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一緒にいられない時こそ、行動には気を付けたい

東京からやってきたオジサマは、
今日も元気に騒音を発生させている。

ほとほと嫌気がさしている私だが、
こんなに活動的に過ごしていたら疲れないのかな、などと余計な心配をしてみたりもする。
口から鼻からいろいろな音が出ている間中、
感情を殺した穴のような目で見つめているが、
こういう無神経な人は人の視線なんて気にならないから気付きもしない。

毎日、精神的で孤独で無毛な戦いを繰り広げている私だが、
その中でいつも思ってしまうことがある。

「こんなに人に迷惑をかける夫を持つ妻はどんな人なんだろう」
「一緒にいて気にならないんだから同じような人なんだろう」

つまりは、お会いしたことも無い、オジサマの妻に対しても
良い感情を持てないということだ。

家族とか夫婦ってきっと、こういう事なんだろうな、と思う。

例えば、家族の誰かもしくは夫婦の片割れがとてもいい人で常識人だった場合はきっとそこまで人の印象に残らないだろうし、
あの人と一緒にいられるなんて幸せね、くらいで終わってしまうだろう。
ところが、マイナスの要素が多ければ多いほど、
こちらの想像力はたくましくなっていく。
この人、家に帰ってもきっとこうなんだろうな。
この人と一緒に過ごせる人はやっぱり同じ人種なんだろう。
二人そろって同じことする迷惑な人たちだったりして。
誰かの大切な誰かであるにもかかわらず、
口の端をゆがめた誰かの話題になってしまうのだ。

そうならないために。
いつも大切なひとの事を考えながら生きていきたい。
そのひとが残念な印象を受けないように。
そのひとの勝手なイメージが作られないように。
そうすれば、おのずと誰かに迷惑をかけるような残念な人にはなれない。

離れている過ごしている時こそ、一緒にいるのだ。



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