仕事を離れてネコになった
看護師しかしてこなかった。天職だと思っていたし。
何十年もそうやって生きてきた。それが当たり前の毎日だったけれど離れてみて感じること、わかることが山のようにあるから記録しておこうと思う。
誰かの役に立つ事の旨みと弊害
どんな仕事も誰かの何かの役に立つのだろうけれど、看護師の仕事ってどこを切り取っても「誰かのため」というのがデフォルトになりすぎている。
患者さんのための仕事なのはもちろんだけど、そうじゃなくてもチームのため。周りの人ができるだけ気持ちよく働けるように先をよんで気を回す。そうやって働いてきたし、そうできないと先輩からきつく叱咤された。やりたくないこともたくさんあるけど、これも仕事だからって我慢してやっちゃう。
だから自分の気持ちなんて二の次三の次。もしそうじゃない働き方ができている看護師さんがいたら、あなたはとても聡明で賢いし勇者だと思う。
『誰かのために役に立って感謝される』
看護師は専門職だと思うし誇りもある。感謝されたくて働いているつもりは毛頭ないよ。
でも誰かのためというのが当たり前になりすぎて、役立っているということが自分の旨味になっていたことが、仕事を離れてわかったこと。患者さんの見せる笑顔にめちゃくちゃ癒されているとしても、だ。好きでたまらないからやっているというより、役にたつからやる。いや、役にたってしまう。
役に立つことが旨味になるのは悪いわけじゃないけれど、自分を大事にすることが圧倒的に足りない。これも悲しいかな無意識に。看護師はそんな人ばっかりな気がする。
わたしは長年の看護師生活の末に、役に立つ自分が当たり前すぎて、役に立たない自分の存在価値がわからなくなっていたかも。
自分の好きと嫌いに真剣に生きる
自分らしい人生を生きられたら絶対に幸せ。
無駄に病気にならないと思うし、イキイキと力が湧いてくるだろうし、死ぬ時に後悔しないだろう。自分を殺して自分の人生を生きていない人が病気になるのを経験から知っている。
病気にならなくても、周りからの視線や評価を気にして、「仕事だから」って自分に言い聞かせて、どこにあるかわからない正しさに合わせたり、やりたくないことをやり続けたらどうなるのだろう。輪郭がぼやけた魅力のない人になるし、死ぬ時に間違いなく後悔する。
残り時間がいくばくかって時になって、あれ?わたしの人生ってなんだったの?って思ってももう手遅れだ。
自分らしい人生って、『好きなことだけやって嫌なことはしない』人生だ。それはわがままとは違う。
もう自分の気持ちに忠実に生きてもいいんじゃないか。好きと嫌いの精度を上げなきゃ。
例えばわたしの場合だけど、わたしのことをぞんざいな扱いをしてくる人に対して、いくら仕事だからといっても機嫌をとるのは嫌だ。
明らかに長時間すぎる仕事も激務も嫌だ。
下痢にまみれたひとのオムツ交換をするのは嫌だ。
やりたくないことはやらなければいい。やりたい人がやればいい。自分がやりたくないことはみんなやりたくないことではないよ。
わたしの友人には、オムツ交換が好きな人がいる。漏れずにオムツを当てられたことに狂喜乱舞する人。信じられなくてもあなたの嫌いなことが好きな人は必ずいる。
だから好きなことだけ拾って生きていいのだ。
好きなことだけ拾って生きるためには、嫌なことを手放さないとスペースが足りない。
何の役にもたたないわたしをやってみる。
仕事を離れたら、自分がネコになったように感じた。
だだ好きなように歩き、眠くなったらあくびをして眠り、景色をながめる。
誰の機嫌も取らない。
時間が無限にある。
ネコの視線、ネコの思考、ネコの行動。
ただそこにいて何の役にもたっていないわたしが見る世界は、かつての世界とは違った。
酸素が身体の奥まで入ってくる。
空が広い。
見るものの色が濃い。
昼寝して、本を読んで、散歩して、花を買う。
海を見て、ビールを飲んで、お風呂に浸かり、風に吹かれる。
球場で観戦したり、友人とランチしたり、ネイルサロンに行く(←これ、長年やりたかったこと!)
自分のことしか考えてないわたしを見て、そういうあなたが好きと言ってくれる人がいるのだ。びっくりするんですけど!
眠る時に、あー楽しかった、明日は何をしようかなってワクワクしながら眠る。みんながそんな風に感じられる世界があればいいのに。叶えたい世界。(これを聞いて「ケッ」て感じた人は我慢しすぎの頑張りすぎてる人だよー)
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