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「受験サポート 次女編」子育てエッセイ⑦

 親は子どもの〝自己実現のサポーター〟でありたい。進路は子どもの意思を尊重しチャンスを与え、その子に合ったアドバイスで背中を押してあげたい・・・私が高校生の頃からいだき続けた希望である。
 私には二人の娘がいる。性格も夢も異なる娘たちに合わせて、私が行った受験サポートについて記しておきたい。もし参考にして下さる方がいらしたら幸いに思う。

受験サポート 次女編

 次女は小学6年生の頃から「美容関連の仕事」が夢だった。現在は、地元で「まつげエクステサロン」を開いており、仕事と家事・育児の両立を頑張っている。

■ 商業高校へ一般入試一本で
    次女が美容系に憧れたのは、私が化粧品店である夫の店で、お客様にメイクする姿を見ていたからだと思う。が、12歳でもう「化粧品の販売ではなく、サービスや技術で勝負したい」と言っていた。将来店を持つ可能性も考え、都城商業高校が志望校となった。

 中学3年の夏時点の学力では、合格が難しいレベルだった。そこに、アートを楽しむM・A・Pの仲間である市職員の友人が、家庭教師を買って出てくれ、休日に英語や数学を教えてくれるようになった。
 しかし、人見知りの次女は彼になかなかなじまず、勉強も思わしくない。独自の教材まで作ってくれる友人に申し訳なく思い、後は私が引き継ぐことにした。

 友人のおかげで受験意識は高まったようで、姉にならい「推薦入試を受けたい」と言い出したのには驚いた。授業であまり手を上げず、何かのリーダーでもない、学校が推薦するはずはないだろう。
 しかし、チャレンジする気持ちを尊重したい。人生初の自己アピールの機会、良い経験にもなると思った。
 次女は、推薦願書に「友達を大切にするところが長所」と書いていた。大人になった今も変わらない彼女の信条だと思う。推薦はかなわず、一般入試一本勝負となった。すでにその心づもりで私は進めていた。

①  学習方法は〝入試過去問題〟と〝教科書の音読〟
 まず『宮崎県立高校の5ヶ年分の入試問題集』を購入し、3年分をやってもらった。何ができて何が分かっていないのか把握し、それをもとに学習計画を立てるのだ。

 英語と数学は単元ごとの理解度を確認し、苦手なところやつまづき点を重点的に教科書で復習する。たとえば、英語の現在進行形を理解していないと、その疑問形も過去進行形も分からないものだ。
 数学の因数分解は、よく理解しているので勉強不要。証明問題はまっ白解答なので助言する。
「証明は部分点をねらえばいい。これは何の定理を使う? 直感でいいから言ってみて」
「三角形の3つの角の和は180度」と娘。
「おおー、それそれ合ってるよ。そう書くだけで、この子は定理を知っていて、これを使えば証明できると気づいている・・・・・で、部分点がもらえるよ。あとは模範解答を見てごらん。どう書くと良いか分かるよ」。
こんな感じで進めると、受験の頃には証明が得意になった。

 11月からは数学のみ塾のお世話になる。会社の食堂で昼食後に、数学を予習していた私だが、難しい問題はお手上げだったからである。
 塾選びでは、「友だちと一緒のところ」との本人の意向を重視したものの、そこは授業形式だったため、分からないところだけ教えてくれるマンツーマン式の塾にすぐ変えた。次女も了承してくれたのだった。

 社会と理科は、教科書の音読をさせた。時々私が
「はい、そこ重要~。マーカーひいて~」
「どんなことが書いてあった?」
「企業が中国に進出するのはなぜ?」と試験に出そうなポイントを示した。政治・経済・歴史、とっくに忘れている私も勉強になる。
 長女も時々参加した。歴史はまず、明治維新の前あたりから始め、後から古代以降へと進めた。

 国語力を伸ばすのは難しいので、文法や作家の代表作など知識の確認にとどめた。社会と理科の教科書はいわば説明文、その音読で少しは読解力が向上するかも・・・と、あわい期待をする。

 勉強を進めていくと、途中で自信をうしなう時期が来るものだ。そんな時は、間違いが多かった以前の解答用紙を見せて
「ほら、前はこんなだった。進歩してる、大丈夫」
と励ます。向上を可視化して示すことも重要だ。

 時に私は、疲れてうつらうつらした。次女が
「お母さん、もう寝やん。自分でやれるから」
と言ってくれる日や、代わりに長女が付き合ってくれる日もあった。入試直前は、過去問データも参考に、3人で〝ヤマかけ〟を楽しむ。いくつかヤマは当たり得点につながった。

②  勉強のやり方の習得は大人になっても役立つ
 勉強を教えることの前に大事なのは、勉強のやり方の習得だと思った。自分の状況や目的に合った学習の術を身につけると、資格取得や職場でのスキルアップなど、生涯役立つことだろう。
 特に時間の使い方が大切だ。宅習2ページという宿題で、娘がたやすい問題ばかり書いていたので、
「ノルマ消化なら時間のムダ。分かっているところは二度とやるな」
と叱る。もっと早く気づいてあげていれば、学生生活はより楽しかったろうに・・・・・と心の中で、娘にわびた。

 睡眠時間を確保し、宿題もやって、風呂や食事・・・受験日までに勉強できる時間は限られる。有効に使わねば・・・。単語や歴史年代などの暗記は、学校の休み時間など、うまく使えと助言した。

 受験当日は、問題用紙に自分の答を書き込むよう言っておいた。20年以上前の大学共通一次試験の経験にならったのだ。翌日の新聞に入試の解答がのるので、自己採点をしてもらう。
 結果は泉ヶ丘高校の合格点にも達しており「受かった!」と私は思った。次女は、合格発表の日に商業高校の掲示板で見て、飛び跳ねながらうれし泣きをしていた。よく頑張った証しの涙である。

③  親としてのサポート〝健康管理〟と〝励まし〟
 受験勉強というのは、本来個人的で孤独なものだと思う。私はサポーターとして常に声かけができるよう、娘には子ども部屋でなくダイニングで勉強させるようにした。
 食事中が唯一のテレビの時間。娘が食後テレビに夢中の時は、いきなり注意しても反感をかうだけなので、CM中に次の段取りの提案をするよう心がけた。
 健康管理も大事だ。インフルエンザの予防接種を受けさせ、ダイニングに洗濯物を干して加湿する。また、寝る20分前には、娘のベッドに布団乾燥機をセットするようにした。寒い時期も布団がホカホカだと、すぐに寝つけ良い睡眠につながるからだ。

■  福岡ベルエポック美容専門学校へ
 美容学校は、福岡と東京の数校を娘と見学した。が、娘が選んだのはそれ以外の福岡ベルエポック美容専門学校の〝ヘアメイク科〟だった。娘の希望は尊重しつつ、
「美容師資格の取得はぜったいだ」
と条件を付けた。当時、IKKOさんを始めいろんなヘアメイク・アーティストが活躍し始めていたが、美容師資格を有していないことで叩かれ、消えていった人がいたのだ。
 女性は結婚出産などで一線を離れることもあろう。変化が激しいヘアメイク界、そういう時に国家資格(美容師資格)は生涯役に立つ。

 ヘアメイク科では資格が取れないので、高校3年の夏から通信講座の受講(3年間)を始めた。2年間の専門学校卒業後、娘は福岡にいて学校に通い、半年後に一発で資格取得。
 ちょうど、新たな美容〝まつげエクステ〟が広がり始めた頃で、福岡に1店、宮崎にはまだなかった。娘は、取ったばかりの資格を引っ提げて上京し、〝まつエク〟を都内に展開する企業に就職した。
 新宿店に2年半勤務し、技術と経験をもって帰郷し、現在は自宅サロンを開いている。

 次女も奨学金を返済中だ。私が
「親に経済力がなくて、すまないね」と言うと、
「希望どおり行かせてくれて感謝してる。だから今がある」
と言ってくれた。娘の自己実現をしてゆく姿を、見られたことの幸せを感じている。
                          2022年6月記


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