勝2敗と勝ち越し、三段目返り咲きと定着を目指す一年の好スタートを切った。同郷で入門前から憧れる兄弟子の幕内遠藤のように、能登半島地震で震度6強を観測した故郷に希望を届ける力士を目指していく。
能登半島地震で被災地となった故郷への思いを力に変えて、大翔が初場所で4場所ぶりの勝ち越しを果たした。取組前の「石川県鳳珠郡穴水町出身」のアナウンスで、これまでにない拍手を浴びて奮闘。5勝2敗と星を伸ばした。
「最後の2番で連敗したのは悔しいけど、穴水への声援で『頑張らなきゃ』と思い、支えてもらいました。出足をどんどん磨いていきたい」
穴水町出身といえば兄弟子の遠藤。地元のヒーローに角界入り前から憧れ、背中を見て進む道を決めた。小学生の時に日大4年の遠藤から「相撲を楽しんで」と声を掛けてもらったのが初対面。少年時代の遠藤と同じ穴水少年相撲教室に通い、穴水中時代は同町での追手風部屋の夏合宿に参加。遠藤に見守られながら若い衆の胸を借りた。
まわしを取ると強い遠藤に対し、自身は押し相撲。相撲のタイプは違うが、ずっと目をかけてもらっている。思い出は2つ。入門を決めた中3の冬休みに追手風部屋で稽古した時、遠藤からお年玉をもらった。入門後、相撲教習所を卒業するとお祝いに焼き肉をごちそうになった。
遠藤からは「中卒で入門して、まだまだこれから。腐らず地道に稽古してほしい」とエール。今年の目標は三段目返り咲きと定着。番付を上げて恩返ししたい。
初場所後、能登半島地震が発生してから初めて帰省したが、実家は半壊。知人宅に身を寄せて数日間、親戚が営む飲食店の片付けなどで汗を流した。被災地に寄り添うため、崩れた実家などを写真に収めて東京に戻った。「まずは実家の再建を手助けできるように出世したい」。関取を目指す理由が増えた。
▼大翔虹太郎(だいしょう・こうたろう) 本名は橋本虹太。2000年6月4日生まれ、石川県穴水町出身の23歳。171センチ、138キロ。16年春場所で「橋本」のしこ名で初土俵。同年九州場所から「大翔」に改名。最高位は昨年初場所の西三段目78枚目。得意は押し。
手助けできるように出世したい」【大相撲】(中日スポーツ、2024年2月14日)
※ ヘッダー写真の出典は、高田川部屋公式サイト(2021年3月16日付)。
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