【感想】持たざる者

昨晩、寝る前に読みかけの本を読み終えた。
金原ひとみさんの「持たざる者」
タイトルを目にした瞬間無意識のうちにカートに追加していて、他の本と一緒に届いた。
私が読んだ本の中で、今年最後の一冊。

まずページを開いて感じたのは「金原さん、こんなタッチだったっけ?」
少し前にマリアージュ・マリアージュを読んだばかりだったけど、なんとなく雰囲気が違うような気がする。
うまく言葉にできないのが悔しいのだけど、金原さんの文体なのになんとなく違う人の本を読んでいる感じ。
でも、そう感じたのはほんの一瞬だった。あっという間に人の生々しさがやってくる。一章にあたる修人というクリエイターがそれを象徴するようでゾッとした。なんというか、自己中心的な考えを持ちながらも、それを相手に押し付ける感じ。自分はあくまでも相手に選択肢を与えているという形を保ちつつ、拒否権を与えない。
それは本編でも解説でも触れられているのだけど、彼の怖さは二章にあたる千鶴の話の終盤でより一層歪なものとして描かれる。怖い。とにかく怖い。
その怖さがわかるのは千鶴の妹エリナの話で、開始早々エリナもその不気味さを味わっている。
けれど、エリナは不気味さを感じながらも拒むことをしなかった。これは彼女の潜在意識に宿る孤立感がそうさせたのかもしれない。
一章の修人も、二章の千鶴もその考え方に共感できる反面で酷く自分勝手な人だと思ったけれど、ここにきて更にその身勝手さが目立つ。
この小説にはあと一人、朱里という人物の話が展開されていくのだけど、誰もが他人を羨み、自分の勝手な常識と他人に対する印象を都合よく解釈して誰かに押し付けて生きている。

それでもエリナと朱里に関しては自分の性質をよく理解して葛藤する部分も描かれる。
それぞれが持つエピソードがなかなか壮絶なものではあるけれど、共感しやすかったのはエリナだ。
それぞれが何かを手放したり失ったり、最初から持っていなかったりする中で、共通しているのは「相手の立場に立つ感覚」がなかったような気もする。
だけど、それはごく普通のことで当人たちからしたら身近な人間を「どこか遠くの国の人」くらいに感じているのだろう。それと同時に「この人は同類だ」なんて一方的すぎる意識が見える描写もある。
2011年、春。私たちは確かに混乱の中にいた。どうしていいかわからなかった。
私はテレビから流れてくる映像を見てもピンとはこなかったけれど、人々を取り巻く空気が一変したのは確かだった。

流通は滞り、スーパーからミネラルウォーターのケースが消えた。
私は東北から離れた場所に住んでいて、当時それほど揺れも感じなかった。
でも確かに、あの時この国を取り巻く空気はぐんと重くなり、一体感という言葉に縛り付けられたような気もする。
もしも自分が渦中の人間だったなら、果たしてどんな風に生きることを決断しただろう。
解説まで読んで改めて考えてみたけれどいまいち想像できなくて、自己を保ちながら生きていくことについて読み終えた今でも考えてしまう。

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