言葉を知る道のりは、まだまだ長い

小説を読みながら、
 「まだまだ、知らない言葉がたくさんあるな・・」
 「こんな言葉の使い方があるのか・・」
と思うことが、よくあります。

今、読んでいる小説は、
  豊饒の海 第二巻 奔馬 (三島 由紀夫 (著))


裁判官を務める本多という登場人物が、
早逝した親友の転生らしき現象に触れていく
物語です。
(まだ読み終わっていませんので、
その現象が転生なのか、分かりませんが)


本多が夢と現実のことを考えるシーンは、
こんなふうに描かれています。

「水平線上で海と空とが融け合うように、たしかに夢と現実とは、はるか彼方では融け合っていることもあろうが、ここでは、少くとも本多その人の身のまわりでは、人々はみんな法の下におり、又、法に護られているにすぎなかった。本多はこの世の実定法的秩序の護り手であり、実定法はあたかも重い鉄の鍋蓋のように、現世のごった煮の上に押しかぶさっていたのである。


夢と現実について、
ふと考えることはあるものの、
こんなに煌めく言葉で深慮することは
ありません。

正直、読み進めながら、
秀逸すぎて理解できない表現や
初めて見る言葉にも出くわすのですが、、、
それは、私が世界を認識する言葉を
未だ知り尽くしていない、ということです。

優れた小説を読むと、
何かを洞察したり、
人に共感したり、
人生を豊かにしたりするのは、
すべて言葉であることを
改めて思い知ります。

言葉を知る道のりは、まだまだ長いですね。

(終い)

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