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看護師25年のわたしからお伝えたいこと

こんにちは。
白川悦子です。

わたしはZero‐Regretコーチとしての活動の中で「死」について考えてもらうために、「お先に天国〜いっぺん死んでみる〜」というタイトルのワークショップを開催しています。
テーマとしては楽しくはないし、はっきり言って重い。
お誘いしても、毛嫌いされることだってあります。
それでもやめずに粛々と続けているのは、開催して参加していただく度に、死を想うのはやっぱり大事で必要なことだ!と感じるからです。

超高齢化社会を目前に控え、見ないことにしている場合ではないし、
ある日突然突きつけられる課題にしては問題が大きすぎる。
出来るだけ早くちゃんと向き合った方がいい。

死について、命について、たくさんの方に考えて欲しい。
ひとりでも多くの方に後悔のない人生を送って欲しいと心から願っています。




後悔を残さずに生きるには

わたしは「どうせ死ぬのだから」ということばを自分に対して使う事が多いのですが、これは後ろ向きな意味ではなく、「どうせ死ぬのなら後悔のない方を選びたい」という前向きな気持ちからです。
看護師を経験する中で、人は”本当にいよいよ最期”という時になって後悔するのだなという現実を見てきました。その時に後悔してもどうにもならない残念さを近くで共有させてもらいました。

もっと楽しめばよかった…
もっと自分を大事にすればよかった…
周りを気にせずあれをやればよかった…
そんなことをお話される人が多かった。
(わたしが聞いた中では友達との時間をもっととればよかった、昔好きだった人に気持ちを伝えればよかった、がトップ2ですね)

だったら元気なうちにやりたいことをしなければ。

未練は残るとしても、後悔を残さず終えられるように。



どんな人も頑張っていないわけじゃないのです


それから、看護師経験の中で
食事内容をいくら注意されても血糖コントロールがぐちゃぐちゃな2型糖尿病の患者さんや、命にかかわる状況になってもお酒をやめられない肝障害の患者さんや、透析をしているのに水を大量に飲んじゃう腎不全の患者さんとかに多くかかわりました。
いわゆる「あの人ってダメよね・・・」というレッテルを貼られた人たち。
そういうキャラクターの人たちだって人生を投げやりに捨てているわけではなく「死が怖い。だけどどうしても頑張れない」という葛藤の中で生きていました。
「あんな奴は死んだ方がいい」と家族からも見放されてしまうようなダメレッテルの人だって、一生懸命なのです。
他人からはそう見えなくても。
頑張っていない人はいないんですよ。 
みんな心の中は渦がぐるぐるしているし、その人なりに頑張っている。
だけど同じことの繰り返しを頑張っているだけだから、やっぱり最期に後悔する。弱かったり、頑張る方向が違うだけです。

どんな人も日々頑張って毎日を過ごすことに一生懸命なのだけれど、流されるように何十年も過ぎてしまう。そうやって人生の終わりがきてしまう。
何十年生きたって、あっという間なんだろうな…とたくさんの患者さんを見てきて感じています。


積極的に取りに行け


2019年に厚生労働省で「人生会議」というキャッチコピーが作られACP(Advance Care Planning)について国民に周知しようとしたことがありました。ACPとは、人生の最期に医療的な治療をどのレベルまでやってほしいかあらかじめ相談しておくということです。
お笑い芸人が起用され「人生会議」というキャッチコピーが入ったポスターが不適切だと批判があがり、炎上したために人生会議というワードは広まらなかったけれど、ACPは大事なこと。
「人生の最期にどうありたいか」という問いに等しいことで、すごく大事な問題です。

自分はどうして欲しいか?はもちろんですが、
その前に、親の最期をどうするか?という問題がやってきます。
親が倒れた、病に臥せった、もう話ができる状況でない・・・そんな状況で治療法はどうしますか?と迫られたときにオロオロしないように。

その時になって考えるのでは遅いのです。
だから今、元気なうちに考えましょうとお伝えしていますがそうは言っても今すぐの話ではないよな…と敬遠される方が多い。
「だって縁起でもないし、ちょっと怖いし、なんかイヤ…」
気持はわかりますがそうやっているうちに日常は過ぎて行き、イザという時になって慌てるのです。

自分から、「どうしたいのか」を是非積極的に取りに行ってください。
知ることと考えること自体に早すぎることは絶対にないです。


医者は教えてくれない

わたしは看護師時代に「透析」の分野に長く席を置いていました。
透析というのは腎臓が悪くなってしまった人が週に3回必ず病院に通って受ける治療です。
腎臓の機能が働かないので透析をすることで命が続きます。
透析をすれば寿命と同じくらい生きられるけれど、透析をしなければ死んでしまうので延命治療のひとつと言えるでしょう。

透析を何年も何十年も続ける中でほかの病気をすることもあるし、高齢になって自然に死が近づくこともあります。
身体に起きる故障や経年劣化は当然のことで、いつまでも同じような透析のメニューを続ければいいわけではありません。
本来、死に近づいているのなら自然な形で終わりを迎えられるように治療の内容も整えていく、それと同時にご家族に状態を説明して心の準備もさせてあげる、というようなことが必要です。

でもそこまでの細やかさを提供してくれる病院や医師ばかりではありません。
そこまで考えてくれる病院や担当医に当たればラッキー
もうこれはガチャの世界です。
言っちゃあなんですがピンキリなのです。
そしてピンでもキリでも病院の医師は命の終わり方なんてどうしたいのか聞いてくれないし、教えてくれません。
どうしたいのか相談にのってくれる医師は神レベルです。通院ができないほど身体が弱って訪問診療の医師につながって、ようやくそういう話ができるようになる印象です。

だからこそ、自分はどうしたいのか考えておく必要があるし、
自分はどうしたいのかを伝える必要があります。

病院というところは、目の前の問題を取り除くことには全力ですが
人としてどう生きたいか、どう終えたいのかということに力を貸すことはほぼありません。
悲しいことに時間がなさすぎるし、忙しすぎる。
だから、幸せに生きるためには自分で考えて自分で決めることが必要です。
希望を伝えるスキルを持たなきゃ!

これは、病院を内側から長年見てきたわたしからお伝えしたいことです。

皆さんが人生の終わりに後悔しない生き方をお伝えします。
幸せを感じて生きる人がひとりでも増えますように。









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