生きること 死ぬこと

この記事を書いているこの瞬間も
私にずっと寄り添ってくれた17歳になる愛犬は
病院で点滴を受けている。

一生懸命生きようとしてくれている愛犬。
心配で もうすぐお別れなのかもしれないと覚悟を決める私。

それでも私は ”お腹が空いた”  のだ。
生きることは こう言うことなのかと残酷さと
現実に向き合っている。

※今日は「です」「ます」調ではなく記入します



ここ数週間、愛犬は下痢が続いていた。
食べるものも好みが偏り、前は食べていたドッグフードも
食べなくなったり、おやつも気分によって
食べなくなってしまった。
背中は曲がり、後ろ足もおぼつかないことが増えてきていた。

この数年はもうシニアだし、いつ訪れるかわからない
『別れ』を意識し覚悟していた日々だった。

だけど 薬を埋め込んだおやつは絶対に食べなくて
薬がないおやつは パクパク食べる。

トイレもほとんど失敗がなくて、17歳でボケているようで
ボケていない なんとも不思議な愛犬だ。



11年前、長男を妊娠中にヘルニアになってしまった我が愛犬。
一時は車椅子になるかもしれないと言われたけれど
出産するまでの半年間、
毎日病院に通ったり、一緒に寄り添って寝たり
最善を尽くしていた。

予定日を超過しても生まれなかった長男。
入院が決まった前日つまり出産する前日、
なんと歩けなかったのに歩けるようになったのだ。

しっかりと4本足で立って 歩いて
こちらに来てくれたのだ。

その後
元の愛犬に戻って、走り回る姿がまた見られた。
愛犬と長男を連れての散歩は 
慣れるまで大変だったくらい、
ヘルニアなんかどっか行ってしまった経緯がある。


今回も妊娠中の私。
きっと愛犬のこの子が、「僕との時間」をくれたんだと思って
大変だけど、精一杯寄り添ったのが この数週間だ。


昨日から痙攣をするようになった。
もともと脳神経に異常があるようだったけれど
高齢と言うことで全身麻酔のリスクの方が危険で
ドクターとも相談した結果、
MRI  脳神経の病院には連れて行っていない。

そして今朝は昨日よりも状態が良くなくて
朝一番で病院へ。

私も覚悟をしたけれど
ドクターとの
今後の治療方針、看取る話はやっぱり涙が止まらなかった。


発作が残る診察台にいる愛犬に
ただ ただ名前をかけるしかなかった。

まだまだ頑張って欲しい気持ち と 
もう17年も頑張ってくれたから ありがとうの気持ち 

両方の気持ちが入り混じっていて
どちらも声に出して
言ってはいけないような気がしてしまった。


頑張れって言ったら もっと苦しませるような気がしたし

ありがとうと言ってしまったら もう死んでしまうのだと思ったから。


何が正解なのか わからないけれど

とにかく安らかに虹の橋を渡って欲しい。
最後はちゃんと ありがとうを言ってその時を迎えたい。

ただそれだけを望んでいいのなら 望む。





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