病休期間終了

一生懸命生きてるつもりだった。


5月下旬、通っている心療内科の担当医から、学校を病休する事を勧められた。期間は2週間。最初は1ヶ月と言われたが、出席日数や単位を考慮して2週に抑える様に頼んだ。
診断書には「病状が悪化傾向、不安定」「2週間の自宅療養と通院による加療を要する」と書かれている。

休むんだ。

肩の力が抜けた。糸をピンと張っていたのは自分自身で、それを緩めてくれたのは医師の「そんなものの為に、そんな人の為に命を落とす必要はないんだよ」という言葉。
休むという事への罪悪感もあったし、特定の人と会えなくなる悲しさもあった。でも、「私は休まなきゃいけないくらい頑張ってたのか」と少し肯定的に考えたら、今までの無理が報われる様な気がして。


不安定な2週間はあっという間に過ぎた。


部内圧力が原因だった今回の病休。学校側は意外にも真摯に受け止めてくれた。
現状把握、私自身と家族の要望、措置、様々聞かされた。正直スピーディな対応に、終盤で疲れてしまっていた所はある。

先輩3人からの圧力、今回は上層部に訴えるのを断った。「事を大きくしたくないです。その代わり、私が戻った時にちゃんと対応して貰いたいです」と伝えた。


過去に受けていた軽度のネグレクト。
長期間家にいることから、だんだんとそれに近い状態に戻っていくのを感じた。家族仲が良くないのだ。
両親は互いに嫌味を言い合い、娘である私に愚痴を吐き、私や妹を味方に取ろうとして、でもいざとなったら都合の良いことを言う。毎日ネチネチと家庭内での冷戦が起こっている様だった。そこまで酷くないが目の前の家庭内別居を、私は見ている事しか出来なかった。

つまり、いくら休暇を取っても家に居ても、私の中は何も解決しなかったのだ。
「体調どう?」と、先生や他の人に聞かれたが「悪い」と答えられる訳もなく、「まぁまぁ」「多少は」と濁した答えしか出せなかった。


次第に「私頑張りすぎてたのかな」という思いは一切無くなり、迷惑をかけている事に執着した考えを持つようになった。私のせいで学校が動く、心配かけてしまう、邪魔をしてしまう。


一生懸命生きていたつもりだった。

あれだけしていた自傷行為も減らして、この2週間は絞首と殴打のみに抑えた。
休んでるから生きなきゃって、思っていた。


でも次第に「休むくらいなら死んでしまえばいいのに」と思いは変わった。
学校に行かない人間が、病気を持って人権もなくて、言動は愚か人格すら頭ごなしに否定されてしまうようなゴミ人間。口を開くくらいなら死ね。息をしてるせいで金かけさせる。虐め云々で学校動かしてしまう。人のことを縛ってしまう。迷惑かける。生きている意味がない。
人と関わるのが嫌になった時点で終わりにするべき。

そんなことを考えていたら、何故生きているのか分からなくなった。


死ななきゃいけなかった。


なのに休みは明けて、明日からまた学校に行く。
なんにも無いかのように笑う演技で1日を終える。
泣いている事実も何故こうなってしまったのかも、私自身の事は誰にも言えないまま、「お人好し生活」でまた時間が過ぎていく。


何の為に病気休暇を取ったのか。
意味は無い。死ななかっただけだった。それだけで、苦しかったし痛かったし辛かったし寂しかったし悲しかった。
でも泣いている事は、誰にも気付かれなかった。隠すのだけはいつも大得意。

本当は昨夜が凄く、凄く。


私は本当に愛されていない。
最初に、最期に、少しでも、なんて欲は要らない。

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