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わたしの時間

日記が書きたい。そう思いながらも、物理的に、体力的に、書けない日がごまんとある。わたしはできればこのnoteの記事を、スマホじゃなくパソコンで書きたいと思っているので、PCの電源を入れたまま終わる日もある。もちろん、それすらできない日も。

平日、定時退勤ダッシュして、運が良ければ18時台、大体の日は19時ころ学童に到着。帰宅後、何より先に子供の食事を準備し、息子に晩御飯を食べさせ、その間に宿題とプリントをチェックする。そしてお風呂へと促しつつ、洗濯のの下処理、就寝の準備…という怒涛のような2時間を過ごす。残業が入れば、息子の就寝目標タイムである21時までの時間帯は、さらにシリアスさを増す。

夫が帰ってきたら、バトンタッチして、寝かしつけへと移行してもらう。今度はわたし自身が入浴したり、大人用のご飯を準備したり。それもようやく一息ついて、さて日記を…と思った瞬間に、添い寝中の夫から「もうすぐ(息子が)寝ます」とLINE。諦めて、食事の仕上げに戻る…なんてことはままある話だ。夕食を食べてしまったら、もうその日は試合終了。頭の中は「眠」と「怠」の文字でいっぱいに。

この家に引っ越すまでは、駅からさらに離れていたので、今より30~40分遅く帰宅していた。小学生になり、宿題チェックなどプラスαの新たな作業も増えたが、ある程度のことは本人が自分でできるようになったし、何より学童の手厚いサポートに生かされている感。加えて、保育園より預かり時間が延びたことで、夫が迎えにいけるようにもなった。「私が行かなきゃ誰が行くんじゃーい」のプレッシャーから解放されたのはとても大きい。

特に0~2歳児時代を振り返れば、手のかかりようは、何十倍もマシになったと思う。だってあいつら、ろくに歩くことも話すこともできないくせに、文句だけは一人前に主張してくる。大量のおむつを抱え、抱っこひもを装着するお母さんロボ、毎日稼働できていただけでえらい。一緒に子育てしてくれた、頼もしい保育士さんらのおかげだ。それでも途中で電池切れを起こし、帰宅途中の夫に「もう今日はダメかもしれない」と送り、感情を爆発させる夜も少なくなかった。

子供は成長する。うちの子はようやく一人でシャワーに入れるようになった。朝なら一人で学校に行ける。少しずつ、彼だけでできることが増えていく。それとともに、少しずつ、わたしだけの時間も増えていく。いま、乳幼児を抱えて、辛くてどうしようもないお母さんも、大丈夫。子供は成長する。でもだからって辛い「いま」を見て見ぬふりしてはいけない。

体が動かなくなる前に、会社を辞めよう。病院にも行こう。薬を飲まずとも、話を聞いてもらうだけでOK。働かなきゃ食っていけないなら、少しでもラクになれる環境の職場を探そう。幼児がいても、転職しようと思えばできるし、パートから正社員にもなれるし、20代30代なら未経験の職種にも業種にも挑戦できる(40代でできるかは未経験のため謎)。それは普通免許さえ持っていない無資格のわたしが身を以て体験してるので、自信を持って太鼓判を押せる。まあ、また転職しようとしてるけど。

今年5月に放送が終了した人気の海外ドラマ「THIS IS US」に、特に心に残っているシーンがある。三つ子の母として子育てを終えたレベッカが、美術館である絵を見ながら30代の息子に語る場面。「わたしの人生には“次回は必ず”があふれている。いずれできると思っていたことだらけ」。そしてこう言う。この先は「“次は必ず”の埋め合わせをしたいの」と。彼女はある出来事をきっかけに、時間には限りがあることを実感し、そう考えるようになるのだが、わたしのなかにもいつの間にか『次は必ずやろうリスト』が存在しており、数えきれないほどの項目が並んでいることに気づかされた。

もっと自分の時間がほしい。『次は必ずやろうリスト』を次々と潰していきたい。少なくとも好きな時にパソコンを開いて、日記を書くくらいの余裕はほしい。自分の時間を作る努力を惜しんではいけないと思う一方、無理をして心や体を壊してしまっては本末転倒だと、怖がりな自分がブレーキをかける。これだからリストの項目は増える一方なのかもしれない。しかしながら、子の育ちとともに、最近は自由な時間が戻ってきていることを実感しているので、焦らず、でも恐れすぎず、やりたいことをやる方向で前向きに動いていきたいと思っている。

…と書いたところで、学校へ行く準備を終えた息子がもじもじとしている。「どうしたの?」と聞いたら、「いつもお母さんと途中まで一緒だから寂しい」(今日は土曜登校日、母はお休みなので玄関でバイバイ)などと仰る。「帰りもマンションの階段が怖いから、下まで迎えに来てね」だそうです。

わたしだけの時間は、思うほど、まだまだ増えそうにない。


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