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突然5児の母親に!デグーの出産珍事件から想う子育ての始まりと終わり。

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私は絶句した、子供が生まれたのだ。

人はあまりにも驚くと、声が出なくなるということを学んだと同時に、今のわたしを正確に描写するなら漫画のように目玉がぼろりとこぼれ落ちる表現がピッタリのように思えた。日中は妊娠初期の地味な食べつわりでなかなかにグロッキーになっていたはずなのに、一瞬でドーパミンが噴水のように湧き上がったようで胃の気持ち悪さは一瞬で吹っ飛んでいった。

まず安心して欲しいのだが、今回生まれたのはわたしの子供ではない。

まだ妊娠7週目目前の初期段階で産まれてしまっては、我が子は早産どころか米粒ほどの半分魚のような形で生まれてくるしか無くなってしまう。今回生まれたのは我が家で飼っている「デグー」という齧歯類のペットである。

面白いことに人間サイドも妊娠している最中にペットのお産に出くわすという我が家の珍事件の模様を、今回はゆるりとお届けしようと思う。

我が家とデグー

デグーは握りこぶしサイズの草食の齧歯類だ。

元はチリのアンデス山脈を出生とし、非常に知能が高い。ハムスターとの違いで言えば名前を呼ぶとこちらへ意識的に寄ってきたり、主人を覚えて簡単な芸もできる個体も存在することだろうか。

どちらかといえばカピバラやチンチラの方が親戚としては近い存在で、寿命も5~8年と思ったより長い。近年では日本でもペットとしての認知度が上がってきたが、ヨーロッパの方では昔よりハムスター感覚で愛されてきたという歴史もある。

まだ我が家に来たばかりの様子

本当は犬猫のように密なコミュニケーションが取れるペットがいいけれど、仕事もあるし都内では家選びもちょっと厳しい。かといってハムスターでは満足できないという絶妙なニーズを満たしているのがこのデグーなのだ。

似たようなペットニーズとしてはウサギやチンチラも近しいところがあるが、彼らよりも二回りほど小ぶりなので単頭飼いであればゲージがさらに小さめで済む。これらが都内の賃貸住宅事情にぴったりと当てはまり、徐々に人気が上がってきたのがここ数年のようにも思う。

実は先代の雄デグーを丸6年飼っていたのだが、老衰で年末に容体が急変しお別れをすることになった。自分でもびっくりするほど悲しくて、初めて都内のペット火葬に連れて行ったのだけれど、告別式の時間に亡骸を撫でているといろんな思い出がフラッシュバックしてきた。式場に用意されていたティッシュ箱を空にするほど、相方と二人揃ってわんわんと泣いた。

心の傷が癒えるまで当分デグーは飼わないつもりでいた。とてもそんな気分にはなれなかったし、すぐに次の子をお迎えするのはなんだか先代のデグーにも申し訳ないような気がしたのだ。

しかも自分もこれから妊娠するかもしれないし(当時はまだ妊娠前だった)ペットの面倒と子供の面倒を同時に見るのは骨が折れそうだと思って、飼うとしても子供が落ち着いてからかと考えていた。

しかし、自宅のぽっかりと空いたゲージは異様な虚しさを醸し出した。

ましてや日中もずっと自宅が作業場となっているわたしにとっては、何気に日々の休憩やご飯どきに先代のデグーに話しかけていたのが癒しになっていたことに気づいてしまったのだ。本当に一人になった部屋で、黙々と作業をするのはなかなか堪えるものがあった。

そんなわたしを見兼ねて、相方が「年始になったらペットショップ行ってみるか?」と意外な提案してきた。まあ正直、自分の子供だっていつできるか分からないから変に待たなくてもいいかという適当な言い訳をこさえながら、やはり自分の生活にデグーがいることがもう当たり前になってしまったんだなあという事実を噛み締めて、わたしは頭を縦に振ったのだった。

その後はトントン拍子で、デグーの聖地として有名な多摩境駅が最寄りのカインズホーム内にある「フィールドガーデン」さんを訪れ、その日に雌のデグー2匹をお迎えした。

実はこれまで単頭飼いしかしたことはなかったのだが、お互い仕事が忙しい時に先代が1匹で寂しそうにしていたのが心苦しかったので、今度はデグー同士でも遊べるように多頭飼いをすることにしたのだった。

2匹の名前はそれぞれ「はな」と「あずき」。

上がはな、下で潰されているのがあずき。

はなはバイオレットカラーという艶のある濃いグレーで、豚の鼻っぽい顔が特徴だったので豚の頭部位である鼻がネーミングの由来だ。一方のあずきは漆黒のブラックカラー、色が似ていることもあって鳥の脾臓である目肝の別称である「あずき」を由来としている。

ドン引きした読者も多いだろうが、私は自分のペットに代々「肉の部位」をつけている。ちなみに先代のデグーは「ランプ」だった、もちろんお尻の部位に当たるランプ肉のランプである。

急激に太るあずき

「あずきがデブすぎる」

2匹をお迎えしてから2ヶ月が経とうとしていたある日、相方が苦笑いしながら私の方を見た。餌を目当てに、彼の手のひらに乗っているあずきはそれはそれはずんぐりむっくりしていて、確かにネズミというよりは手乗りの熊のようにも見える体型であった。

特に腰回りとお腹の肉付きがすごく、はなと比べると明らかに洋梨体型で「成長期とはいえ流石にイカン」と思わざる負えなかった。とはいえまだ生後3ヶ月の成長期なので極端にダイエット食にするわけにもいかず、チモシーと呼ばれる牧草をより多めに与えつつ適量のペレットを同時に与えて様子を見ていた。

しかし我々の努力も虚しく、あずきはどんどん太っていく。このままでは糖尿病になってしまうのではないか、自分の体重で足を痛めてしまうのではないかと色々と心配をしたものの、圧倒いう間に季節は過ぎ去る。

話は少しズレるが、その頃になんと私の妊娠が発覚し、2月中旬で妊娠5週目を迎えていた。これには自分もずいぶんと驚いたが、周りからも聞いていた「いい意味で気を抜いた時に授かる」という話はあながち間違いではないと思わず笑ってしまった。

それから半月ほどして、2匹も我が家に来てから約2ヶ月が経とうとしていた。そして事が起きたのは2月末の、外が春めいてきた季節の夕刻であった。

わたしは仕事をあらかた片付けて、2匹のゲージの前に座り込んだ。息抜きに彼女らと遊ぼうとゲージの扉を小さく開く。2匹は待ってました!と言わんばかりの勢いで扉までやってきて、おやつをくれと必死にせがんでくる。あずきの相変わらずのデブさが心配ではあったが、比較的低カロリーなものを中心に手のひらでおやつタイムをしていた時だった。

(…本当にこれ、太っているだけなのかな。)

突然、ピンと何かが降りてきた気がした。

それは今思うと母親同士の不思議なシンパシーであったようにも思う。女の子同士で飼っているのだから本来あり得ないことなのだけれど、その時の私は不思議とこれまでの思い込みを全て疑うことに対して全く抵抗感がなかった。

(あずき、妊娠してるんじゃないか)

それはまるで神の啓示のようだった。全く想像もしなかったことが、毎日触れ合っているのにも関わらず思いもつかなかったことが、ある日突然頭にわっと降って来たのだった。自分の中で、根拠のない妙な自信だけがあった。

何か手軽に手元で妊娠を確かめる手立てがないかとネットのブログなどを調べると、妊娠したデグーは乳腺が発達し、徐々にお乳がいくつも確認できるようになるという記載を見つけた。私は急いでおやつを総動員し、あずきにバンザイをさせて丸々と太った腹を観察した。

乳腺がいくつもあった。
彼女が既に母であることが確信めいた瞬間であった。

突然のお産

相方が風呂から上がってくると、私はあずきが太っているのではなく妊娠しているのではないかという考察を伝えた。ただでさえ妻の妊娠に驚いたばかりなのに、今度はペットの妊娠疑惑に相方は「ホンマか???」と終始驚きの表情をしていた。

調べれば調べるほどあずきの体型や状況が妊娠そのものであり、あと1ヶ月ぐらいで生まれてくるのではないかと推察された。

彼女らは昨年の11月末生まれで、我が家に来た1月時点では生後2ヶ月半であった。デグーは通常であれば生後3ヶ月ぐらいから妊娠するはずなのだが、これまでも生後1ヶ月で妊娠した個体の報告も見つかっていたのであずきもこれに該当するように思えた。

だとしたら、ペットショップにいた2ヶ月半の間の後半の12月中に妊娠していて、そのまま我が家に来たことになる。となれば今は妊娠2ヶ月なので、出産は3月末以降だという私の計算であった。

妊娠という新しい疑念が産まれ、その夜には夫婦の合意で「近日中に病院に連れて行って、レントゲンを取ろう」という話になった。まだ時間はあるから、ゆっくりベビーが生まれてもいいようにゲージの配置なども調整しようと相談をした。

しかし、その翌日のことであった。

その日は私は食べつわりが始まった週だったこともあって、かなりグロッキーな状態になっていた。リビングでひとり転がりながら「食べたいのに、食べる気がしない…」と矛盾する欲望と、胃の収まりの悪さにのたうち回っていた。

そして夕刻。早めの風呂を済ませ、まだ19時過ぎであったが具合の悪さからもう布団に入ろうと寝る準備をしていた時のことであった。寝る前に2匹にご飯でもあげるか〜と思ってゲージを覗いた、その時であった。

じっと二階の布団の上で蹲るあずきの横に、小さな薄ピンク色の命がキーキーと産声を上げて転がっていた。

出産中のあずき

私の口は、瞬間的に音を失った。

頭の中は真っ白になって、全てがぐしゃぐしゃにかき混ぜられて遠くへ吹っ飛んでいくのがわかった。え、どういうこと。え、だって、少なく見積もってもあと1ヶ月はかかると思っていたのに。産むにしても早すぎるし、というか本当に妊娠してたのかあずきさんよ・・・!

完全にパニックであった。

昨日に妊娠に気付いたのは、我ながら本当に奇跡めいているとしか言いようがなかった。幸いにも生まれて来た新しい命は必死に動き回り、自分の命を主張するように繰り返し繰り返し声を上げていた。それを愛おしそうに、何度も何度も舐めたり手で転がしているあずきは立派な母の顔をしていた。

こうして、あずきの出産は電撃的なスタートを切ったのだった。

生後3ヶ月で5児の母に

出産を目視してからすぐ、私はスマホを手に取った。まだ会社にいた相方に鬼のような連絡をして飛んで帰って来てもらうためだ。

私が「産まれちゃった・・・!」というものだから、速報のテキストを読んだ相方はそれはまあ漫画のような驚き方をして「デグーの方の話だよね…?」と訝しげに確認されたのは思わず笑ってしまった。

まあ言われてみれば安定期よりも前の時期で、確率としては流産しても全く珍しくない時期ではあったのだ。彼がそう思って心配するのも無理はないが、私がひとり部屋で大笑いしたのはここだけの話である。

相方が帰宅するや否や、産まれて来たベビーがゲージの網目から落ちないように段ボールで突貫的な出産部屋を作り、その中に既に彼女らの匂いのついたタオルをたくさん敷き詰めた。外はすっかり春めいて来たというのにエアコンの設定温度は限界の30度まで引き上げられ、ゲージの中の暖房器具をありったけつけまくってから二人でお産を見守った。

次々と小さな命が転がり出てきて、その度に感情が高まった。

人間は医師や助産師や家族、多くの人の力を借りてお産に臨むということを思うと、彼女が一人で、しかも既にパートナーの存在もない状態でただただ痛みに耐えて出産をしている姿を見ているとなんともいえない気持ちになった。

なんて、立派なんだろう。

思わず涙腺が緩みそうになった。最近まで、デブだデブだと馬鹿にしていた子が、生後3ヶ月と少しでしかない彼女はもう母になったのだ。その何十倍もの月日をかけて思い悩み、齢30にしてようやく母になるふにゃにゃな決意をした私とは大違いであった。

数時間をかけ、無事に5匹のデグーが生まれた。

身を寄せ合う、5匹の赤ちゃんデグー

お産を終えた〆に、自分の血まみれの胎盤をガリガリと食っている姿は大変にホラーであったが、同時に人間には見られない野生動物としての繁殖への執念を垣間見た瞬間でもあった。

身近な先輩を見つめて

それから1ヶ月の間、ツワリで体調が劇的に悪化してくわたしとは裏腹に、あずきとその子供たちはスクスクと育っていった。動物らしく1日に数回はお乳をやりに行ったり、夜は寒くないように身を寄せ合って温めてあげる姿は大変に微笑ましかった。

しかし一方、日中ともなるとミルク以外の時間では彼女は子供らを巣に残し、滑車を回して運動をしたり、はなと気ままに戯れ合う姿が見受けられた。何より一番笑ってしまったのは、必死に子供たちが乳をせがんで授乳している最中だというのに、ある日わたしが餌を補充しようとゲージを開けた途端に我が子を勢いよく引っぺがし、猛ダッシュでゲージを駆け降りて食事にがっつく自分本位な姿であった。

お乳をあげるのには多くの栄養が必要だと思うので本能的な部分でもあると思うが、平気で授乳を中断して自分のご飯に集中する姿を見て「人間も、これくらいの雑さを見習っていいかもしれないな」と思わず苦笑いしてしまった。

出産から1ヶ月半後、子供たちは限りなく母と同じぐらいの大きさとなって立派に成長していた。

さすがにこのまま全員を飼い続けることは叶わないので、購入したペットショップに相談して生まれた子供たち全員を引き取ってもらった。一人身になったはあずきどこか寂しそうな、でも穏やかな表情でいつもの日常に戻っていった。

絶望的なツワリに苦しめられていたわたしはそんな彼女を眺めながら、その激動の時間を過ごした彼女の心境に思いを馳せた。それはこれから、20年ほどかかる人間の子育ての「始まり」から「終わり」を、1ヶ月半というエクストリームな形式で擬似体験させてもらったような気さえした。

彼女のように、わたしもできるだろうか。

子育てどころか、現時点では自分の世話すらままならないほどにわたしの体調は最悪な状態であったが、それでも一つの「子育ての終わり」を見せてもらったことは、まだ何も産んでもいない私にとっても不思議な安心感を与えてくれたように思う。

私もお乳をやりながら、美味しい焼き肉に食らいつくぐらいの気概で子育てしたい。そんなことを思った、我が家の珍事件簿であった。

そのあずきの出産から約1ヶ月後、もう1匹のはなも急激に太りだして新に5匹を出産し、よもや12匹の大家族となることを私はまだ知る由もない。

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