【鬱からの脱却】家族の問題の棚卸し
「うーん、子供時代、ご両親との心の距離が遠かったんですね」
と、過去にカウンセラーの先生が私に言った。
鬱病が寛解してからも度々酷い落ち込みや、恋愛での問題を繰り返していたために私は定期的にカウンセリングに通っていた。
自分でも、家族との問題をクリアにしなければ越えていけない壁があると感じていたためだった。
自分語りで恐縮だが、自分の頭と心の整理のためにnoteに残しておこうと思う。
物心ついた頃、私はいつも祖母といた。
幼稚園のお迎えも祖母、家に帰っておやつを出してくれるのも、手芸やお手玉などの遊びを教えてくれるのも祖母だった。
両親は働いていて、父親は帰りが遅く無口で、母は昼の仕事に加えて家で内職もして忙しそうにしていたのをうっすら覚えている。
お風呂も、毎晩一緒に寝るのも母ではなく祖母とだった。
それに不満を感じたこともなかったし、寂しいと感じることもなかった。
それが小学校に上がるようになり、大人とそれなりの「会話」ができるようになってきた頃から、だんだんと祖母の様子が変わってくる。
両親の、特に母の、悪口や陰口を頻繁に私に言ってくるようになったのだ。
最初は言葉も出ないほど深く傷ついた。
家族は仲が良いもの、と子ども心に純粋に信じていたから。
私を産んでくれた母の悪口を言われることは、私自身も否定されるような気がしたし、
このことを母に告げたら母がとても悲しい思いをすると感じたので、親には話せなかった。
ただひたすら、何年も何年も祖母の醜い言葉を浴びた。
「そういうのやめてよ」と言ったこともあったが、その言葉は響くことはなかった。
高校生になるとさすがに耐えきれなくなり、様子を伺い母に聞いた。
「お母さんとおばあちゃんは仲が悪いの?」
すると母からも、そうか、あんたも分かっているなら…
と、これまで溜めてきた祖母に対する愚痴、どれだけ酷いことを言われてきたか、結婚してからどんな嫌なことがあったのか…啖呵を切ったように私に話してくるようになった。
私がのびのびと遊んでいた幼い頃から母と祖母の関係はずっと悪かったのだ。
孫の面倒は自分が見るから。
嫁は働け。
そう言われて母は家に居場所がなく、働き続けていたらしい。
私は完全に祖母と母の板挟みになった。
2人の気持ちはよくわかったが、
じゃあ、それを聞いている私の気持ちは?
誰が受け止めてくれる?
一体どうしたらよかったんだろう。
気持ちを押さえ込み聞き役でいるとどんどん酷くなる祖母の癒着。
次第に私が家にいないとどこに行ったのかと大騒ぎをしたり、
母と一緒にいると何を話しているのか詮索されたり、
私物を覗かれたり…
そんなことが増えていき、家にいる時間も休まらなかった。
いつも心配性で寂しがりな祖母は、自分で自分の機嫌をとることができず、私に寄りかかり甘えたかったんだと思う。
話しかけられたくなくて毎日ずっとピアノを弾き、実家から離れたくて県外の大学に行くためにめちゃくちゃ勉強した。
逃げるための努力。
家族から自由になりたかった。
今でも何かを頑張っていないと不安で心配になるときがある。
他人が怖いと感じることも多い。
そして、心配性な自分を直視するたびに自分は祖母に似てしまったのかもしれない、いつか自分もああなってしまうのではないかと恐れを抱く。
幸いに自分には音楽があり、逃げるための努力であったとしても、学んできたものを杖にして、なんとか自分を支え保っている。
カウンセラーの先生から教わったのは
過去の自分に会いにいき、その辛い状況の自分になにか言葉をかけたり、抱きしめてあげるといい、ということ。
親にかけてほしかった言葉や行動を、自分自身に対してするのだという。
なのでたまに、小さい頃の自分に会いにいく想像をする。
「よく頑張ったね。」
「がまんしなくていいんだよ。」
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