拝啓、17歳だった私
なんて残忍な1年だったのだろう。
17年目の人生はあまりに酷だった。
遠隔授業のせいで誰にもお祝いされなかった17歳の誕生日は、それどころじゃなかった。私が17歳になる事よりも、危篤状態の祖父が心配で心配でならなかった。
祖父は間もなくして亡くなった。脈は下がり冷えていく身体。聞こえるだけでいいから、と泣いて嘔吐いて、それでも愛称を呼んで、ありがとうと、お疲れ様と、言った。
祖父が亡くなった後に発症した心因反応。今では加えて沢山の病気が増えて増えて増えて。辛い、苦しい、息が出来ない程に。早くそっちへ、と願っても叶わず。
遠隔が終わって学寮に戻る。そして普通を振舞って授業を受けて、試験勉強をして部活に行く。普通じゃ無理だと思う。あの時の私に頑張ったねって、拍手してあげたい。
夏休みは部活漬けだった。考えた機構を全部没にされていって、指摘の言い方に酷く傷付いてた。先輩が、男性が、より一層に怖くなった。
もう1人の祖父が亡くなった。何度も自己を責め続け、今も尚。泣く権利はないのに、もう息をしない祖父を見て無条件に涙が出て、止まらない。
ねえ、もう私の前から人を奪わないで。
元彼氏との別れ。喪失感に打ちひしがれる私は人を愛する事も出来ない、と思っていた。当時の彼の行動には少々苛立ちがあったからそれを境に別れてしまおうと、伝えた。消失感は増えて、沢山泣いた。種を撒いたのは私なのに。
部活で沢山仕事を任されて、断れなかった。それも私。心も身体も犠牲にして頑張ったのに、力になれなかったと思ってしまうのはどうしてかな。
新しい彼氏が出来た。好きになってよかった?私の欲しいものをくれない人を好きに。
でも私は、きっとどうしても好きになる。あの時支えてくれた事実は一生消えない。
12月、ちょうどクリスマスの頃に受けたいじめ。辛かった。息ができなかった。眠れなかった。迫害や否定は恐ろしいもの。それが、「信頼していた」人から受けよう物なら、死さえ考え実行する。
ロボコンのチームリーダーになった。「失敗作」の私に務まる事じゃないし、現時点でさえ反省点があるのに、私を気にかけてくれる1人の先輩を裏切らないように、せめてその人の為に。
私。
いつ死ぬか分からないけど、18になった私から、17の私へ。
十分頑張ってるよ。周りが見てくれないだけだよ。
お疲れ様、おやすみ。
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