ある変容 【幻想小説・SF】
——機械生命体が人間に近づき、我々が機械生命体に近づいていくならば、やがて私たちは見分けがつかなくなっていくことでしょう。
夕べ、僕たちは、そんな会話をしていたのだが、僕は奇妙に思って、その男に尋ねてみた。
——我々が機械生命体に近づくとはどういう意味でしょう。機械が進化して人間に近づくということだったら、それはよくわかるのですが...
——だって、そう思いませんか、あなただってその過程にあるのではないですか。
背中がざわざわした。何をいわれているのかよく理解できなかった。
——あなたは幻想にとらわれている。生命と機械の間に区別をつけようとするかんがえ自体がすでに無効になっていることに気づかないのですか...
マスクを外し、窓に自分の姿を映してみる。外界は闇であり、現実の細部に明滅しているものを鏡のように映し出している。
(吾輩は確かに機械生命体に似てきているように見える。いや、待てよ、少し違う。オイラの顔から生えている多数のヒゲはいかにも奇妙だ。このヒゲがなければ吾輩は生きていられない気がする…)
違法薬物を摂取したためだろうか。カラダの動きがなんとなくぎこちない。声もおかしい。ついでに頭も…
その男は、薬罐にくっついた注ぎ口のような鼻をふるわせている。
——機械生命体は、蛸よりも柔らかなカラダを持っているよ。それにおまえなんかよりもよほどまともな精神を持っている。
吾輩は恥ずかしくなり、体毛の重たさを感じながら、尻尾を左右に振った。
——貴殿は何をいわんとしているのか。わしに論争を挑んでおるのか。
奴はゴムホースのような鼻をブルブルさせて笑った
——貴殿とは誰のことですか。あなたはまだ既成概念にとらわれているようだ。それはアタシの呼び名に相応しくない。
心臓がドキドキしてきて、喉がゴロゴロ鳴るばかりで、しばらく言葉が出てこなかった。
——アタイらは、三日もすれば全ての細胞が入れ替わってしまうんだ。いまこの瞬間にもどんどん変わっているんだよ。絶え間ない生成変化の渦中に身どもはおかれているんだよ。
——姫様、「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず」といった意味のことをおっしゃっておられるのですか?
頭の中で川のせせらぎが聞こえていた。脳が溶けていくようだ。同時に、竹林を吹き抜ける風の音や、ししおどしの音が…
コン
姫君はおっとりとした様子で、千年もの昔から吹く風のような幽玄な気配をただよわせながら、とてもゆっくりと、次のようなことをおっしゃいました。
——わたくしたちの存在は実体ではなく現象です。瞬間ゝゝに灯っては消えていく束の間の光の揺らぎのようなものです。こうしている間にも、せわしなく変化していくのです。
いつのまにか姫の髪は真っ白になっていき、やがて、老婆の姿へと変じていった。おもむろに舞いはじめる。その姿は美しくも緩慢であり、心地よい眠気を余にもたらす。
——こわがらなくてもいい。自分のカラダに執着することに意味はないよ。
一瞬が千年にも感じられるような時の流れの中で、うつらうつらとしながら思考を遠くへめぐらす。余は機械生命体にも哲学的思考が存在することを知った。吾輩はヒトデナシであるがゆえに人をはるかに超えた思考をめぐらすことができる。
(存在にカタチなく、無常であり、時空もまた幻影でござる。吾輩の新しい生が始まろうとしている。)
コン
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