数学と国語の成績のトレードオフを説明する美しい理論

私が先ほど思いついたものです。結構綺麗なので共有します。なお、綺麗だねというだけで、あってるか間違ってるかは知りません。検証するには、何らかの実験をするしかないです。ただし、既存の実験で裏付けられる可能性もありますので、必ずしも新たに実験を行うことはないです。

「数学と国語の成績のトレードオフ」とは?

学校でよく言われることとして、「数学(等の理系)ができる人は国語(等の文系)が弱く、国語ができる人は数学が弱い」ということがあると思います(要検証)。それです。

前提1:意味記憶とエピソード記憶はトレードオフ

人間の記憶は以下のように分類されます。引用元は画像をクリックしてください。

陳述記憶というのが、言語を用いた記憶です。手続き記憶は非言語的な記憶です。

陳述記憶はさらに二つの記憶に分類されます。エピソード記憶は「どこで誰が何をした」とかいう具体的な記憶です。一方で意味記憶は抽象的です。例えば「りんごは赤い」などです。もし「昨日家にあったりんごが赤かった」だったらエピソード記憶になります。

つまり、エピソード記憶から一般的でない要素が捨象されたものが意味記憶です。

さて、エピソード記憶と意味記憶がトレードオフである根拠について。まず最初に断っておきますが、統計的な根拠は提示できません(調べてもなかった。とはいえあまり頑張って調べてないので頑張ればあるかも)。あくまで形而上的で、理論的な話しかできませんことをご了承ください。

まず人によって経験をどれだけ抽象化して記憶しておくかという程度が定まっているとします(公理的。つまり認めろ)。

すると、抽象化を沢山する人は、エピソード記憶が弱く、意味記憶が強いことになります。こういう人は、具体的な物事をすぐに忘れます。しかし、経験を抽象化する能力が高く、ゆえに応用性が高いので、要領がよいだろうと思います。

一方で、抽象化をあまりしない人はエピソード記憶が強く、意味記憶が弱いだろうと思います。典型的にありえそうなケースとしては、具体的な物事をよく覚える(誰とどこに行ったとか、その時の天気だとか気温だとか、感じた感情だとか)半面、抽象化の能力があまりないため、応用力が比較的低く、要領は悪いといった様子でしょうか。

ここで疑問なのが、① エピソード記憶と意味記憶が両方強い人はいないのか、② 両方弱い人はいないのか ということです。

① については、いるかもしれません。が、エピソード記憶も意味記憶も強いというのはある種同じ情報を二か所に保存しているということで、無駄が多いので、無駄を減らす方向に淘汰圧がかかるであろう進化論的に減る気はします。

② については、いるかもしれませんが、恐らく発達障害とか、そっち系の人になる気がします。エピソード記憶も意味記憶もないと、人として経験を積むことが不可能ですから、学習に障害が出ると思いますので。

つまりこの章の結論は、大多数の人間においては、エピソード記憶と意味記憶がトレードオフなのではないかということです。

前提2:国語はエピソード記憶を用いる教科で、数学は意味記憶を用いる教科

国語は、筆者の言っていることを具体的に覚えておかないと問題を解くことができません。一字一句覚えなければならないとまではいきませんが、ちゃんと現代文の選択肢を選ぼうとすると、結構具体的に覚えることを要求されると思います(主観的で曖昧ですがユルシテ)。

これはつまり、エピソード記憶を使わねばならないということです。

また、社会系の科目、つまり文系科目は具体性が大きいことが多いように思います。歴史だったら「誰がいつどこで何をした」のオンパレードです。地理も「どこの国がどうだ」など、歴史よりは抽象的ですが、それでも物理や数学などに比べると具体的です。化学や生物とは割といい勝負かもしれません。地学は分からないです。政経は結構抽象的ですね、(大学の)経済学なんてもはや物理に近いですし。

一方で、数学にエピソード記憶なんて本当に一切必要ありませんね。意味記憶だけでいいです。

他の理系科目もその傾向があり、化学は元素ごとや物質ごと、反応ごとに、生物は細胞やら分類やらの特徴などをあれこれ覚えなくてはならず、地理と同じような抽象度な印象とはいえ、国語、歴史に匹敵する具体性を有する科目が理系には存在しません。物理は数学くらい抽象的ですし。

結論としては、国語などの文系科目ではエピソード記憶が有利に働き、数学などの理系科目では意味記憶が有利に働くということです。

結論:数学と国語の成績はトレードオフである

前提1と前提2を合わせると、数学などの理系科目と国語などの文系科目はトレードオフであることが導けます。三段論法です。多分。

前提1:意味記憶とエピソード記憶はトレードオフ。
前提2:国語などの文系科目ではエピソード記憶が有利に働き、数学などの理系科目では意味記憶が有利に働く。
結論:したがって、国語などの文系科目と数学などの理系科目はトレードオフ

この推論は明らかでしょう。

最後に

これは強調しておきますが、統計的根拠のない理論なので、あってるか間違ってるかは不明です。ですが私はこの理論が綺麗で好きになってしまったので、もっと綺麗な理論や、矛盾を見つけない限りはこの理論を信じることにします。信じるのは自由ですから。

おまけ:英語は?

英語は、ひどく個人的な見解ですが、手続き記憶が物をいう科目な気がします。だって文章をスラスラ読むに宣言的記憶では遅すぎます。したがって手続き記憶で自動化する必要があります。

アメリカの学校レベルの英語(つまり国語)だともちろんエピソード記憶が必要でしょうが、日本の英語のレベルではエピソード記憶があまりなくても、そんなに細かいことは聞かれない(それよりは英語を読めているかという基本的なところが重視されがち)ので、問題ありません。

よって、英語は、手続き記憶がものを言う教科だと結論付けます(あっているかは知りませんよ)。

また、陳述記憶と手続き記憶のトレードオフはないように思います。なぜなら、先ほど述べたようにエピソード記憶と意味記憶は相互に代替できるので排他的な性質を持ちえますが、陳述記憶と手続き記憶は相互に代替が効かないため、トレードオフにはならないと考えるからです。

なぜ相互に代替が効かないのかというと、スピードです(先も言いましたが)。高速で滑らかなふるまいを要求されるときに、いちいち陳述記憶を使っていたら間に合いません(英語の文章を脳内辞書をいちいち引きながら読んで間に合いますか?)。そこで手続き記憶が必要になります。

(余談:こう言うと手続き記憶が陳述記憶の上位互換に見えますが、そうではないです。だって手続き記憶は言語化できませんから、人に伝達できません。人に伝達できなければ、人に教えたり、合意や確認をもらったりできませんから、これは社会的な習性を持つ人間として致命的です。)

したがって、陳述記憶と手続き記憶はトレードオフではないので、英語は数学とも国語ともトレードオフ関係はないと結論付けます。あっているかは知りませんが。

おまけ2:私の主観的な科目ごとの抽象度ランキング!!

抽象度が高いと思う順に一般的な高校の科目を並べてみます。主観的です。この序列を見て、あなたの得意分野と苦手分野がそれぞれ固まっていたらこの理論や私の感性が裏付けられますし、逆だったら危うくなります。

  1. 数学 物理 

  2. 化学(化学に限ってはちょっと他の科目とは異なって生物・地理程度の具体性と(暗記部分)、物理並みの抽象性(molの計算等)を兼ね備えている気がする。難易度高いと思う。)

  3. 地学 経済

  4. 生物 政治 地理

    ───── 超えられない壁 ─────

  5. 国語 歴史 倫理

こんな具合でしょうかね?異議あればコメントか何かしてください。音楽と美術、体育に関してはまた別かなと‥‥。

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