終焉のはざかいに見る妄想
実家の父が、そろそろ危ないという連絡をもらい、旦那くんと2人で施設に行った
点滴も入らなくなり、食事も受けつけないようになり、耳も眼も遠くなっていた
耳元で「長女が来たよー」と伝えると、薄っすらと目を開けて反応するも、口はぱっくり開いたままで体はやせ細り、ミラのようだった。
それでも、ひ孫たちの写真や家族の写真をタブレットで見せると、ほんのり笑っているような表情になる
何か言っているのだが、何を言っているのか分からないので、ウンウンと手を握って頷いて返事を返していた。
常に上から目線の自信ありげの父親の姿はもうそこにはなかった。
途中からモゴモゴ言い出したので、何度も聴いてみると「下に人がいるか?」「人がいる、どけてくれ」と目で自分の足元を指しながら何度も言ってくる。
当然、父の足元には誰もおらず、ベッドの下にも誰もいない
あぁこれがいわゆる「せん妄」だね
と、旦那くんと2人、コッソリ頷く
その反面、私の頭の中では、父の足元の辺り全体に、モワァ~っとグレーの霧のようなものが取り巻いている絵面が思い浮かぶ
「大丈夫だよ!何もいないよ、大丈夫」
孫たちを寝かしつけるような優しい口調でなだめてみるも、父は何度も「下に誰かいる」と、言い続けていた
いわゆる研究者だった父は、理論とデーターで論破する人間だった。当然のことながら見えない世界とか、オカルトとか、占いなんて話題に上がろうものなら、ケチョンケチョンに踏み潰されてしまうのだった。
そんな父の目には、今 目に見えない世界が広がっているのかもしれない。それは、彼にとっては揺るぎない現実でもある。
老人のせん妄や妄想は、もしかしたらこの世でない所に片足を突っ込んでいる状態なのかもしれない・・・と。
そんなことを思って描くとこんな絵になる
多分、父の寿命はあと僅かなのだと思う。
98年間、屁理屈と理論と研究に邁進し、扱いにくい方の人間であったが、傍から見ると「人生充分に謳歌したじゃん」などと、思えてしまうが、それはあくまで他人目線
まだ何か想うところがあって、この世とあの世のはざかいで 思案しているように思えてならなかった
そんな父を残して、私たちは、そっと部屋を出た。
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