真夜中の桃。
差し上げるという行為は、一方的であるようで一方的でないようで一方的である。
相手のことを想う気持ちは尊く、困っていたり、足りなそうに見えたら、助けたいと思うし、差し上げたくなることは尊いことである。
しかし同時に、何かして差し上げたいという自らの希望を、相手が叶えてくれていることを忘れてはならない。
この星は相互関係で出来ている。
年寄りのお節介という言葉を最近聞かなくなったが、難なく境界を超えてくるおばさんたちは、
ワレワレがそんな相互関係で地球をつくっていることを思い出させてくれたものだ。
距離感を大切にすることが品の良さ。そんな世界がいつからデフォルトになったのか。
どっちが善し悪しの話ではなく、私のような田舎者は当初、この大人と呼ばれる距離感に戸惑ったものだから。
うちの魚市場と呼んでる魚屋に、推しのBBAがいる。年の頃は70オーバーといったところか。魚を見ていると寄ってきて、
「今夜はブリ照りね。小松菜のお浸しなんかと一緒に」
「おばあちゃんちは、しらす丼。その煮物、お年寄りには味が濃すぎるからやめといた方がいい」
など、勝手に今夜のメニューを決められる。これが妙に心地よく、温かく、面白く、
セルフレジで、人間の声を一言も聞かずに、ありがとうの言葉も言わずに、お金に触れることもなく、欲しいものを手に入れられる日常に馴染み始めている私を、
両手で顔を掴んで、グイッと振り向かせて思い出させてくれる。そりゃあ、私もグイグイ食い込まれるのは得意ではないが、時々まだ、そんな気に触れたくなるんだ。
推しBBAは、言葉のやり取りを楽しむかのように、仕事があるっていいわよ〜というマダムに、
「毎日あくせく!働く目黒区三重苦!だから足繁く通って!なんちゃって!」
などパーフェクトに韻を踏んでくる。
やばい。すごい。格式高い。思わず忘れないようにメモをとった。しかし目黒区はどこからきたのか謎である。
話は変わって、昨晩のこと。
真夜中突然に家のインターホンが鳴った。
Amazon?にしては遅すぎる。酔っ払いの部屋番号の間違えだろう。私には予定はない。
やり過ごした。
すると間髪入れずまたインターホン。
こわいこわいこわいこわい!
恐る恐る見ると、おかんの顔が画面いっぱいに写っている。
えーーーーーおかん?な、なに、こんな時間に。
とうとうボケたかと思いつつ、エントランスを解錠する。袋を掲げている。
「はい桃。ひとみちゃんとこの。早く渡さなあかん思って。」
明日で良くね?
長女は思う。あと数時間で夜が更けて、朝になるんだけど。
おかんの場合には、差し上げるというラインに乗っていない。これはミッションなのだ。
桃が届いたら、おかんは勝手に時間と闘い始める。
そして、届いたら一分一秒早く食べなければならない!というミッションになるという。
毎度思うけど、何そのピーチミッション。
「気が気じゃないのよ。それでは。」
おかんは1分と留まらずタッチアンドゴーで帰って行った。
危ないから送ると言うと、
そう言うつもりは毛頭ない!とキレられた。
差し上げるという行為は尊い。しかし時にそれは一方的であり、一方的でなくやはり一方的である。