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「書きたいけど、読まれない」のジレンマとトークイベント #書き手を信じる

昨日、Zoomで行われた「求められる読み手」のイベントに参加させていただきました!

正直「これ、文字お越しして記事化するのがベストでは?」と感じるくらい濃い内容でした。私の感想とか要らないから、みんな元データを入手して欲しい…!

今回は、すごく考えさせられることがありました。トークが刺さった背景(前段考察)と、イベントトークの内容の一部ご紹介と、感想のnoteです。なお、音声データを文字お越ししているわけではないので、3人の登壇者の方たちの発言が完全に一致はしていないことをご了承ください。

①前段考察:書き手と読み手の要求のズレがあるのでは?

イベントでは暗黙知とされていて、言及をされていなかったことなので、ここは私が勝手に書きます。

たぶん、noteを書いている人は経験があると思うんですが「書きたい文章と、読まれる文章(評判のいい文章)」ってちがうじゃないですか。書き手と読み手の欲求には次の図式のようなズレがあるんじゃないかなぁ。

文章自己診断

これは、以前カミングアウトに関するコラムを書いたときに作った図式の応用版です。縦軸は「相手が読みたいかどうか」、横軸は「自分が書きたいかどうか」です。

フラストレーションがたまるのは、ズレのある左上「読まれる文章」か右下の「書きたい文章」です。

右下はマイルドに「書きたい文章」と書いていますけど、もっとキツイ言い方をすれば「ただの自己満足な文章」。ウェブ上に放たれたひとりごとに近い。読み手への配慮がされていないか、ただひたすらに需要がないか。

たぶん、note界で一番溢れているのは左下の「書きたい文章」です。

むずかしいところで「書きたい文章を書くこと」が悪いと言っているわけじゃないんです。noteはお金をもらっている仕事ではなく、趣味で楽しんでいると言う人も多いはずなので何を優先するかは本人次第。

ただ、コミュニケーションという観点ではあまり成立していないです。ひとりごとですから。

じゃあ、たとえば「読まれる文章」にすればいいかというと、これもちょっとちがう。編集部におすすめされるための文章にしちゃうのは止めた方がいい、歪む、とイベントでもおっしゃっていましたし。

たぶん、「読まれる」でも「書きたい」でもなく、「win-winの文章」が一番ハッピーなのでは?なかなかここには、到達しないですが。

※ここまでは私、個人の見解です!イベントではこんなひどいこと言っていなかったよ!

②イベントトーク「求められる読み手」

ほとんどの読者は、読みたい文章を読みます。正直、私も選びます。読んでいて、楽しい文章や、考えさせられる文章が好き。

一方で、「求められる読み手」の3人は、求められれば誰の文章も読んでいます。それはハッシュタグ #書き手を信じる  にもよく現れています。このハッシュタグ、いいですよね…。一番言いたいことを集約しているようです。

究極を言ってしまえば、左下の「書きたい」文章も読んでくれる方たちです。これ、なかなか真似できることではありません。

時間や労力もかかるし、それだけでなく時にはかなり心理的にもしんどい作業のはず。中には、自分の中で消化しきれていないしんどい想いをぶちまけるような、読み手に負担をかける文章もあるでしょう。

”オンライン上のカウンセラーみたいなもの”と池松さんはおっしゃっていました。まさに、それ。池松さんのレーダーチャート式アウトプット診断は情報を分析してくれるところを見ると、カウンセラーというより、伴走してくれるコンサルタントって印象です。↓

そこでとことん付き合ってくれる「読み手」がいると、どうなるか。イベントでも

”わかってくれた、という経験を持つと文章が変わる。”と嶋津さんはおっしゃっていました。嶋津さんの読み手について詳しくは↓このnote。

たぶん、「伝わるってこんなに嬉しいんだ。」と思うと、次から書くときに一回立ち止まって「この書き方で伝わるだろうか?」という相手目線で見直すようになります。この相手目線が大事とおっしゃっていました。

もしかしたら「書きたい文章」に相手目線が加わると「win-winの文章」に近づくのかもしれません。そこで、やりとりが生まれるようになる。

お話を聞いていて、「書く、読むもやっぱりコミュニケーションなんだな…」としみじみと感じました。

仲さんは、これから先どうするのかという質問に対して”何も変わらない。求められたら読むことを、続けていきます。”とおっしゃっていました。

もう、ここまでくると、長い付き合いの人間関係です。すごくない?

しかも、仕事とかの業務連絡でなく、思考や感情、価値観を共有するとなると、実際に会っている人間関係よりも濃い、という逆転現象もあり得ます。

③感想:文章は、読み手がいるから磨かれるのかもしれない

私はとにかく書きたいことがたくさんあって、noteを始めました。だから、スタートは、確実に自己満足の「書きたい文章」でした。

でも、ポツポツとコメントをくれる人が出てきたり、ツィッターでやり取りさせてもらう人が出てきて、たぶん、書く内容は変わってきました。年末の第二回教養のエチュード賞で嶋津さんに読んでもらえたのも大きかったです。

最近のnoteを見返すと、誰かの企画に乗っかったお返事みたいなのばかりww「自分の文章らしさ」が無いことに、焦りもありますが、文章との向き合い方の見直しどきなのかもしれません。

何のために書くんだろう。

これから、誰の文章を読んで、時間や想いを共有していくんだろう。

一晩考えたくらいじゃ、答えは出ません。それに、3人の境地には私はまだまだ到達できないです。

それでも、いつか「ああ、このことをおっしゃっていたのかなぁ…」という日が来るといいな、と思っています。ありがとうございました。


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