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チェリストサバイバル日記3

電車の窓から外を見ると、赤、橙色、緑、など様々な色が混じった木の葉たちが、宙を舞っていた。小さな駅には、コンクリートの材料のようなものが積んであった。大きな橋の下には湖があり、周囲の山はしかし、緑である。日差しは強く、秋とは思えない。小さな登山鉄道の中では、二人組の女性が、関西弁でお喋りしていた。落ち葉の少ない、山肌が茶色く出ているところもある山を降るときは、鳥の声はあまり聴こえてこなかった。麓のお土産屋、ログハウス風に作られた店には、登山客ではなく、車で訪れていて、汚れることを前提としていない服装の男女が、多いようだった。

特急列車ではあるが、人が多く、座席に座ることが出来ない人もかなりいる、その電車が終着駅に着く頃には、もう大分と暗くなっていた。ここからさらに鈍行列車に乗るのだが、出発までにはまだ時間があったので、駅の外の定食屋に、その姉弟は入って行った。メニューに月見うどんがあったが、弟にとっては未知うどんであり、彼はそれを注文することにした。

姉弟の泊まった民宿の朝食は、やたらと大きな、天井の高い広間で出されていた。縦長の、短い脚を折り畳む、公民館などによくあるあのテーブルを並べて、その上に、料理たちはすでにのっていた。宿泊客たちは、空いている、好きな席に座るのだった。その日は焼き鮭であった。夜には、紙で作られた巨大な人形たち、形は様々で、内側から燈が灯されていて、台車で引っ張られて行くそれらと共に、街を歩く祭りがあった。人々は、夜の暗闇に立ち上がる人形たちの影になっていた。
あるものは、両腕をいっぱいに広げた相撲取りのようにも見え、髷を結い、厳しい顔つきをしていた。
色の黒い板の廊下のあるアパートの一室に住む、学生時代はバトミントンの選手だったという青年、彼は少年の目にはひどく歳上に思えたが、それはともかく、バトミントンの羽を一組もらって、自身も最近はバトミントンをしている弟は、大喜びであった。この青年とは、旅の途中に知り合ったのである。姉弟は、彼の友人たちとのカラオケに誘われたが、それは弟にとって初めてのカラオケなるものであり、弟の人生でカラオケに行ったのは、この時を含めて、2回のみである。

その部屋はマンションの一室であったけれど、茶色の床板、アンティークのテーブル、棚など、洋風に設えており、壁にはヴァイオリン、それは装飾を施され、演奏用に取引される訳ではなさそうな、楽器がいくつもかかっていた。壁のみではなく、部屋のところどころに、楽器や、そのケースが置かれていた。弟、少年はその部屋で、向かい側には先生らしき大人が楽器を構えているが、その時は、弓を跳ねさせる練習を、しているようだった。先生は、弓を跳ねさせるには、単に弓を落とせばよく、あとは勝手に跳ねるものだ、というようなことを言っているようだったが、少年には、そうは思えなかったようである。先生の使っている楽器そして弓は、とても高級なもののようであった。少年の楽器はまだ小さく、そのための堅いケースはなかったので、柔らかい、楽器の形そのままのケース、というか袋に入れて持ち歩くのだった。それは茶色かった。弓は、また別の黒い専用のケースに入れて、チェロケース、つまりその袋の、ポケットに入れることになっていた。母親はレッスンに付いて行きたがったが、少年はひどくそれを嫌がり、電車にのって、どこでも一人で行くのだった。


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