障がい児へのいじめの話しをする前に、話したいのはどんなに愛してきたかということ
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障がい児へのいじめの話しをする前に、話したいのはどんなに愛してきたかということ

五輪にかかわる音楽家の過去の障がい児に対するいじめについて、書こうと思った。今年27歳になるIQ18の次郎が、被害者だったかもしれない。訴えることが出来ず、無抵抗の無垢の障がい児になんてことを、、、という思いはつのる。けれど、その悲惨さは、その比較対象を持った時に、浮かびあがってくるものだろうから、私はその正反対の話をしよう。そう、私がいかに障がい児の次郎を愛して育ててきたのかを。

次郎は三番目の子どもだったから、定型発達よりもすべてが遅れていることはわかっていた。でも遅れていたからこそ、すべてが100倍嬉しかった。昔からの言葉に『バカな子ほど可愛い』とあるが、それは本当だ。可愛くて可愛くてしかたなかった。

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2歳でハイハイし始めると、姉と兄の後を付いて回った。二人のことが大好きで大好きでいつも追いかけていた。姉と兄とのエピソードは、「神様にもらった弟」にも書いたので、時間のある時にでも読んでもらえたら嬉しい。

「可愛い可愛い」といくら言っても足りないくらい可愛かった次郎だが、姉や兄がどんどん手が離れていく中、次郎はいつまでも手がかかった。けれど、いつまでも手がかかるから、いつまでも可愛いかった。そんなことをのんきに言えるのも、次郎が次郎のペースで大きくなっていることに、私が問題を感じなかったからなのだけれど。

大変だったと言えば、社会が次郎のゆっくりした成長を待たずに、障がい児は可哀そうだと、障がい児は不幸だと言われたことだ。そして、健常児に近づける努力をしない私の子育ては否定された。私はそれら一般常識と闘うことが大変だった。

やれ!お祓いをしたらいいだの、やれ!お参りに行ったらいいだの、やれ!印鑑を買えば運命が変わるだの、やれ!ハンドパワーが高額研修で身につくだの、親切そうな顔でいろんな人が寄ってきた。

障がい児教育だってそうだ。今だ、障がい児を健常児に近づけるのが、障がい児教育と誤解している人は多い。いろいろなことが出来ないより出来た方がよいと疑いなく信じている人も多い。本人の為と言われて教育者や支援者に訓練させられても来た。でも考えてみてほしい。本人の能力以上のことはできないのだ。私が100メートルを10秒で走れないのと同じように。本人が望んで初めて教育も支援も成り立つのだ。(もちろん、次郎にはたくさんの愛を注いていただいた。愛が人への信頼を育ててくれた。次郎がどれほど愛されてきたかを、また別の機会に書きたい)

それから、大変だった行政とのいろいろ。不親切で面倒な手続きの数々。福祉サービスのすべては申請制で、教えてもらえず、不正受給を疑うのが仕事なの?と思う程、冷たい対応をされてきた。今は多くの人々の努力で、そんなことは少なくなっただろうけども、それでも今もヘロヘロになる。なぜなら各種申請が、いかに(次郎のことで)困っているのかを自己申告させられる作業だからだ。そんなことを次郎の前で言わされて、次郎の自尊心も傷つけられて、私の胸も張り裂けそうになる。

そんな社会や世間のいろいろさえなければ、発達に遅れがあっても次郎の子育ては喜びに満ちたものだったのだ。

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次郎3歳の時、5歳の兄の居る保育園に入園した。やっとつかまり立ちが出来た頃だ。まだおむつをしてハイハイをして赤ちゃんのようだった。3歳の子が出来るようなことは何も出来なくて、保育士さんの手を煩わせることを、とても申し訳ないと思った。寝てさえも、次郎の食べこぼしを保育士さんが拾っている夢を見たほどだ。けれど私は次郎を人の手にゆだねる時、決めていたことがひとつだけあった。

それは、必要以上に「ご迷惑をおかけしてすいません」と言わないことだった。姉や兄と同じくらいの頻度で「すいません」と言うことはあったけれど、次郎が普通の子どものような発達をしていないことで「ご迷惑をおかけしてすいません」と謝ることはしなかった。次郎の発達が遅れていることは謝るようなことではないと思ったし、謝まっている言葉を聞く次郎が『ボクってご迷惑なの?』と思うと思ったからだ。

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小学校入学が近づいてくると、私たちの周りに『特別支援学校』とか『特別支援学級』という言葉も漂ってきた。姉や兄の入学の時には聞かれなかった言葉だ。だから私は子どもたちには、こう言い換えて伝えた。「『特別可愛い子どもの学校』や『特別可愛い子どもの学級』があるのよ」と。支援が必要なことにマイナスのイメージを持たせたくなかったし、そして実際そこには特別可愛い子どもたちが居た。そして、そう呼ぶとなんだか幸せな気持ちにもなるのだった。

発達が遅れていることや、出来ないことがあることを、劣ったことだという認識を持たずに、うちの子どもたちは育った。実際に、出来ることも出来ないことも、それぞれだったし、それぞれがそれぞれを補って楽しく暮らしてきた(と思っているのは私だけかもしれないが)。

私や姉や兄に出来なくて、次郎だけに出来ることがあった。次郎がやっと歩けるようになった7歳くらいのことだ。歩けるようになった次郎は家族の先頭をよく歩いた。次郎がつまづいた時に助けられるように、誰かが必ず次郎の後ろを歩くようにしていたからだ。その日も、次郎は先頭を歩いていた。そして時々後ろを振り向いて「ぶー」と言ったり、「フンフン(ピンポン)」と言ったりした。最初はなんのことやらわからなかったけれど、次郎が『見てて』というように、道の先に居るおじさんを指差して「フンフン」と言う。そして、おじさんとすれ違う時に「あー(こんにちは)」と声をかける。次郎が「フンフン」とあらかじめ言ったおじさんは、次郎の挨拶に気づき「こんにちは」と返事を返してくれる。次郎が「ぶー」と言ったおじさんは、次郎の「あー」が挨拶だということに気づかず、返事を返すことがなかった。

しばらく、次郎の”おじさん予報”は続いたけれど、すべて正解だった。次郎が振り向いて「フンフン(今度のおじさんはわかってくれるよ)」と言ったおじさんは挨拶をしてくれて、「ぶー(今度のおじさんは気づかないよ)」と言ったおじさんは挨拶をしてくれなかった。次郎に言われて見ていると、疲れて余裕がなさそうなおじさんは、次郎の「あー」が挨拶だと気づかない。余裕のあるおじさんは、次郎の「あー」が挨拶だと気づく。余裕だけの問題じゃないけれど、次郎はなるほどよく見ていると感心したものだった。

私たち家族は、そんな次郎を「すごいねー」と言って暮らしてきた。次郎はいつまでたってもしゃべることが出来るようにならなかったけれど、おしゃべりの大好きな子に育った。

家族の間では次郎がしゃべれないことで困ることはなかったけれど、次郎がかかわることになる社会では、しゃべれないことでいじめられることはあった。いじめはいじめる子の問題だ。『どうせ言いつけられない』と思うのだろう。バレないいじめ相手に選ばれることはあった。ある時次郎が、いきなり初めて会った子に叩かれて、その場に居た兄がびっくりして教えてくれたことがある。叩かれた次郎は、何をされたかわからずきょとんとしていた。しかし兄は「なにもしてないのに、次郎ってそんなことされるんだ」と驚き、なお一層次郎を守ってくれるようになった。

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小さい子には、よく「なんでよだれ垂れてんの?」と聞かれた。私は、「なんで君はよだれ垂れてないの?」と聞き返すことにしていた。それからこうも言ったりした。「君たちだって、よだれ垂れてたんだよ。いつと思う?」と。「よだれが汚い」と言ってくる子も居た。4,5歳の子が特によだれにうるさかった。

中学生になってからは放課後に、障がい児の入所施設で一時預かりをしてもらうことがあった。迎えに行くといつも次郎は洗濯室で洗濯機が回るのを眺めていた。小学生にいじめられるから逃げていたのだ。ある日迎えに行くとそのいじめていた子が私に「次郎君が僕のカード取った」と訴えに来た。次郎がしゃべれないことをいいことに濡れ衣を着せたのだ。私は「え、大丈夫?ごめんね~」と言った。次郎は『取ってない』と泣いたけど、私は次郎を呼んで耳元でささやいた。「お母さん、次郎が取ってないことなんて知ってるよ。だって次郎はカードなんて興味ないし、欲しいとも思ってないでしょ。ただ、あの子が寂しそうだったから謝ったの」それを聞いた次郎はピタリと泣き止んだ。

力では次郎の方が強いのに、し返しをしようとも、いじめてやろうとも思いつかない次郎が可愛かった。体なんてその子の何倍も大きかったというのに。いじめられることはあっても、いじめることのない次郎が愛おしかった。

いじめる子の寂しさや問題に大人は早く気づいてほしい。そして、この競争社会で、この能力主義の社会で、役に立つことや、効率よくこなすことを求められる社会で、そうでない者は罵ってもいい、バカにしてもいい、そんな価値観を子どもたちに植え付けないでほしい。ひとりひとりが大事だよと、大好きだよと伝えてほしい。


五輪の開閉会式の音楽担当者をめぐってネットが炎上していると言う。過去のことを叩くなという意見もある。しかし、これは炎上ではない。抗議の嵐だ。罪を償うこともなく、悪事がバレたから口先だけの謝罪をすることに対する抗議だ。反省しているのなら、態度で示せ!辞任しろ!と言っているのだ。そしてそれは本人だけでなく任命し続投させている責任者に対する抗議でもある。一発解任だろ!人権を軽んじるのもいい加減にしろ!これほどわかりやすいアウトなことはないのに、過去のことだから、寛容さを示しましょう、なんてどうかしてる。寛容の使い方を間違っている。

差別といじめと虐待に寛容でどうする?

寛容であるべきなのは、肌の違いや、能力の違い、人々が多様であることに対してであって、その寛容な社会を作るためには、差別やいじめを許してはいけないのだ。

今のままでは、日本って、差別しても虐待しても人権蹂躙しても、寛容な心で許されて、結構なお金も成功も地位も名誉も得られる素敵な社会だと、世界にも、子どもにも知らせているようなものだ。

いじめっ子天国の日本だけれど、踏みつけられても傷つけられても、その傷が愛で癒されますように!愛の力で立ち上がれますように!


そして、加害者は罪を償い、更生出来る社会になりますように。


<追記>

7/19夕方 五輪開会式音楽担当者の辞任が報じられた。
今、いじめをしている子どもたちに、将来自分が成功した時に、過去のいじめが暴かれて、すべてを失うこともあると教訓になることを祈る。いじめを社会は許さないと知ってくれたら意味のあることだったと思う。


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しらいわ よしこ

書くことで、喜ぶ人がいるのなら、書く人になりたかった。子どものころの夢でした。文章にサポートいただけると、励みになります。どうぞ、よろしくお願いします。

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