題名【さよ子と鹿】(1)
あらすじ
主人公、中学三年生の久保直樹(クボナオキ)は、長野県で両親と共にジビエ料理店を営んでいる。直樹は、奈良県からの転校生、小林さよ子(コバヤシサヨコ)に恋をする。幼馴染で親友だった 青木サクヤ(サクヤ)は、交通事故で母を亡くしてから、直樹に乱暴にあたる。
ある日、さよ子は子鹿を保護する。子鹿に名前をつけて看病するが、奈良県では神様の使いとして守られている鹿は、長野県では害獣として処分されてしまう。長野県から奈良県へ逃がそうとする。「小川未明文学賞最終選考作品に加筆修正」
< 目次 全23話(1話辺り2000文字程度) >
1:初雪
2:ひなん民
3:ライフル銃
4:リンゴジャム
5:鹿踊り
6:さよ子
7:ポトフ
8:猟友会
9:熱
10:過去
11:マフラー
12:初もうで
13:大根
14:はたし状
15:ひみつ基地
16:命日
17:銃口
18:夜泣き松
19:事故
20:謝罪
21:カモシカの谷
22:猟師小屋
23:炎
1、初雪(はつゆき)
ブナの大木が、わずかにのこった葉をゆらしている。
カササ、コソソ
悪いことをとがめる声のようで、直樹は立ち止まる。恐る恐る、ブナを見あげる。のっそりとしたブナが、直樹を見おろしている。
祖父の家へお使いにいった帰り道、いつも、ブナの林で迷子になる。
実際に道に迷うのではなく、ストンと、心が深い穴におちて動けなくなるのだ。手にさげているビニール袋のせいだ。
「さっきまで生きていたんだ……」
直樹はつぶやくと、手に力をこめた。
袋の中身は鹿肉だ。
今朝、猟師の祖父が、裏の山に入ってしとめた。
切り分けたばかりの肉のかたまりは血がにじんで、袋がゆれると、クチャッと不気味な音がする。
直樹はビニール袋を投げすてたいきもちになる。
どうしても忘れられない風景が、直樹にはある。幼稚園のとき、偶然、祖父の家で見てしまった鹿の解体風景だ。
竿のさきにくくりつけられた首だけのオス鹿の顔だ。
目玉を見ひらいて、角をつきだして、半開きの口からは、チロリと、舌がのぞいていた。
ギラリとひかる刃物をにぎる祖父は、見知らぬ人のようだった。鹿の頭は、祖父が肉を切り分けるのを見ていた。
そして、それを盗み見た直樹をにらんだ。
「ヒッ……」
思いだすと、今でも声がもれる。
直樹は濃紺のダッフルコートの帽子をかぶった。中学三年生のクラスで一番になった背を丸める。スーッと、冷たい空気を吸いこむ。
「玉ねぎの皮はていねいにむいて、クローブを四、五本さす」
声にだして、独り言をいう。
「人参の皮をピーラーでむいて、セロリはすじをのぞく」
父から習ったおいしいポトフの作り方だ。
「カブは上下をきりおとして、サヤインゲンはへたをとって」
料理の材料の下ごしらえは、直樹にとっておまじないだ。おいしいスープができるように、ぶじに家へたどりつけるように。
山の中で迷ったらレシピを唱える。恐怖からのがれるために、直樹が必死に考えだした方法だ。
「じゃがいもはよく洗って、水から弱火でゆでる。ゆであがったら、皮をむいておく。そして、肉だ」
細長い声が、木々のあいだをぬけていく。
ポトフのレシピが後半にはいると、直樹の頭の中に湯気がかかり、オス鹿の顔がとおざかる。手にさげているのは、死んだ鹿の一部ではなく、材料のたんざく肉に変わったようなきもちになれる。
「肉は塩と黒こしょうとグラニュー糖をまぶして、よくなじませる。それをたこ糸でしばって、冷蔵庫で一晩ねかせる」
材料がすべてでそろうと、直樹の足は動きだす。
直樹の家はレストランだ。
長野県の最南の山のふもと、大神村にある。店の名前はプリエールという。フランス語で祈りという意味らしい。
店は、料理を作るシェフの父と、デザート担当のパティシエの母と、見習いコックの直樹の三人でやりくりしている。
直樹の仕事は、主に山道の案内だ。
プリエールには宿泊設備がないので、ちかくの民宿まで客をおくりとどける。直樹はこの仕事をきにいっている。
都会からの客のほとんどはスマホを手に、写真ばかりとっている。
「足もとに注意してください」
人見知りの直樹は、おち葉にむかってしゃべる。だれもきいてないのがいい。それでも、目的地につくと、ありがとうといってもらえる。
だけど、
「今夜の客は、キャピキャピの三人組か……」
客の顔を思いだして、直樹はため息をついた。
中学校からもどると、南アルプスをのぞめる店のテラス席で、三人の若い女性がハーブティーを飲んでいた。
「こんにちは」
直樹はカバンを持ったまま、ぼそっとあいさつした。すると、
「きゃーっ、イケメンくんじゃないの!」
鼓膜につきささる黄色の声がとんできた。
「こんにちはじゃなくて、いらっしゃいませでしょう?」
何度、母に注意されても、いらっしゃいませと、直樹はいえない。格好悪いようなきがするのだ。
「いいのいいの。イケメン男子には、お姉ちゃんたち、なんでもゆるしちゃう。一緒に写真とって」
手招きする女性客の膝の上には、ピンクの雑誌があった。
季節ごとに発売される有名な旅の雑誌だ。
タイトルは、極上の旅。秋号の特集は、紅葉をたのしみながら、店で食べる家庭の味だ。
レストランプリエールのシビエ料理が、開業六年目にして、はじめて雑誌に紹介されたのだ。
『あたたかい暖炉のあるお店』
小さいけれど、両親にはさまれた直樹の写真ものっている。
カメラマンのリクエストで、直樹は母の白い調理服をかりて、父と同じコック帽をかぶっている。
雑誌が刷りあがったとき、直樹は写真を直視できなかった。
なんて、キレイな笑顔だろう。まるで自分じゃないように思えた。加工された胡散臭い自分と目をあわせられない。
「久保直樹くんでしょう? 写真よりもイケメンじゃない」
「ほんとほんと」
女性客は直樹をとりかこんで、スマホで撮影しはじめた。
「うっ……」
鼻につく甘ったるい香水のにおいに、直樹は息をとめた。人気雑誌にのったことによる招かざる客だ。
今までは、マニアの間の口こみで、山と自然を愛する人たちが、シビエ料理を目当てに店を訪れてくれた。そもそも、シビエという言葉は、野生鳥獣という意味だ。
シビエ料理は、山の命をいただくという、大袈裟にいえば、人間が生きるための儀式だそうだ。
「おじさん、ステーキある?」
なんて、軽いノリで食べちゃいけないようなきもちがする。
シェフの父が笑みを浮かべ現れた。
「おじょうさん方、一番いいときにいらっしゃいましたよ」
父は手書きの白いメニュー表をひらいた。
「もうすぐ、初雪がふるかふらないかのこの時期が、紅葉もすばらしいですし、冷凍ではない鹿の肉が味わえるんです」
それをきいて、女性たちはさわぎはじめた。
「焼きかげんはミディアムで」
「あたしは、血がしたたりおちるくらいのレアで食べたい」
「ワインは、赤」
直樹は耳をふさぎたいのをがまんした。
直樹は血が怖い。もう一度、祖父が鹿を解体しているところを見たら、きっと気絶してしまうにちがいないと思う。
それでも、鹿肉は好物だ。父の焼く肉はこうばしいし、煮こみ料理はあぶら身も甘い。
料理を手伝うときも、生の肉にはなるべくふれたくないが、火をとおして肉の色がかわってしまえば、へっちゃらだ。
直樹はそんな自分自身をズルイと感じる。自分は安全なところにいて、祖父の手のようにけっして血にそまることはない。だから、女性客を責める資格は、直樹にはないようなきがする。
「赤ワインと鹿肉はよくあいますよ。そうそう、長野県特産のりんごのワインなどもございますが……」
父は客としゃべりながら、そっと、直樹の耳もとでささやいた。
「じいちゃんのところへ、おつかいにいってきてくれ」
父がにがしてくれてから、一時間後。
今、直樹の青いセーターには、線香のにおいがしみこんでいる。祖父がうら庭で鹿肉をきりわけるとき、祖母は必ず久保家の仏壇に線香をあげる。直樹はせまい仏間で息をひそめていた。
ときおり、
ドスン、ゴツン
庭の方から物音がきこえるたびに、直樹の体に力がはいった。きづくと正座して、膝の上で、げんこつをにぎりしめていた。
解体がおわると、
「こわがらんでええ」
祖母はビニール袋を二重にして、直樹に鹿肉をもたせてくれた。
(2へ続く)
2
https://note.com/preview/n60971a8dbc13?prev_access_key=acf1e30f9e622b28781b5b0d29dbd201
3
https://note.com/preview/nc7800674e9db?prev_access_key=491df6b668ff0e3ad918266db2959ced
4
https://note.com/preview/n94fd68d2cb00?prev_access_key=50447fcc1c99ccf0cbed53f6ed213165
5
https://note.com/preview/n6796d846194f?prev_access_key=f891db4e4efb945784cab588b654545c
6
https://note.com/preview/n0188319f6fa1?prev_access_key=097a9396cb7c359763599ef41a730981
7
https://note.com/preview/n30091c126b05?prev_access_key=bab2390cd5dc114b75d704a5f491ee82
8
https://note.com/preview/nf9614722d0b0?prev_access_key=5f484c166ef32f00a1b3ee2e1693290c
9
https://note.com/preview/n9b3988ef800f?prev_access_key=b352da6623915d723fca5b95beea62e1
10
https://note.com/preview/n4a1a2b3e57da?prev_access_key=70cd92d50c8cfa11e9af0fae140553bd
11
https://note.com/preview/na068eabc43da?prev_access_key=94a782755f5da599f67b58ed64753e2d
12
https://note.com/preview/n06966c8f8a83?prev_access_key=0751d134c5c0e5a7b41875ab32840d6a
13
https://note.com/preview/n999c3039e1de?prev_access_key=283560d4e3fbb1f3cbe8f8bb5cf17ab2
14
https://note.com/preview/n8d5332823c25?prev_access_key=1d59c06b2ccdb965171c08284944d3b7
15
https://note.com/preview/n44197c93304a?prev_access_key=3dd000d369c251fd671970f03568c581
16
https://note.com/preview/n09970faf3b33?prev_access_key=2ddf1bfaf4b0c619ce687c66e8257d83
17
https://note.com/preview/n55472c2cd192?prev_access_key=9363ecba639c94bebe80d2ccb3d98171
18
https://note.com/preview/n22c09616b008?prev_access_key=c1526001537fe4a89ab18b206edad620
19
https://note.com/preview/n2adf5421bae8?prev_access_key=a702435cc132d75813a1719b224a8edf
20
https://note.com/preview/nf5330a390beb?prev_access_key=ab9e5a16d69e5d1e6e20f78e7a794638
21
https://note.com/preview/n98defb6dbccd?prev_access_key=58ea77ac11431eae2229281d92d8b1e1
22
https://note.com/preview/n812cf5a06499?prev_access_key=2a4ca85f928dad7bb03dab6ff3cd5283
23
https://note.com/preview/n44b0729c8945?prev_access_key=28ec6f6bc6217d68ab42731e2765913e
新人さんからベテランさんまで年齢問わず、また、イラストから写真、動画、ジャンルを問わずいろいろと「コラボ」して作品を創ってみたいです。私は主に「言葉」でしか対価を頂いたことしかありませんが、私のスキルとあなたのスキルをかけ合わせて生まれた作品が、誰かの生きる力になりますように。