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児童会と生徒会の思い出

  子ども達に〝民主主義〟を簡単な言葉で説明する場合、「物事をみんなで決めようという考え方」となるだろう。1970年代に小・中学生だった私たち世代は、学校生活の中で、実践的で実に良い自治教育を受けたと思う。私の鮮烈な思い出を記してみる。

一、感動の児童会長選挙

 私が小学生だった頃は、児童会長選挙が行われていたが、娘の時代になると、すでに選挙は行われなくなっていた。

 私には同級生の素晴らしい選挙演説に感動し1票を投じた鮮烈な思い出がある。一有権者(一般児童)としての体験だが、今も心に刻まれている。
  当時、保健委員や学習委員など、各委員長は、クラスの係りの代表が集まり、そこから互選で選ばれていたが、児童会長・副会長は選挙で選ばれていたのである。
 
 3学期後半になると、5年生の各クラスにおいて自薦他薦で候補者を出し、話し合いで1人に絞って選出する。私のクラスでは、活発でハキハキしていて男女問わず公平に接する態度が人気の女子Oさんを出すことになった。
 3年生以上の児童が体育館に集まり、選挙演説会が行われた。候補者は5人だったと記憶している。

 3つの公約を掲げて、しっかりと訴えるОさんの演説は際立っていた。その3つが何だったか、ひとつだけ覚えているのは〝美しい学校〟だ。
(美しい学校? そりゃ校舎はきれいな建物がいいけど、そんなこと私たちにはどうにもならないでしょ?)
と、私はいぶかしく思ったのだが、彼女が言うのは「校庭にゴミがなく、花壇やプランターに花がいつも咲いている学校」というものであった。
 現在の大王小学校の〝めざす学校像〟が、
①楽しい学校
②美しい学校
③明るい学校 
④静かな学校
なのは、Oさんのこの時の3つの公約が基になっているのかもしれない。

 演説の後は、児童たちが各自で投票したい候補者の名前を用紙に書いて投票箱に入れる。開票結果は、圧倒的な得票でOさんが新児童会長に決まった。Oさんの演説には、彼女のお姉さんやご両親の助言があったのではないかと思う。中学校の生徒会で活躍する優秀なお姉さんをもつ彼女を、長女の私は羨ましく思った。

 その夜、私は父に
「公約って何?」
と聞いてみた。その時の父の言葉も忘れられない。
「選挙の時に、当選したら私はこんなことをやります!と候補者がみんなに対して言う約束事だよ。でもその時ばかりのものさ。」
と言ったのだ。
(ふう~ん、大人の世界ってなんか変だな!)
がこの時の私の感想である。

 現在では、具体的に数値目標や期限等を明示した〝マニフェスト〟が一般的になりつつある。インターネットで調べたら、児童会でも〝マニフェスト〟を掲げて選挙に臨む小学生が登場しているそうで驚いた。

二、〝公〟と〝個人〟を意識した児童集会

 1975年、小学6年生の春、私は保健委員長として、大王小学校の体育館内に並べられた長机の席についていた。体育委員、美化委員、図書委員など各委員長と児童会長ら役員が前にいて、向き合う形で4年生以上の児童が集っている。本年度第1回目の児童集会なのだ。
 
 各委員長がそれぞれ年間計画などを発表し、質問を受けるのだが、私の順番の時、4年生の弟が手を上げた。
「危険物拾いの時、ゴミを見つけたらどうするのですか?」
彼の周辺がざわついている。弟が姉に対して何か物申しているぞ! といった感じの言葉が聞こえてくる。
(くだらない質問、4年生じゃそんなものか……。でも、初めてなのに大勢の中で手を上げて、しっかりした質問ぶりは偉いぞ!)
と、私は心の中で弟を称えながらも、ここは保健委員長としての立場でしっかり答えなくてはと思い、
「そうですね。危険物拾いをしていて、落ち葉やゴミを見つけることもあると思います。そんな時は拾っていいと思います。それは美化委員の仕事ですが、協力にもなっていいでしょう。」
というようなことを、みんなに向けて言った。子どもながらも〝公〟と〝個人〟については何となく意識をしていたのだと思う。集会が終わったあと、児童会指導の先生が、
「心配したけど、落ち着いた返答でよかったわよ。」
と私の対応を褒めて下さった。

 大人になった今、この時の先生の心配な気持ちがよく分かる。現在私は、都城市子ども会育成連絡協議会の役員として、隔週の土曜日、中学1年から高校3年生までが所属する団体〝ジュニア・リーダー・クラブ蒲公英(たんぽぽ)〟と接しているからだ。
 彼らの活動を私たち大人の役員が支援しているのだが、(口出しし過ぎないよう、でもここは言うべきか?言い過ぎたかも)と私自身がいつも試行錯誤の状態なのだ。

 児童会の話に戻るが、まどろっこしく思えても、その場で教師が口出しするのはよろしくない。自治的な活動を指導するのは、忍耐力も要り、大変難しいことだが、子ども達にとっては大切な社会的経験となるはずである。

三、中学校の生徒会での議論

 小松原中学校1年の時も、全校生徒集会の議論で、目からうろこの経験をした。その時のテーマは2つ。「男子中学生の坊主を長髪許可とするか」と「無地白ソックスという校則を、ワンポイントデザインOKとするか」である。

 当時は、都会の一部の中学校を除いて、多くの学校が〝男子中学生は坊主頭〟だった。また、ラコステやアーノルド・パーマーといった多くのファッション・ブランドが登場し、学生でも靴下やハンカチにワンポイントデザインのものを持つのが流行りだした時代だ。
 
 私は、最初
(そんなこと、全校生徒が望んでいるでしょうよ。でも、生徒会から学校にお願いしても、所詮(しょせん)通るわけないでしょう。)
と、議論すること自体が無意味なのではないかと思っていた。
 いざ始まると色々な意見が出た。
「長髪にすると、高校生と見分けがつきにくくなるので、映画館や美術館など公共的な場所での年齢の判断に困るのではないか?」
「高校生と間違われて絡まれるのではないか?」(そんな心配のある時代だったのだ。)
「ワンポイントの靴下は値段が高い。買ってもらえない人もいるだろうし、そういう事を考えると、許可する必要は無い。」
この意見が上級生の女子から出た時、私はハッとしたのだった。
(そうだ、多分私も買ってもらえない人だ。母に頼んでも贅沢だ!と言われるにちがいない。)
初めて、客観的に自分を見られたのだった。

 この議論の結果、生徒会としての意向がどう決まったかは覚えていないが、その後も変わらず、男子は坊主頭でソックスは無地の白だった。
 議論は、結論を出すためだけに行われるものでもない。多様な考え方があることを知り、受け入れ、自分自身の考えを確認する機会でもあるのだ―ということを、私はこの時に学んだ。

 今、マイケル・サンデルの議論型授業〝白熱教室〟がブームだ。ハーバード大学でサンデル教授が進める、議論方式の授業の様子をテレビで何度か見たが、議論を発展的に展開させていく氏の手腕は素晴らしい。日本の大学や高校でも取り入れるところが出てきている。

 私はふと、中学の時の議論を思い出す。今さらながら、当時この2つの議題でよく議論をやれたものだと感心する。企画進行をした当時の生徒会もだが、実施させてくれた教師たちも大したものだなと思う。〝白熱教室〟とも共通する「議論する事の重要性」を教えてくれている。私たちは良い教育を受けたと感謝したい。

■その後話……
 2018年の同窓会で、児童会長だったOさんから、あの見事な演説は、姉や親ではなく、担任の先生の熱心な指導があったのだと聞かされた。

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