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短編小説 『夕映』

 信号の向こうが逆光になってよく見えなかった。「じゃー!」という光の先からの声に「あー! またー!」と返すという暗号のやり取りみたいなことをして今までとは逆方向に歩き出す。途端にまただ、と思う。最近よくあるのだが、一人になった途端に変な感覚に陥る。誰かと喋っているときは大丈夫なんだ。でも今みたいに学校からの帰り道で同級生と別れたり、夕飯を終えて自分の部屋でぼーっとする時、得体のしれない気持ちでいっぱいになる。とても大事な物を忘れたままでいるような。何か大変な失敗を今自分はしてしまっているような気がして落ち着かない。だがいくら考えてみても何一つそんなものは思い当たらないのだ。なんとなく気持ち悪いが何か実害がある訳ではないので、俺は特別気にしないようにしていた。
 今また沸き起こったいやな感覚について考えていると、音楽がどこからか聞こえてきた。古いゲームの効果音のようだが、不規則なリズムを刻む破壊的な電子音も加わっており、とても暴力的な音像を成していた。無意識に下を向いてしまっていた顔を上げる。自分の家から五分ほどの距離にあるレコードショップの扉が開けっ放しになっていた。そこから漏れてきている音らしい。なんとなく危ない場所のような雰囲気があり存在は知っていたが入ろうと思ったことは無かった。だがドアが開いていたことと、今のこのおかしな気分に背中を押され、俺はつい中へ足を踏み入れてしまった。
 まともな髪の色の人など一人もいない、二人に一人はタトゥーが入っている、隅の方では金銭と何かの袋の授受が行われている、そんな危険地帯が広がっていることも覚悟したが、意外にもあったのは少しこだわりの強い本屋というか、個人経営の喫茶店のような世界だった。よく分からない黒人が苦々しく笑いながらギターを抱えている写真や、大昔のニューハーフのようなメイクで、キャバクラ嬢かと思うほどのボリュームのあり過ぎる髪型をした男たちがぞろぞろと集っている写真など、外国に来てしまったのではないかと一瞬考えてしまうような装飾が沢山あった。どうやら壁に貼られたそれらの写真は全てレコードらしかった。実物を見るのは初めてだった。こんなに大きいものなのかと驚いた。レコードしか置いていないのかと思えばそんなこともなく、ちゃんとCDも、さらにはカセットテープや何故か映画のVHSやTシャツに靴まで売っていた。おまけに不気味な絵柄の漫画すらあった。最近クラスメイトに教わって聴くようになったバンドのCDを探してみたが、何処にも見当たらなかったので店の人に訊いてみることにした。入口のちょうど対角線上の隅にあるレジ、といっても長テーブルにレジスターやパソコンや雑多な物がめちゃくちゃに散らかされて置いてある場所に居るのは、自分とそう年は離れていなそうな女の子だった。見覚えがあるような気がしたが、気のせいだと特に考えることもせず、目当てのバンドの名前を出してみた。
「あー、あの四つ打ちとメロコアの悪いところだけ抽出した絞りカスにセカイ系ラノベのなり損ないで味付けしたようなクソバンドか。残念だけどウチには無いよ。ネットで買えば?」
「……別にどうしても欲しいわけじゃない」
「そっか」
 対応悪すぎないか? と思ったが文句を言うのも気分が良くないので帰ることにした。しっかり扉も閉め、看板を見上げて気が付いた。いつか友達に連れて行かれたサブカルチャーとかいうものの聖地らしい場所の一角、宇宙船のような内装の店で見た昭和の看板の中に紛れていても違和感は無さそうな古さの看板には「タジマレコード」と書かれていた。タジマ、その名前、というより苗字で初めて分かった。タジマ。タジマ、アスミ。あれは修学旅行でのことだ。班を組む際、一人だけ余ってしまった女子がいた。彼女は結局、教師の目を逃れて極秘裏に行われたじゃんけんによって自分たちの班にあてがわれることになった。全く喋ったことは無かったが、むしろいい機会だ、旅の中で彼女と話してみようと思った。特に元々興味があったわけではないが、せっかく同じクラスなのだから、何も知らないまま卒業するのは、なんというか単純に勿体ないと思ったのだ。ゲームのやりこみ要素を放置してメインストーリーを完遂したら終わりにしてしまうような勿体なさを感じた。だが驚くべきことに彼女は修学旅行中ただの一言も言葉を発さず、どころか一度として表情を変えることもしなかった。友達がいない人間というのはやはりそれなりの理由があるのだということがよく分かった。
 そのタジマアスミだった。たった今俺が話して、好きなバンドをボロクソに貶してきた相手はよく考えて見ればタジマアスミなのだった。だがどうしても自分の中のイメージと、さっきのふてぶてしい彼女は一致しなかった。怪しい奴に思われてしまうだろうが、もう一度、確認の為に戻ってみることにした。
「いらっしゃー……ん?」
「あの、タジマアスミ、だよな」
「は?」
「同じクラスの、タジマアスミだよな、お前」
「お前、か……そういうオマエはキタザワユウゴくんさんだよな?」
「ああ、ああそうだよ……やっぱタジマだ、あのさ……」
 あのさ? あのさ、何だ? 俺はこいつに何が言いたいんだ? 考えているうちに間がかなり空いてしまったせいで凍り付いた空気を溶かしたのは、奥から現れた髭面の男だった。
「よーっす、アス、これやっといてー」
 客がいるのにいらっしゃいませも何もなく、指示だけを残して消えていった。そしてタジマも特に返事もせずに渡されたCDの山とパソコンの画面を見比べ始めた。何かを調べているようだった。
「あのー」
「……あっ、え?」
「そうじっと観てられると仕事やりにくいんだけど」
「あ、わっ、悪い!」
 やっぱり別人か? お姉さんか誰かか? とも思うが、俺の名前を知っていたことからもタジマアスミ本人であることは間違いない。何か、分からないが何かを話したかった。最近のこの変な気分を解決するための糸口が、ここでならつかめるのではないか、根拠もなくそう思ったのだ。学校とも家とも、自分の生活している空間とはまるきり違うここでなら、きっと思いもしなかったような考え方に出会える、そんな気がした。
「今それ、何してるんだ?」
「何ってまあ、独断での価格設定と世間的な評価がズレ過ぎないようにすり合わせてるっていうか、要は値付けだけど」
「へー、え、独断ってことはお前これここにあるの全部知ってるの?」
「だー……そのお前っていうのやめてくんないかな。イラっとする」
「悪い。タジマは、知ってんの、これ」
「うーん……あ、でもこれは分かんないな。えー……ジャケ的にゴス系か? あーやっぱり。ふーん」
「すげえ……」
「そう? まあ家業だからね。生まれてからずっとこんな所に居て詳しくならない方が逆にムズいって」
「だとしてもすげえよ。ウチの学校で一番詳しいんじゃね」
「あっははは、ナメてもらっちゃ困る。あんなノーミソからっぽな連中と比べるのは双方に失礼だよ」
「ノーミソからっぽ……確かに」
「うえっ、そこ同意すんの?」
「あ、マズかったか」
「マズかねーですけど、怒るかと思った」
 言われてみればかなりの暴言であるにも関わらず全く怒る気にはならなかった。あのクラスメイト達がノーミソからっぽだなんて、そんなことを自分は思っているのだろうか。否定しようにも彼らはどこまでも「クラスメイト」であり「友達」と呼ぶのは違和感があることに気が付いた。待て、じゃあ友達ってものが自分には一人でもいるだろうか。友達と、呼びたい相手が。休みの日に遊びに行くのだって、自分から誘って出かけたことが一度でもあったか。いつも必ず誰かに連れていかれるようにして行っていなかったか。漫画や映画で見るようなあの、友達、ってやつが、俺には居るのか? 答えは明白だった。早速、予想より十倍くらい早くモヤモヤの正体がつかめそうになっていることに戸惑いながらも少しだけ俺は興奮してもいた。
「あのさ、タジマは、友達っている?」
「ホント失礼極まりないよね、キタザワくん」
「ゴメン、でも、いるか? 友達。俺はもしかしするといないかもしれない、ってことに今気づいた」
 タジマはパソコンから顔を上げた。なんというか、それこそ値打ちを見定めているような表情をしばらくして、また画面に目を落とした。見間違いかもしれないが、少し微笑んだような気がした。
「嫌なの?」
「えっ」
「友達いないの、嫌?」
「嫌、かな? どうだろう……えっと」
「ふふふふふ」
「……なんだよその笑いは」
「いーや? 何でも? 多分ね、即答できない時点で別に大して嫌だと思ってないんだよ。私も、いないよ、友達なんて。要らないし。学生の言う友達なんて物は、なんていうかさ、寂しさを紛らわせてくれたり、自分は一人ぼっちの可哀想な奴じゃありませんとか、こんなイケてる人達と同じ人種ですってアピールしたいがための、飾りみたいなものでしかないじゃん。それは私、欲しくない」
「友達ってそんなもんなのか?」
「違うよ」
「違う!? 何なんだよ! 何が言いたいんだおま、タジマは」
「キタザワくんの言ってる友達とやらは多分そういう物のことだろうな、と思ったからそう言っただけ。本当の友達っていうのは、何だろうね、切っても切れない腐れ縁のある相手のことだと思う。友達になる、とか友達じゃなくなる、とかそういう概念自体が存在しえない人のこと」
「悪い……ちょっと混乱してきたから今日は帰るわ。また別の日に、良かったらまた話さないか」
「いいよー。ただし、そうね、在庫処分に付き合ってくれたら」
 そう言ってタジマはパッケージがボロボロの、いつの時代のどこの国の、どんな音楽なのか見当もつかないようなCDを差し出した。
「出血大サービスで今だけ百円」
 いやらしく笑いながら言うタジマを見て俺はつい友達になりたいと思ってしまったが、なったりそうじゃなくなったりするものではないという他でもない彼女の意見を思い出し、黙って百円玉を渡した。
 それからというもの、タジマの家もといタジマレコードを放課後に訪れるのが俺の楽しみになった。今まで大して面白いともつまらないとも思わず、将来のための文字通り勉強の場としか捉えていなかった学校という空間がハッキリとつまらない施設に感じ始めるという弊害はあったが、タジマにそれを話すと「ようこそコチラの世界へ」とまたいやらしく笑った。
 彼女の棘のある物言いによって、最近の俺はあの不気味な憂鬱を相殺出来ている。逆に学校生活は空しさが増すばかりではあったが、もう卒業が間近であることを思えばどことなく愛おしくも感じ始めていた。ふと気になってタジマに卒業後のことを訊いてみると、進路調査票には「就職」と書き三者面談も家業を継ぐ方向で全員の意見が一致し、五分足らずで終わった、という信じがたくはあるがあり得ない話ではない答えが返ってきた。
「ま、もうこの店つぶれるけど」
「はっ!?」
「当ったり前って話だけど、今の時代こんなクソ田舎で音楽CDなんか売ってたって儲かる訳ないよ。私の親、黒字なんてここ数年で一度も見てないらしいし。だからここ近々潰して違う所で今の時代に合ったビジネス始める、とか言ってた。どーすんのか詳しくは知らないけど、とりあえず他にやれることがある訳でもないから、私はそれに従うだけなんだけどね」
「本当かそれ、じゃあ、卒業したら引っ越すのか」
「たぶん。というかほぼ間違いなく。……アエナクナッテモ、ワタシノコト、ワスレナイデネー」
「すげー棒読み……でも、忘れないとは思う」
「あはっ、なんだかんだ私もキタザワくんのことは忘れないと思うよ。ヒエラルキーの頂点に君臨する帝王みたいなやつかと思ったらしょーもねークソガキだった男の子が毎日のように私とおしゃべりしに来てたなんて変な思い出、忘れようとしても無理そう」
 俗に言う「いい雰囲気」というものが醸し出されてもおかしくない会話内容ではあった。だが気持ち悪い電子音楽が結構な音量で流れていたので、どうしても昔何かの映画で見た物騒な場末の路地裏での会話のようになってしまうのが可笑しかった。こんな風に、心に何のひっかかりもなく全てを開いて誰かと喋っていられることがこんなにも幸せなことだとは知らなかった。クラスのやつらとはやはりどこかで打算や、恐れのような物を抱えながら付き合っていたのだということが彼女のおかげで分かった。友達とか、恋人とか、そういう物で無くてもいい、むしろそんな物では無い方がいい。彼女とはもっと特別な、表現する言葉の存在しないこの関係でありたかった。そんな変な仲間として、最後に、会えなくなってしまう前に、一度彼女と二人で一日を過ごしてみたい。そう思って俺はある提案をした。 

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8,228字

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