面白い以上 楽しい未満

突然だがこれを読んでいるみなさんは楽しい人生を歩んでいるだろうか。

「楽しい」の基準はそれぞれの中にあって、同じ人生を歩む二人が存在していたとしたらきっとその二人の間でも楽しいか否かはきっと分かれると思う。

楽しい人生を目指そう!楽しんだ者勝ちだよ!楽しもうね!

世間は楽しむ、ということを簡単に要求してくる。けれど楽しめない人はどうすればいいのだろうか。

僕は人生が楽しくない。毎日起きて誰に感謝されるでない家事をして(生きるためには必要不可欠だけど)、何もしなくても流れていってしまう時間を何もせず浪費するのが惜しくて動画をダラダラと見て過ごす。

気がつけば昼になってしまい夜になってしまう。飲みに誘えるご時世ではないし、そもそもの話飲みに誘えるような友達も都内まで飲みに出かける気力もない。

楽しくない。つまらない。お先真っ暗。一生独身。


そんな話を友人にしたらよく言われる一言がある。

「人生まだまだこれからなんだし、生きてりゃいいことあるよ」

面倒くさいと思われてしまうかもしれないが(ここまでこの駄文を読んでくれているあなたは理解してくれると信じていけれど)、生きてりゃいいことあるとかなんとか抜かすやつは生きていていいことあったやつだけだ。生きていていいことあったことある人間にない人間の気持ちはわからない。というか、いいことが起こっている人生だったら今頃こんな文章を書いていない。

もちろん自分を励ましてくれようとしているのは十二分、いや二十分にわかっている。けれど僕がほしいのはそんな上っ面の励ましではない。孤独を埋めてくれるなにかだ。

それは話を聞いてくれる友人でもいいし、没頭できる趣味でもいい。無言でも肯定してもらいたい。

暗くて深い思考の沼にハマった人間への励ましの言葉は時にその人の苦しさの否定になると思う。

落ち込んでいるわけではない。浮きも沈みもしないんだ。起きたときから寝るときまでずっと偏差値45くらいの心のラインにとどまり続けている。

とはいえ面白いことがないわけではない。エンタメが過剰なまでに溢れている現代である。先述した動画などを見ていても笑えるし、芸人のラジオを聞いていても笑える。漫画も面白いし小説も面白い。

けれど「面白い=楽しい」という等式は成り立たない。

きっと僕の中には「面白い」を「楽しい」に変換する変圧器的なものが発達していないのだと思う。たりないふたり、というユニットがあるがさながら僕はたりないひとり、だ。

いつか僕の心に変圧器が作り上げられたら、いいことが起こる人生になるのだろうか。

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