アルジャーノンに花束を

ある日、親友と電話した時に彼女がアルジャーノンに花束を読んだ感想を私に共有したいがうまく言葉にできないと言った。

親友がそこまで感情を動かされた本を私も読みたいと思ったし、なにより彼女の気持ちを理解したかった。

ついに昨日、その本を読み終えた。

親友に送ったLINE原文 その1


原文その2

まず彼女の考えを聞く前に思ったことは
社会には成功ルートがあってそこから外れたものは人間扱いをしてもらえない。
みんなの仲間になりたくて、もう迷惑をかけたくなくて、チャーリーは頭が良くなりたいと言うことになった。(社会に言わされた。)
チャーリーがやりたいこと、自分のための未来というのは考えさせてもらえずに。
そんな風に感じた。

原文その3

この親友の言葉で気付けたのは私もチャーリーだったということだ。
小さい時はわからないことが多く、それにイライラしてすぐ泣き叫んでた。
大人になってからも自分にとって分かる説明がないとイライラする。
留学した時も、国際手話の勉強をした時もそうだ。
人は分からないということに苛立つものなのだ。

この本を読んで、こう私の親友は感じたのだという。
『うちらも昔チャーリーだったじゃん』

チャーリーを知的障害者として差別的な目で見ていなかったのは私の親友だった。
チャーリーの論文の結論を読んでいたにも関わらず、チャーリーの人生を他人事のように私は見ていた。でもそれは間違ってる。

平等に人は、衰え、死にゆく。

私の親友がまず私と共有したかった言葉にならない感情というのは、今一生懸命努力しているが最期は能力もなくなり、失うことへの恐怖、悲しみだった。

彼女の言う通り、チャーリーの人生は私達がこれから歩む人生の早送りでしかなく、今これから覚えることの殆どを忘れるかもしれない。

私も少し寂しい気持ち、虚無感を覚えた。
人生とはなんて苦しいのだろうと、そう嘆き悲しみ、それでも今を大事に生きようと。

そんな会話を続ける中で気づいたのは、私達にとってのチャーリー=チャーリーにとってのアルジャーノンであるということだ。

すべての生命が生きゆく中で何かを学ぶが、終わりが近づくにつれて、衰えゆく。

それでも最後まで論文を書き上げたチャーリーを心から尊敬する。自分の衰退を受け入れ生き抜いたチャーリーを尊敬する。

私もこの素晴らしい視点を持った親友と共に努力しつづけ、歳を重ねることを喜びたいと思う。

本当に素敵な本でした。


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