離婚までのカウントダウン「気持ちの整理」
Xデーその後
先日、「離婚をします」「この家を出て東京へ行きます」と夫に伝えてからしばらく時間が経ちました。
生活は無慈悲なほどに多忙で、仕事や家事は容赦なくルーティンを余儀なくされますし
ここにきて勤務先が学校であるという特性もあって、卒業式シーズン到来。
おまけに自分はフリースクールも兼務してるものだから、そっちの卒業準備に、自分の仕事の整理に、授業に、ドタバタ。
最後に歌を歌う段取りになっていて、披露することになっていたアンジェラ•アキさんの「手紙〜拝見15の君へ」をずっとイヤホンで聴きながらの日々でした。
『大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど
苦くて甘い 今を生きている』
のくだりで毎回涙が。でも当日はなんとかクリア!
おまけにこんな時にライブがあって、しかもそのリクエスト曲が演歌や昭和歌謡のオンパレード。中島みゆきさんの『時代』を練習するときなど、もう他人事じゃなさすぎて、泣きながら歌ってました。
生徒達との別れ。職場との別れ。
こんなに惜しまれて辞めるのは生まれて初めて。
こんなにたくさんの感謝の手紙やプレゼントの山を受け取ったのもはじめて。
生徒一人一人が、話しかけてきてくれました。
『先生みたいな授業初めてで、本当におもしろかった!』
『授業最高でした』
自分が悩んで悩んで、あーでもないこーでもないとやってきた2年間。いつもすべってるんじゃないかって心配で、本当たくさん考えたことが
生徒たちがまっすぐ受け取ってくれていたのだと知って、感無量でした。
この仕事やっていなかったら、私は離婚の決意ができていなかったかもしれません。
それくらい、必要としてくれることが、元気をくれました。これは本当に大きかった。
こんな受け入れてくれて、ありがたがってくれる場所があるなら、私も生きていけるかもしれない、そう思えた人生初の場所でした。大袈裟でなくて。
謎のスムーズさ
目の前のことを
「思いつく」
「決める」
「実行する」
この繰り返しでした。
当たり前のことですが、これまで多くのことを「思いつく」でとめていたなあと自覚します。
思えば、自分で「決める」ことがなんか不安で、他人が言ったから、とか
占いに書いてあったから、とか本当に他人軸で生きてきたことを思い知らされています。
今回の当事者は私だけ。
私が「やっぱりやめた」と言えばやめることだってできてしまう。
そこを自分で運転して選択するという筋肉を稼働させまくった感覚でした。
錆びついているみたいにうまく稼働しなくて
でも、「そうせざるを得ない」とか「もう先延ばしにできない」とか、焦りや追い込まれた状況で「実行する」を行いました。
不器用なのに金槌でクギをフラフラと打って、自分の指も打ち付けちゃうみたいな、実行の仕方もありました。
結果につながると、それは小さくて目に見えないけど確かな自信になりました。
感謝
娘つてに聞きました。
「東京行ってもがんばってね」
と夫が娘に伝えたということを。
切り替えの早い人だとは思っていましたし、去るもの追わず、だから案外サクッと気持ちの整理むけたのでしょうか。
さて。
いろんな人に今月末の転居について感謝をお伝えするべく、片端から連絡しています。
びっくりしたのは、そのなかで全ての人が一様に
『私はあなたを応援します!』
というスタンスでいること。
誰かにキツくいわれたら萎れちゃうなあ、と思ってちた自分にとっては本当にありがたかったです。
子どもの習い事から、行きつけのお店、お世話になった先生など、ぐるぐるまわっている間に、思ったのは
人って本当に優しいのかもしれない!想定以上に!
ということ。
社交辞令ではありません。
なんとまあ、みなさんただたかい。
義母とも話す
自分の実家の親との話し合いも、もやついたりケンカまがいのことか多発したけど
「なんだ、この膿だしみたいなコミュニケーション!」
とあうようなやりとりが。
不思議なもので、一悶着あったあとは、数十年越しに分かり合えました。
離婚準備ついでに、自分の過去を精算した気分でした。
だいじょうぶ
「きっと、大丈夫。」
いつしか、確信に近いそんな気持ちになったのは
ゆっくりだけど、一つ一つ積み上げてきたことが、形になってきたからなのかもしれません。
多くの人たちとの感謝の別れ。
わだかまりが原因でスタートしたこの別居劇なのに
ありがとうがこんなに溢れていて、自分がこれまでお世話になっていた人や場所への感謝にまみれる結果になりました。
心強くて、前しか見れません。
心がすごい勢いで、溶けていっています。
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