P新聞 試運転号
・東京プチアーカイブ
秋葉原駅前にやっちゃ場があった頃の記憶は皆無だけど、がらんどうの大建物だけは頭ん中に残ってる。どころかやたら高い吹き抜け天井の空き家へ、テニスをしに行ったりしてた。自転車で走り回ったりね。普通に日々ここを通り抜けて駅に向かう人もいたし、キャッチボールやローラースケートする近所の子もいた。あの近所に住んでるってのも凄いけど。
いやまてよ、あの頃もしかしたらまだ孤軍奮闘してる業者さんがいたかも知れない。お店はなくても倉庫として利用してた人が。我が分類不能ファイルボックスから発掘したゴミを捨てるな的張り紙の写真を見て、そう思った。今でこそUDXやクロスフィールド等の小綺麗で大きなビルばかりの一角だけど、その前はバスケットコートとスケートができる広場、更にその前が元市場の巨大吹き抜け建造物。ガード下に代表されるせせこましく入り組んだ町の中に、ぽっかり口を開けたエアポケットみたいなスペースがあったんだ。
もしこの元市場がもうちょい頑丈で趣があって、このまま残されてたら、それが無理でも、あの都心とは思えない若もの広場があったら、秋葉原はこんなに経済に執心しない場所になってたかも知れない。文化的な場所にね。
耐震耐震を合言葉に、面倒な店が駆逐される中、秋葉原総武線高架下は、町一番の文化的かつ歴史的なエリアかも。昭和の電気の町からパソコンの町経由で平成のヲタクの町へ、更に浅草的国際観光スポットに更新した令和の秋葉原。今も狭っ苦しい高架下からぼんやり外に出ると、あの巨大元市場がもっさり現れるるんじゃないかって思うことがある。蜃気楼のように。
・朝ごはんから始まる京都の旅
少し早めの新幹線に乗りましてね、京都駅に着いたらホテルに荷物を預けちゃって、も一度駅に戻ったら地下鉄東西線に乗るんです。今日は地下鉄やバスにうんと乗りそうだなって思ったら、一日乗車券を買うといいですよ。でね、東山駅に行きましょう。地上に出るとすぐ横に白川橋、下には白川の清き流れ、橋の手前の小道、このくらいの道幅でも、京都じゃ「ろーじ」って言うのかな?ここを折れましょう。少し先に見える饅頭工場の旗が目印。
突き当りを右に曲がると、さっき駅でたとこで見た白川沿いの細道に出ます。京セラ美術館に行くには、ここを通るのがマスト。片側は住宅時折お店とハートマークのある小さな神社、反対側は浅瀬の川で、平均台に毛が生えた程度の幅しかない一本橋。並木は桜だったか柳だったか、とにかく心地よい白川筋を進めば、大通りの右前方に大鳥居が見えてきます。伊東忠太設計の平安神宮です。
大鳥居の真横が、現存する日本最古の美術館、京セラ美術館の展示エリアは後回し、一階のカフェ・エンフューズに行きましょう。多彩な調理をした京野菜ワンプレートランチと共に、クラフトビーを。勿論ビールも京都の産、一意専心て美味いのがあるけど、できたら季節のビールが良いかと。お腹に余裕があればパンも追加で。吉田パンですんで。
青空にそびえる大鳥居を窓越しに眺めながら、お腹ん中を京都にしちゃう作戦です。ジョッキ並に入る大ぶり薄手のグラスを傾けつつ、今日の行動作戦を練るのがね、一番楽しい。平安神宮を参拝したら、仁王門通りどん突きの日の出テントでバッグ見て、三条大橋渡って船はしやで煎餅買って、高瀬川沿いを上がって、市役所脇から寺町通りに出て…、その前にビールのお代わりですかね、ふふふ。
・串かつじゃない大阪新世界の夜
最初はどうしたって御堂筋線三昧になるんですよ。なにせ新大阪からキタもミナミもつん抜けてますから。だから新世界といえば動物園前駅だろってことになりますが、ここは趣向を変えて、阪急マルーン色の堺筋線で恵美須町駅。商店街真正面にある駅出口の階段を登り始めると、目の前に通天閣がどか~んと天を衝く絶好のロケーションです。
この十数年でジャンジャン横丁や通天閣周辺は、観光地へと激変しました。この地初体験が大阪万博だった僕には、もはや同じ世界じゃないです。しかも年も取ったんで、昔みたいに大阪着いたら串カツ屋直行なんて荒業も無理。恵美須町商店街も変わったけど、串カツ&お土産スポットより少しだけ緩いのが嬉しく、我らが総本家更科もあるのです。
遅めの午後、初めてこの大きな暖簾を潜って磨き上げた硝子引き戸を開けた時、大衆食堂にありがちな長テーブルで、いかにも現場上がりのおじさんが差し向かい、瓶ビールを飲んでて、こりゃいいぞって思いました。高い天井と土間の床、店奥の帳場に向かって左は大書したお品書き、右の硝子戸の外には狭いながも手入れの行き届いた坪庭。そこにおじさんふたりの仕事終わり小宴会の図、完璧でしょ。
さして多くない一品物は、お酒の邪魔をしないものばかり。試しに鰊の煮たのと出汁巻きを頼んだら、いやまぁ素敵に旨くてビールに合うんですよ。これ以上出汁を含ませたら形をなさない一歩手前の出汁巻きは、過去一の味。串に刺さない焼き鳥もなかなか。
ふと帳場脇の棚を見ると、大きなガラスケースに文楽人形が。その横の瓶には麺汁が入ってることを、仕上げにせいろを頼んだ時に分かったのでした。
そうか、ここは夜に来るべき店だと悟りました。家族連れや近所普段使いすご近所さんに挟まってゆるり一日を反芻する店が、大阪屈指の観光スポットの一隅にちょこんとありました。
南大塚萬重宝
「もう2年前から何がどう変わって、何が変わってないのかなんて覚えていません」、「北口駅前のヘンチクリンなオブジェはもうあったのかな?」、「どうですかねぇ」。白髪の増えた僕と、一ミリも老け込まない鐘ヶ淵さんは、顔を見合わせて笑うしか無い。自粛期間中に消えた店も出来た店も多いし、その前から続くマンションラッシュは相変わらず。
どうやら豊島区は駅周辺から自動車を締め出す作戦に出ていて、広場と地下駐輪場で車道封鎖した南口ほどじゃないけど、オブジェとタクシー乗り場、都電の停留所の並びのガード下の一方通行化によって、一般車両を駅から遠ざける作戦に出た。車はいないに越したことはないけど、田舎臭いデザインがなぁ
「そういや遂にマクドナルドが出来ますねぇ」、「フレッシュネスとモスとバーガーキングがあるのに、マックがありませんでしたからね」、「大塚ビルと共に去りぬ…、ですかな」。
地元的には大事件だった、大塚唯一の戦前建築が消えてから結構経つけど、どうやら更に大変なことが起きるとか起きてるとか。「南口がバタバタしてるらしいとか」、「のようですね、僕も殆ど知らないんですが」。
さんもーる大塚という商店街界隈に巨大再開発計画が勃発しているという町の噂。知人の店が立ち退きを食らったのも、このせいなんじゃないかと
総鎮守・天祖神社門前に広がる駅前商店街の共同ビル群は、確かになかなか年季が入ってる。身を寄せ合うような木造建築時代の様子は、どこか戦後のバラックみたいな感じがした。見たこともないくせに。車も通れない細道の両脇に商店が並び雨の日、お互いの軒先からテントを目一杯出しても、未舗装の道は雨が降ればぐしゃぐしゃ。不規則に入り組んだ道は迷路のようだった。
この一帯がビル化したのは昭和四十年代前半かな。出来た時はビックリしたけど、月日は流れて店もどんどん変わり続けて半世紀…。でもそれなりの風情が漂い始め、意外と面白くなるかな?と思ったけど、経年劣化なのか大人の事情なのか分か、遂に総取っ替えをするみたい。
「どっちみち僕らが生きてるうちには新しい南口は見られませんから」というのが、僕と鐘ヶ淵さんふたりの一致した見解。きな臭く騒々しい大塚はまだ続く。
編集後記・のようなもの
いやはや、2年ぶりでございます。書く時間はあったけど、書く気が起きなくてねぇ(笑)。久し振りなので、高野金次郎商店からPしんぶんと名前も変えちゃいました。その割にはペンギンの切れっ端も出てきませんが、おいおい銀の輔も登場させるともりです。取り敢えず今回は試運転ということで勘弁して下さい。これでまた長期休養に入らぬよう、匍匐前進レベルで進みますので、よろしくお願いします。
令和5年9月版
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