見出し画像

柄もの愛

若い頃からお洋服が大好きだった。
制服を着ている頃は制服とジャージさえあれば事足りる日々だったが、
そんな生活に終わりを告げ、
休みの日は好きなお洋服を着られる日々が手に入った頃から。
時代は90年代。
百貨店は夢の国。
路地裏のストリートは天国。
さらには外国資本のCDショップが乱立していた頃の東京へ、
お小遣いやアルバイトで貯めたお金を握りしめて、
地方からの遠距離もなんのその、足繁く通ったものだ。
そんな日々も生活が落ち着くとともに終わりを告げる。
大人になったともいう。
世の中も「人と違うファッション」は下火となり、
大好きなセレクトショップも、パンチの利いたアパレルブランドも、
気付けば無くなってしまっていた。
買い物の楽しさが減っただけではなく、
どこのお店に行っても同じようなお洋服が並ぶ現実。
誰かと同じ服装をすることを悪だともいうような時代を過ごした私は
嫌気がさしたということもある。
さらには増え続けたお洋服の在庫を持て余し、
片付けられることもないお洋服を見るたびに心も傷む。
これからはシンプルな人生を歩むためにも、
長く使えて流行り廃りのないお洋服を着よう、と決意したため、
無地だけれど、手触りのいいもの、突飛ではない色のもの。
言ってしまえば落ち着いている無難な服装とでもいうのか。
それはそれで楽しい。
意外とシンプルなお洋服も好きな自分もいることに気が付いた。

そんな日々の中。
あるバンドとの出会いがあった。
ボーカルはいつも派手な色物の柄シャツを着ている。
古着だったり、超高級なものだったりするけれど、いつも色物、柄物。
何だか頭を打ちぬかれた。
私がかつて好きだったお洋服の世界の凝縮だ、と。
誰も着ていない色や複雑なデザイン、一点ものの柄物。
心打ちぬかれ続けた愛して止まないお洋服の沼だ。
骨格が何だ、肌の色のベースが何だ。
好きな服を好きなように着よう。
昔から大きめのメンズの色シャツを着るのが好きだった。
古着ブームのおかげで、
見ているだけで楽しいちょっと昔の柄物シャツをたくさん見かけることも増えた。
骨格的、肌色的には似合わないのかもしれない。
だけれども、そんなことはどうでもいい。
人に決めてもらうことじゃない。
堂々と着こなす自分さえいればいいんだ。

けれど、際限なく次々に手に入れ続けることだけは辞めよう。
一枚のお洋服を愛し続けて
「あいつ、またあの服着てる」
って言われてるくらい、着倒そう。
そして、散々着倒してお別れの日が来たら次の相棒を探すのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?