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ユング心理学風の一発勝負の創作「白エビ」

また、無意味なことの意味の創作。イマジネーションを言語に置き換えただけです。推敲してません。

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【タイトル:白エビ】

 明け方の薄もやをまとう青い山峰。後ろにはのっぺりした水色を張り付けた空。
 一歩足を引く。黄金色の額に入った、にじんだように毛羽立つ和紙の切り絵だ。画廊に立つ私は向きを変えた。同じようなサイズの絵が、白壁に、同じ目の高さに並ぶ。歩いていくと、絵は黒色に塗りつぶされていたり、あるいは白色に塗りつぶされている。
 白色絵具を全面に塗っただけの絵。その額縁に手をかけてはずした。太い釘でも抜いたような跡がある。黒い、深い穴。その深さは五センチも七センチもありそうで、のぞいてみるといきなり穴の中に身体ごと吸い込まれた。ドラえもんのタイムマシンに乗っているように、私の身体はぐにゃりと横臥したまま、流動する黒い蠕動の中を激しいスピードで進みゆく。頭が進行方向へ引っ張られる。バキュームのような引力に髪の毛が逆立つ。時空が歪む。どこへたどり着くのかただ身を委ねているうち、金環をまとった黒丸の出口に頭がすっぽり呑まれるかと思いきや、それは金属板のように固いもので、頭頂部をカンと思い切りぶつけた。蠕動の黒く蠢く中でうずくまり頭をかばう。もと来たところに引き返せない。天井と床が狭まり身をじわじわ潰す。だが、うまい具合に管のように私のサイズに収縮したところで止まる。
 ころんと眼球体になった。目玉がくり抜かれて、それがわたしであるようだ。太いまつ毛が五本生えて網目のように端が充血している。目玉になって転がって移動する。しばらくシーソーのように管を左右に転がって硬い感触を確かめた。ここから出られるとか、出られないとかそんな発想はない。ただそこを幼児のように意図もなく、未来もなく、身体そのものを遊んで楽しんだ。そのうち管の底が割れて、私は激しい風力と共に下降する。
 ほんものの空に穴が開いて、海中に落下した。潮が刺すような痛みで丸い眼球の全方向から沁みてくる。快晴。太陽光と潮騒はゆりかご。潮が目に入るがここはとても心地のいい場所だ。しばらく波まかせに浮かんでいたが、眼球にも水が侵入して浮力を失う。緑色の暗い海底へまた、直下降していく。光の届かない黒い海水の奥。ずんずんと地核に近づくように場所までピンポン玉のようなわたしは沈む。
 ひらすら黒。音、光、あるとおもっていたものがない。あるとおもっていたのは、記憶か、本能か。もしかしたらこのように、ほんとうは光も音もないのかも。ただ黒い深い海中も居心地がよかった。また、静的なわたしになる。わたしは水にまとわれじっとする。指で黒をつついてみる。ぷよんとスライムのように押し返される。膜が張っているようだ。これは黒い膜をまとっていただけなのか。爪を立てて膜を押したら、膜が破れて勢いよく海水が、息ができる領域を埋めるように入ってきた。指をしまった眼球は洗濯機のドラム缶のようにかき混ぜられる。波しぶきに踊らされ、水が暴れるのに任せて、今度はどこに流れ着くのか。しばらく暴れ馬のような流れをサーフし、ようよう呼吸していたら、わたしは排水溝のパイプからへどろのドブへとちゃぷんと落ちた。街中の暗渠らしい。覆われたコンクリートの上を騒がしい人間どもの足音がリズミカルに打ち鳴らしている。だけども地中はとても静かでわたしはこの場所が気に入った。メラニンを持たない白いエビが黒い泥にまみれている。人間の出した汚水に油ぎっていた。
――えびさん。
 白いエビはわたしと同じくらい大きくて、むしゃむしゃと口を動かして、何かを言いたいみたいだった。暗渠生活が長いようで言語を失ったらしい。
――ここの生活も悪くない、どこから来た、新参者。
 白いエビの意思は何かの力でわたしに伝えられる。音でもない。眼球であるわたしが視覚で捉えただけのなにか。エビの口の形であったり動きであったり、それを読み解く何かがわたしにある。応答は期待してないらしく、背を向いて歩いていった。そっちはきっと、海の方向。まるで四足歩行する動物のように、エビは堂々とへどろを踏みしめる。四足歩行する動物がいるということをどうして知っているのだろう、とわたしはまた考えた。それもまた、記憶で知っているのか、本能で知っているのか、わたしにはわからない。球体のわたしにはとてつもない情報が含まれているらしい。情報の図書館が備わっているみたい。そういえばけっこう長く生きてきたからやっぱりそれは、どこかで見聞きしたものが、何かのきっかけで引き出されるというだけなのだと思うけど、白エビに会わなかったら、きっとわたしは四足歩行する動物がいるという思考は必要なかった。
 思わず白エビの背中に飛び乗った。白エビは振り向いて笑った。馬にまたがるようにわたしは白エビがへどろを進んでいくのを、冒険気分で進む。のしのしと白エビは足にくっついたどろをいちいち取り払いながらゆっくり歩く。暗渠の端まで歩いて、コンクリートの蓋が取れた。青空がまぶしくて渋谷ヒカリエが見える。人間たちが両端の歩道を歩いているらしい。
 白エビは、急に羽が生えて飛んだ。青空へ、高く、高く。蝉のように太い羽根を広げて、太っ腹にわたしに興奮を与えるように飛んでくれた。ぶうんという羽音が心地よくて、人間たちが小さく見える。飛翔、飛ぶ、翔ける。今わたしは空気をよじのぼることができる。人間たちはもっともっと小さくなる。勝った、と思う。とうとうわたしは人間を超えて、人間の知らない知覚のワールドへ飛ぶ。どんなところかしら、きっと羽の生えた白エビが教えてくれるから、わたしはただ、安心してまたがった。太陽がきらきらまぶしい。
――ひとやすみ、しよう。
 白エビは雲を台にして仰向けにごろんと寝そべった。青い空と太陽、そして雲。雲の切れ目から見える下界には緑の森林。風が霞の雲を流していく。
――エビさん。
 白エビは気だるくふぁ~とあくびした。空気が十分にあるここではしゃべれるみたい。
――どこへいくの。
――さあね。
 さあね、でも困らない場所。そういう場所にわたしたちは行くみたい。風がゆっくりわたしたちを移動させる。白エビは寝返りを打つ。太陽のほうを向いて、シルエットだけをわたしに映して昼寝をしていた。

<了>

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