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PTSDでも、安心して映画を楽しめる世の中に…

昨日、Twitterにこんな投稿をアップした。

殺人をはじめとする犯罪行為、自殺、人身事故、性被害、虐待などについて触れた作品が、これに当たると思う。

例えば自殺。日本における令和元年度の自殺者数は、約2万人。これはつまり、約2万世帯の自死遺族がいるということを意味する。1世帯4人家族だったら、8万人の自死遺族がいることになるのだ。友人や恋人なども入れると、その数は計り知れない。

東京に限っていえば、人身事故が起きない日など無いに等しいように思う。それでは、不幸にもその場に居合わせてしまった人の数は…?おそらく、果てしない数になるだろう。

性被害に遭った人は?事件化されないだけで、とてつもない数にのぼるはずだ。痴漢にもセクハラにもあったことのない人は、どのくらいいるだろうか?おそらく、多くはないはずだ。

心的外傷(トラウマ)となるような出来事を経験した人が、必ずしもPTSDを発症するわけではない。しかし、心身の不調を経験する方が一定数いるのは確かな事実だ。心の薬であるエンタメが、心の傷を逆なでする作用を(図らずも)担ってしまっているとしたら…?これは、真剣に考えなくてはいけない課題ではないだろうか?

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私は、映画が好きだ。人間の泥臭い部分や、人間の悲しさを描いている作品と共鳴する心的体験が、とても好きだ。

むしろ、そうしたものを描いてこそ映画だと思うし、訴えかけてくるものが強い作品ほど心惹かれる。映画の力に救われてきたし、これからも救われていく…。映画のない人生なんて、考えられない。

だから、なるべく多くの映画を観たいと思っている。

しかし、私にも心的外傷はある。(加害者になることは選べても、被害者になることは選べない。)

だから、劇中に私の心的外傷をえぐるような想定外のシーンが出てくると、その瞬間、それはフィクションではなく「現実の脅威」となってしまう。

その反面、(今は思うように活動できていないが…)私は、これからもお芝居を続けていきたいと思っているし、だからこそ、沢山の映画を観たい/観て学びたい…と思っている。

でも、作品の鑑賞中に、思わぬ方向から自分を脅かすモノが飛んでくる…これは、恐怖だ。恐怖に圧倒されてしまい、脈が速くなり、呼吸が浅くなり、集中が途切れてしまう。圧倒されてしまうのだ。

このアンヴィバレントな現実は、辛い。好きなものを、楽しめないのだから。

もちろん、映画館に行く前にタイトルやホームページから個人的に判断を試みる。でも、それにも限界がある。映画を観ていて、想定外のシーンがあった…という経験は、誰にでもあるのではないだろうか?

実は、先日もそういう映画を観てしまったために、2日ばかり寝付きの悪い夜を過ごした。これまでも、それを理由に映画館から足が遠のいたことが何度もあった。

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実際、今私がお会いしている患者さんの中にも、同じ理由で「映画館に行けない」という方がいる。映画という素晴らしいエンタメを、こんな理由で楽しめなくなってしまうのは、勿体ないことだ。

どのシーンも、作品にとって必要なシーンだということは、勿論承知している。

ただ、残酷なシーンも、「これは、フィクションだ」と思うからこそ、作品として存分に味わえることを強調したい。現実世界でその残酷さを味わってしまった人にとっては、それは、現実に立ち上がってくる脅威となるのだ。

だから、思った。いや…長い時間をかけて、思い至った。

制作者側の方で「R+18」のような分かりやすい表示をしてくれたら良いのでは?と。

震災後、番組で流れる津波の映像に注意喚起がなされたように、すべての映像を確認した上で、必要だと思われる作品にはPTSDに対する注意喚起が必要ではないだろうか。

映画好きが、映画を思う存分映画館で楽しめるように。

なんの不安もなく、鑑賞できるように。

いち映画に救われている人間として、いち臨床心理士として…

私は、そう考える。

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さて、と。

これは、映画協会に意見書を出せばいいのかな…?

いずれにしても、映画への感謝と愛情を携えて、情報を集めた上で、然るべき場所にこの”小さな声”を届けられれば…と思う。

だって、だってさ。

映画って素晴らしいんだから。

安心して、楽しみたいじゃない?



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