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「こんにちは!ライターの◯◯です」にまつわる雑念

“この記事を書いてるのが、私であることにどれだけの意味があるんだろう…”
って不安になった。

「こんにちは!ライターの山越です(ピース)」
みたいな記事を始めてちゃんと書きました。

自分の名前をクレジットとして乗せてもらったり、ささやかながらも名前を前に出して連載させてもらう記事を書かせてもらったりもしてる中で、「こんにちは〜」系の記事は意外にもやってなくて。

ちょっと、「やりたくないかも」と思ってしまっていた部分もあったんだと思う。だけどありがたいことにそんなお仕事の依頼をいただいたので、感想をここにしたためておかないといけない気がしたんです。

まず「良かったな」と思った点を挙げるとこんな感じ。

\良かった/
1:フォトグラファーとディレクターが大好きな人たちだったっていうのが大きいのかもしれないけど、現場がめっちゃたのしかった(はい笑って―とか、タレントさんになった気分だった)

2:最初に自己紹介をしてるので、一人称として文章を書きやすかった(私はこう感じたよ、っていう保険みたいなものにもなる)

3:ライターが体験者となってレポートするから、読者もイメージしやすい記事になったと思う

4:知り合いたちが読んで「おもしろかった」と言ってくれた(お世辞かもしれないけど)

「ライターの◯◯です!」ていう記事(以下:それ系の記事)の強みは、3と4だと思う。3は、被写体としてライターが映ることでの価値だと思うから、文章の面では特に触れないとして。

拡散とか、記事の価値につながるのは圧倒的に4なんじゃないかな。
知り合いが「おもしろい」って言ってくれたのはきっと「私」を知ってくれてるからで、「あの時の表情うけた」みたいな感想ももらった。(ありがとう笑)

でもさ。私は有名人じゃない。

「私」であることを喜んでくれる人なんて世界中のほんっっの一握りの人たちだけなわけで。「それ系」の記事で大きな価値を出せる人は、フォロワーが何千人もいる(世間では「読モライター」とかって言う人もいるけどちゃんと市民権を得ている)人たちじゃないか。

そうじゃない人が「こんにちは!」といきなり自己紹介をしてきたときの「誰だよ」感たるや。
だけど、今フォロワーをたくさん抱えている人たちは過去にそうやってファンを獲得していった側面もあるのだろうから、決してこれは無意味な行動ではないのはわかってる。すごいと思う。

でも、それ系の記事を書くのが得意な人もライターさんで、無名でも雑誌とかで長年書いてる人もライターさんて、なんだか不思議だ。

私を育てるようにちゃんとダメ出ししてくれる先輩ライターさんとかのことを考えると、「この人がそれ系の記事やったらめちゃクオリティ高いんだろうな」と思うこともよくある。

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それと、「こんにちは!」ってフランクに自己紹介しておきながら、ちゃんとした媒体で書く記事はこうやってnoteに書くみたいに自由気ままにはいかない。

普段やわらかな文章を好んで書いてても、「だ・である調」がマストだったりする。
かといって、クライアントさんに「じゃあ私の文章のタッチで書かせてください」なんて言えない。

すごく生意気なのはわかってるけど、私は私らしく書いた文章を評価してもらえるライターになりたい。今はそこに大きな価値がないと思っているから、「山越さんの好きなように書いてほしいです」と言ってもらえる仕事が今よりもっともっと増えるまで頑張らないといけないと思ってる。名乗るからには、どうしてこのライターがこの取材先に来たのかに「意味」を見出してもらいたい。

※もちろん、ライターの名前を冒頭で公開しつつ、それぞれの個性を生かした文章をとっても上手に載せてるメディアさんもたくさんあって、すごく素敵だ(し、お仕事ください!)って思う。

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とにかく、「こんにちは!ライターの◯◯です」っていう始まり方がweb記事の定形みたいになってしまうのはなんだか嫌だなあってことだけはひっそりと主張していたい。

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