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インクルーシブ教育を目指すとか目指さないとか?!

「じろうちゃんっち、なんさい?」

「3さいなんよ~」

「えっ、ぼくも3さいなんで。じろうちゃんのことあかちゃんかとおもった。ぼくといっしょなん。わーうれしいなぁ。」

次郎が3歳で初めて保育園に行った時のことだ。その時、次郎はハイハイをして、おむつをして、言葉は「あー」しか言えなかった。その次郎を見て、3歳の男の子が話しかけてきた時の会話だ。

その子は、次郎が3歳とわかってとても嬉しそうに笑った。じろうちゃんは赤ちゃんみたいに見えるけど、ぼくの友達だって思ったらしかった。


次郎の兄の太郎が5歳で保育園に居る間に、一緒に通わせたいと思っての入園だったけれど、次郎の登場は他の園児を驚かせた。そして、園児の保護者を劇的に変えた。

なにしろ、日本の親は自分の子どもを貶(けな)すという悪い習慣がある。相手に対する尊敬を表すために、自分が遜(へりくだ)る謙譲があるため、それが子どもにまで及ぶのだ。我が子は自分と一体のものと見立て、自分と自分の子どももろとも遜るのだ。結果「お宅のお子さんはこれが出来てえらい、自分の子どもはそれも出来ない」とか、「(自分の子どもは)何歳なのに、あれが出来ない、これが出来ない」と言った話をすることになる。

そこに、3歳の次郎がおむつをしてハイハイで登場するのだからびっくりだ。さっきまで、自分の子どもの出来ない話をしていた親は、ぴたりと話を止める。なにしろ、あれもこれもどれも出来ない次郎が目の前に来たのだから。4才になっても箸が持てないとか、5才になってもボタンがとめられないどころの話ではないのだ。

これには、子どもたちは楽になったと思う。なにしろ、自分のことを自分の親がずっと貶してきたのだ。あれも出来ないこれも出来ないと言われてきたのだ。次郎が現れるとピタリとその話が終わるのだ。傷つけられてきた子どもたちは嬉しかったと思う。子どもたちの表情も明るくなった。


こんな風に、私は次郎を連れていることで、子どもたちが解放される場面にたくさん出会ってきた。どこに居ても子どもたちは、次から次にあれもこれも出来なければならないと言われ、苦しそうだった。そんなところに次郎が現れると、彼らは『出来なくてもいいの?』というような不思議そうな顔で次郎を覗き込む。

私たち親子が発していたメッセージは、「出来ないことがあっても恥ずかしいことじゃない」ということ。「出来ないままでも愛している」ということ。「あなたはあなたのままでいい」ということ。

保育園から一緒に育った子どもたちは、次郎が出来ないことは、何気なくフォローしてくれた。やってあげるとか、手伝ってあげるとか、そんなこと言うまでもなく、こともなげに傍で助けてくれた。次郎は4歳で立ち5歳で歩き始めたのだが、ふらつくと、さっと支える手が伸びてきたし、牛乳パックにストローがさせないでいると、あたり前のように誰かがやってくれた。

歌と踊りの大好きな次郎は、お遊戯会ではセンターを務めた。いやセンターに自ら来てしまうのだった。一緒に笑って、一緒に泣いて、一緒に育った。そこにはなんの説明もいらなかった。ただただ一緒に居て楽しかった。

※しいて問題を言えば、保育園の職員さんの配置を余裕のあるものにしてもらえたら、親の私が、職員さんに手を取らせてすまないという気持ちにならずにすんだだろうと思う。


その後、小学校に上がってからも、楽しい話はたくさんある。また、そんな話しもしてゆきたいと思っている。

しかし、今日、特に言いたいことは、インクルーシブ教育についてだ。

今でも一応、障がいがあっても地元の普通学校に行くことを本人と親が望めば出来るということにはなっている。けれど実際のところ、難色を示されたり、障がいの所為ではっきりと入学を断られるという事が各地で発生している。子どもの学ぶ権利が侵害されたことを提訴して、裁判で敗訴するという事態も生まれている。

これは、2006年に国連で採択された「障害者権利条約」違反だ。2014年日本が世界に遅れること140番目に批准した条約だ。

今、その内容に詳しく触れることはしないが、この「障害者権利条約」では、何を差別だと規定しているのかを、お伝えしたい。

この条約では「区別」「制限」「排除」の3つを差別だとしている。これまでよく聞いた言い訳に「これは差別ではない。区別なんだ。」というものがあるけれど、もう言い訳できない。区別は差別なのだから。

障がい者を支援学校に区別して入れるのも、入所施設に入所させて地域から排除するのも、障がいを理由に入場制限を受けたり、得られる情報に制限があるのも、すべて差別なのだ。

見渡すと日本は差別だらけじゃないか?!

今でも、インクルーシブ教育(障がいの有無にかかわらず共に学ぶこと)の是非を議論したりするけれど、いや、待てよ!「障害者権利条約」を批准している限り、分離教育は「障害者権利条約」違反なのだ。

『障がいのある子の為にも分離教育は必要だ』というのは、『障がいのある子の為にも差別教育は必要だ』と言っているに等しい。分離することが差別なのだから。

けれど現実的には、インクルーシブ教育への道のりは遠いとも思っている。私は、今ある普通学校は、軍隊のようだと感じることも多い。効率や生産性を上げるための教育がなされていると感じるし、自分で考え行動するより、指示に従う人材を育成しているかに見える。

そんなままの学校に、障がいのある子が入れば、いじめられかねない。ひとりひとりが大事にされる教育がなされていなければ、ひずみが一番弱いところに来るだろう。だって勉強出来ることが良いという価値観を教育しているのでしょ。いじめる側に正義を与えているようなものだ。

大人の指示通りに子どもが動く前提がおかしいのだから、根本から教育とは何かを考えてほしい。

私は、大人の指示通りに動けない子どもたちから、教育がどうあればいいかを学んだと思う。教育とは、大人が子どもに教えることだという思い込みを捨て、子どもがしたいことを大人がサポートすることだと変えたらいいと思う。

よく「いやーそんなこと言っても意欲的な子どもはいいけれど、指示がなければ動けない子どもも多い」なんて言う大人が居る。けれど、それは、そう教育してしまった結果ではないだろうか。どんな子どもだって自分のしたいことはある。

なぜそう思うか?って。なぜなら私はIQ18の次郎を見てきたからだ。多くの大人から見れば、IQ18の子どもは何も考えられない、何も出来ない子どもだと思うだろう。けれど、次郎は小さい頃から、自分の好きなことがあり、したいことがあり、したいことは少しづつでも出来るようになってきたという経験がある。どんな子どもだって、顔を見ていれば好きなことと嫌なことはわかる。わからないというのは、その大人の感受性の問題だ。

子どもから、ぼーっとする時間を奪い、好きなことを奪い、嫌いなことをさせ、大人の言うことを聞かせ、苦しいのが人生だと教えてはいないだろうか?

私は思う。教育とは、大人が子どもの幸せを願い、幸せになるサポートをすることだ、と。

その教育が、インクルーシブ教育であることなど、あたりまえのことだ。


ちょっと小耳にした話だけれど、「日本は支援学級を作り普通学級と交流をしていることに満足しているらしいけど、大丈夫か?」と世界から心配されているらしい。

逆に私は、国際条約である「障害者権利条約」の批准国から日本は外されるのではないか?と心配をしている。

本気で子どもたちの幸せを願うなら、大胆な予算を教育に投入して、感受性豊かな大人の元で、子どもたちの笑い声の絶えない学校にしてゆきましょうよ!

書くことで、喜ぶ人がいるのなら、書く人になりたかった。子どものころの夢でした。文章にサポートいただけると、励みになります。どうぞ、よろしくお願いします。