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離婚までのカウントダウン『過去洗いざらい』※閲覧注意

結婚して15年。子ども3人は小・中学生。スイッチ入ると妻子に暴力をいとわない正義漢の夫と離婚する決心がやっとつきました。でも、一体どうやって離婚を上手にできるのか?日々の赤裸々ノンフィクションを語ります。

最後の殴打

別居・離婚、その他の選択肢について、私は当時、地元から東京まで日帰りで弁護士さんに相談しにいっていた時期がありました。
2019年の6月頃の話でした。

事の経緯は、忘れもしないその年の3月16日。
自分で自分が最低の汚物のように感じられた日でした。

夫と口論になり、私の言葉にキレた夫が容赦なく殴打を加えてきたわけですが「もうこれはおしまいなやつだ」と思って離婚を前提に動いたのでした。

もう結婚当初から、口論の最後には暴力で終止符が打たれることが定番みたいになっていたので、すっかりその気持ち悪さと絶望感には「慣れて」いたのですが、その時はシャレにならない感じがありました。

怖かったのは、殴打されてるのに発生する痛みが炭酸みたいにシュワーっと蒸発して消えるような感覚になったこと。

振り返って思えば夫が殴りかかってきた瞬間から、痛みを感じないように脳内物質が出てきたのでしょう。

ものすごく気持ち悪いし、気分を害したらすみません。
振り返りたくもないけれど、このブログをそのまま警察や裁判所に持っていく記録として使う予定なので、あえて掲載します。


思い出したくもないけれど、いずれ必要になりそうな気がして泣きながら撮影した患部

この後は全力で暴力を回避するためにコミュニケーションをほぼ0まで下げました。


診療内科で相談した経緯

私は明らかにものすごく傷ついていました。
気力という気力がなくなって、布団から起き上がるのも苦しい状態。身体が生きるのを辞めたがっている感じが続いていました。

でも、この頃の家計は火の車だったので、仕事には行かなくてはならないし
なんといっても3人の子どもたちの生活はストップすることができません。
もちろん、私が身体を壊したらこの子達が一番気の毒な有様になるわけです。

日常って、本当に容赦ない。

這うような気持で生活していました。
幼い子どもたちに表情を悟られまいと、笑顔で過ごしたり、明るく対話するわけですが、心の中は今にも崩れ落ちそうな毎日でした。

何より、ずっと罪悪感がぬぐえませんでした。
子どもたちに毎日「ありがとう」と伝え、心の中で(ごめんね)を繰りかえしていました。

診療内科に行ったら、こう診断されました。

「中度の鬱ですね」

と。完璧な鬱にもなり切れないのは、ある意味、健康体ということかと思いつつ、日常生活が送れるだけにメンタルが重くて重くて、ひきずるような日々でした。

とにかく休む時間が欲しい。
一度時間を止めて、私だけ休む時間がほしい。

何度思ったかしれません。でも日々は残酷なまでにルーティーンを求めてきました。

夫への嫌悪は日に日に増して行きました。

相手は何も気に留めてる様子もなく、普通に出されたご飯をたべたりなどしています。神経大丈夫なのかと思いましたが、平静装ってご飯を作り続ける自分も相当いかれてます。

このころから、会話は挨拶程度にとどめる決意をしました。
いよいよ自分を守らねばと思ったからです。
彼は何一つピンと来ていない(※)ようでしたが。

※あらためて、この理由についてリサーチした点は記述する予定です

弁護士に相談した経緯

事情を知った高校時代のやさしい友人が知り合いの弁護さんを紹介してくれて、東京の弁護士事務所に日帰りバスに乗って数回行きました。毎回、うなだれるような状態でした。

最終的に、私のケースで子どもが3人いる場合、オプションは3つに絞られました。
(夫は自営業です)

①自分の気持ちに正直に対峙して、これまで通りDVを受け入れる

②自分の感情表現をゼロにして、回避する努力をし続ける

③離婚して、月3.5万円の法廷養育費(※)を受け、子ども3人とともに家をでる(家賃なし)

※法廷養育費 
年収に応じて支払う金額が法的な算出方法をもとに明示されたもの

子どもの該当年齢が0~14歳で3人の場合



これのどれを選ぶかの3択となったわけです。
どれをとっても地獄みたいな選択だなと振り返って思います。


弁護士の言葉

ところで、その弁護士の方(銀座一等地に構えられたオフィスの代表の方だった。すごくびっくりした。)に経緯をお伝えしたところ、彼(60代後半)は、「個人的に思うこととして」と前置きをしたうえでこう言いました。

「殴ったっていってもね。結婚していりゃ、相手にむかついて殴りたくなるようなこともあるでしょ。おそらくあなた、弁が立つんでしょ。だから相手が言葉でかなわないから腹立って殴ったんじゃないかな。私だって、一回や二回、自分の妻に対してあったしね。そんなもんでしょ?そんなことより、子どもたちの将来のことが一番なのだから、お金のことは一番考えなきゃならない。年取ってから『あんなこともあったな』って思えるときがあるしね。私、今日仕事終わってから妻と成人したこどもたちと寿司を食べに行くんだけど、過去にいろいろあったって、そんなもんだよ。
あなたは夫にこだわらず、自分の世界を淡々と広げていけばいいの。

これは、当時の私にとってある意味とてもショックでしたが、ある意味とても「救い」の言葉でもありました。あくまで絶望を伴う「救い」ですが。

弁護士先生を紹介してくれた友人(私にかなり親身になってくれる人)は、そういう話の展開になるとは想定していなかったようで、不本意な様子でした。

そりゃそうです。私のパーソナリティと事の詳細を知ってくれている友人にしてみれば、当然「いかに有利に離婚を遂行できるか」というポイントで話が進むと思ってくれていたわけですから。

このことは計らってくれた友人に対して申し訳ないことでしたが、当時の自分にとっては一つの大きな言い訳ができたことで、救われたのは事実でした。

もちろん、本当の意味では何一つ救われてはいないわけですが。

DV相談員の方の言葉



結果②を選んで生活している私にDV相談員はこういいました。

「でもね。あなたは本当に『回避し続ける人生』を、望んでいるのですか?」


(はあ!?)

望むわけないでしょう。一人だったらとっくにさよならだわ!

という言葉を抑えつつ

相談している立場でなんですが、逆にDV相談員の人に質問し返したのを覚えています。個人的に本気で聞いてみたかった。

「上記3つの選択肢を持って、もしあなたが私の立場だったら、この状況でどう判断されますか?」


すると、相談員の人は「それは…むずかしいですね」と言って、言葉を濁されました。そりゃそうですよね。私もいじわるだった。(ごめんなさい)

そう。

あらためて、大好きな子どもたち3人とともに家庭にぶっとい輪ゴムで結ばれているような感じを体感したわけでした。

これは健やかな家族にしてみれば「絆」と呼ばれるものなのでしょう。

でも、そうでない場合は「鎖」になってしまうのだなと思いました。


痛い周囲からの言葉

当時、精神的には大混乱をきたしていたと思います。このとき、なんとか今の環境から脱したくて、這々の体で生きる術を探っていた私に、身近な人からの言葉は時にきつく響きました。

「親が離婚すると、子どもも離婚するようになるらしいよ」
「離婚しないで仲の悪い親が同じ家にいることは子どもにとって悪影響しかないらしいよ」
「片親になると貧困になるから、子どもに迷惑かけるよ」
「離婚なんてそもそもするもんじゃない」

こんなことは、もう初めの初めにぜんぶ考えていたことです。
改めて言われたこれらの言葉は、単なる追い討ち以外のなにものでもありませんでした。

子どもが幼いゆえの複雑な心境

でも、当時、子どもが幼い時になにより混乱したのは

昼間、夫にきつく怒鳴られて部屋の片隅で泣いていた長男を外に連れ出したとして

しばらくして落ち着いて
帰宅すると

長男が、ケロっと父親と話しているという事実でした。

「ねえ、パパ!聞いてー」


とかなんとかいって。

大人気ありませんが、裏切られた気さえしたものでした。
一方で、息子が「平気」なんだとしたら、すごく安堵もあふれてくる。(絶対平気なわけないけど)

それは、子どものことを思うと、囚われなくてよかったと思う状況である一方、私のこだわりが彼らをただ単にかき回しているだけなのでは、という苦しみがやってくるわけです。


そして私は先延ばしにするのでした。
②をそのまま続けようとこれまでしてきたわけです。

3人養える経済力を得て離婚を選ぶべきと思いながら現状維持にとどまろうと思い続けるのです。

いつまで?

―わかりませんでした。

自分の弱さに他ならないと自覚しています。


たらいまわし感

ところで、電話して対応していただいたDV相談員の方々は最終的にこう言いました。

「地元の児童相談所または189(虐待相談センター)に電話してください」

と。

実際に児童相談所に相談したら

「地元の区役所に相談してください」

と言われ

「虐待相談センター」に電話したら

「地元の担当者が取り込み中なので、2時間後くらいにまた改めて電話してください」

と言われる始末。

2時間後に電話したら、同じセリフが待っていて
どこまでいっても、何にもたどり着きませんでした。
残念ですが、これがDVサポートの現状なのだと思います。

行政による窓口は設けられているものの、結局DV受けた側に不利な状況しかないという印象でした。

はじめて現実的な提案があったのは「生活保護」の打診で

「確かに、これが一番現実的かもしれない」

と思ったのですが、一言付け加えられるわけです。

「もちろん、親御さんや親せきの人の力を一切借りることができないということを証明するための審査が入りますので、親御さんがご存命で借金などがない場合は難しくなります」

とほほ。

―と、帰宅後にくったくなく夫とコミュニケーションをとる子どもたちを見るにつけ、私の心は、さらに混乱したのでありました。

(つづく)

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