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無防備になって、創作を楽しんで人とつながっていたい。

「そうか、人と親しくなるには無防備になる必要があるんだな」と知った。

正確に言えば、似たようなことは、形を変えて今まで何十回、何百回と聞いてきた。

それでも、カタツムリのように殻とともに生きてきた私はどうやって殻を破ればいいのかわからなかった。それはもはや、私の一部であり、簡単に着脱できるようなものではないのだ。

信頼は生身をさらすことによって生まれ、時間をかけ、手間をかけ、気にかけ、関わることによって育っていく。『本当の勇気は「弱さ」を認めること』ブレネー・ブラウン p.63

この本を5月に読んで「ああ、ついにこの時が来たか」と感じた。

私たちはいくら「護身用ですよ」と言い訳したところで、武器を構えたまま、誰かと仲良くすることはできない。

武器を持った人の近くではくつろげない。自分を守る武器は、他人を傷つける道具でもあるのだ。

誰かと親しくなりたいのであれば、武器を捨てなければいけない。

武器を手放す

「相手が先に武器を捨ててくれないかな…」とは思ってしまう。ズルイ駆け引きだ。私はいつもしばらく様子を見て、相手の出方によって自分の振る舞いを変えてきた。

今でも、相手が信頼できる人かを見極めることは必要だと思う。残念だけれど、私は相手を選ばずに受け入れられるほどの懐の深さはない。

それでも、こんな風に後出しジャンケンばかりをして生きていくことはできない。事前の予想が外れることもある。慎重になったところで、見えないものは見えない。

誰かが勇気を出して、最初の一歩を踏み出すんだ。私はいつも他人任せだった。

きっと、自分から一歩を踏み出すことも必要だろう。

殻を破る②

人とのつながりだけじゃない。創作も、私の心を無防備にする。

作品はいつでも、心のやわらかい部分から生まれてくる。誰にも見せたことのない、それこそ自分でも触れることのできない心の奥にある泉から湧いてくる。

絵も、文章も、音楽や写真、映像や踊り、どんなものでも創作物はその人の一部だ。泉から湧いてきたものを、さまざまな方法で表現している。形のないものに、色や音や動きをつけてみる試みだ。

それは自分でとらえるためでもあり、誰かに届けるためでもある。自分にしか見えていないものを、他の人にも見えるようにする。感じているものを共有できる形にする。

表現することそのものを楽しんでいるけれど、受け取ってくれる人がいるのは本当にうれしいことだ。一方、創作物を批判されることは悲しい。生まれたての赤ちゃんの肌のように、傷つきやすいものだ。

だから、安全な場所であって欲しいなと願う。

自分の中を探求して、何かを見つけて、磨きあげることは大仕事だ。片手間にできるようなものではないし、集中したい。

創作と、人とのつながりを分けて書いてきたけれど、どれも同じところに行きつくのかもしれない。

チューリップ


無防備になると、いつも自分のことがわからなくなる。きっと、自分を定義してくれるのは、もっと外側のものなのだろう。仕事の制服であったり、年齢や、性別、自分を規定して説明してくれる何か。それを脱いだら、自分を説明するのはむずかしい。

その人らしさは、一瞬の表情や、言葉選び、間のとり方に宿るのかもしれない。きっと、存在は言葉では語りつくせない。

わからなくていいし、つかみきれないものなんだ。

それでも、私はスルリと逃げてしまうイメージを追いかけて、色や形や言葉に置き換えられないか、何度も試みる。たくさん言葉や、絵で遊ぶ。ちょっとでも近づけるように。

これからも、無防備になって絵や文章で遊ぶんだ。誰かに届けばいい、と願いながら。

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